Ep.175 主人公(わたし)に相応しい力
『この世界は私のものなのよ、惨めな悪役さん』
消毒薬の鼻につく嫌ーな臭いと、“清潔”なんて下らないアピールをしてる辛気くさい白尽くしの部屋。白色が好きで無駄な純真さが鼻について仕方がなかった、あの女を彷彿とさせるこの空間が、今日だけは愉快で仕方ない。
今すぐにでも、声を上げて笑い出したい気分だと、マリンは目の前でベッドに横たわっている女を見下ろした。
そこには、いつもムカつくほど幸せそうな笑顔でヘラヘラしていた顔を白くさせた“悪役姫君”が居る。その惨めな姿を鼻で笑い、先程のやり取りを思い起こすと、更なる優越感が沸き上がって来る。
つい10分程前、メインヒーローであり少女にとっては一番好みである(この“好み”の中には性格よりは容姿や地位、スペックの方が色濃く判断基準になっている訳だが)ライト皇子に新しいドレスをねだりついでにお茶に誘う為生徒会室を訪れようとした際の事だ。
今までなら彼等の背中に護られて腹が立つほど直には手を下せなかったあの女が、他ならぬメインヒーローに腕を振り払われ、真っ逆さまに階段下へと落下したのだ。
自分は“無邪気な愛され主人公”になりきる為にライト皇子に抱きつきに行ったので、その身体が床に叩きつけられる瞬間をこの目で見られなかったことが実に残念ではあるが、落下した彼女に見向きもせず攻略キャラの中でもトップの二人が自分に笑いかけているのを見れば、すぐに機嫌もよくなった。
そうだ、これこそ世界のあるべき姿だと。
そして、そのまま気を失ってぐったりした体を放置して、特にお気に入りのキャラ二人を連れてお茶にでも行こうかと思っていたのだが、ふと気が変わりいかにも心優しいヒロインらしく『このまま寒い廊下に寝かしておくなんて不憫だわ』と訴え、悪役姫君の身体をこの医務室まで運ばせた。周りへのアピールと、この女を更に惨めにする為に。
自分は意見を言っただけで特に何をした訳ではないが、それだけで攻略キャラ達はもちろん、周りのモブ達も“なんて素敵な子だ”と自分を好きになる。素晴らしい、これこそヒロインたる自分に相応しい扱いだ。
(執事がどこかからか入手してきた変な指輪を持って聖霊の森に忍び込んだと思ったら、直ぐ様学校に飛ばされたもんだから頭に来たけど。でもここ、攻略キャラは皆私に夢中で、私の言葉はぜーんぶ正しい、私だけが特別な世界なのよね!寧ろ、こっちが現実なんだわ)
一人心の中で悦に浸った後、マリンは鎖を通してネックレスにした例の指輪で悪役姫君の顔を叩いた。
小さいと言っても立派な金属。振りかぶって打ち付けられれば痛くない筈は無いのだが、その寝顔に変化はない。その事が気にくわなくて、今度は椅子にかけられた女の青いブレザーの背を上履きで思いっきり踏んづけた。そして、廊下には聞こえない程度に抑えた声量で、だが乱暴に罵声を浴びせる。
「……夢の世界で調子に乗って、私を差し置いて好き勝手してるから自滅するのよ。ほんっといい気味!!ねぇ、打ったところ痛い?痛いわよねーっ、床にしっかり血がついてたもの!!」
彼女が今目を覚ましたら、と言うことに、マリンは不安は感じなかった。今のこの女が何を証言した所で、周りが全て自分の思い通りに動く今となってはなんの意味もないと思っていたのだ。
だから、初めは物にぶつけられていた暴力も、段々と直接的な物になっていく。
最初こそ誰も腰かけていない椅子を蹴飛ばしていたが、次第にベッドの足を蹴り飛ばすようになり、次にマットを思い切り殴り付け……、それでも起きない姿に、とうとうその手が近場にあった麻酔用の注射器を持って振り上げた。
「人のこと無視して呑気に寝てんじゃねーよこのクズ女が!」
気に入らない、気に入らない!気に入らない!!あんたは私のライバル役、言わば当て馬なの。さっさと起きて悪さして、散々私を引き立てた後さっさと死んでよ!!ここは私が主人公のゲームよ。私以外のキャラは皆、私を幸せにする為の駒なの!!!
ヒステリックに叫んだヒロインのその手に握られた針の切っ先が、今にもフローラの白い肌に突き刺さろうとしたその時。
一陣の花嵐が部屋を吹き抜け、その手から注射器を奪い取った。
あまりの風圧に立っていられず尻餅をついたマリンが、不自然に舞い踊るバラの花びらを見ながら呆然と呟く。
「な、何よ、このバラ……!今朝といい今といい、誰か見てるわけ!?」
見てるなら覗き見してないで出てこいよ!!と騒ぎ立てるマリンを他所に、フローラのベッドに一輪の花がゆっくりと降りてきた。まるで、見えない“誰か”が見舞いとしてそっとそこに置いたかのように。
「ん……っ!」
そこでようやく、フローラがわずかにまぶたを震わせた。
と、同時にバタバタと室内に何人かが入ってくる気配がしたので、直ぐ様身なりを整え今にも泣き出しそうな表情を作る。
「おい、何があった!!」
「ライトっ、怖かった……!」
不在だった保険医と使える他の攻略キャラを呼びに行っていたライトが息を切らして飛び込んできたのと、フローラが目を覚まして身体を起こしたのは、全くの同時で。
入るなり抱きついてきたマリンと部屋中に散乱したバラを見比べ、ライトが鋭い眼差しで寝起きでぼんやりしているフローラを睨み付け言った。
「おい、この部屋の惨状はなんだ?」
「……?お掃除が大変そうですね」
一方フローラは、頭を強く打って寝ていたばかりでまだ頭が回らないのだろう。部屋の状態を確かめた後出た第一声は、そんな他人事の様な感想だった。
その態度がシャクに触ったのか、ライトの眉が更に寄る。その後ろでは、一緒に入室したらしいフライとクォーツも怪訝な目でこちらを見ていた。そして、嘘をつくなと、何かしらの魔法でマリンを害そうとしたのでは無いかと口々に糾弾されたフローラは、ぼんやりとした口調のまま『ライト殿下』と彼の名を呼ぶ。
「……何だ」
「私、花嵐なんてそんな高度な魔法使えないです」
その言葉に、止める間もない勢いで飛んできていた糾弾の声がピタリと止んだ。
毒気を抜かれたのか、皇子3人が妙に納得したような、困ったような表情で顔を見合わせる。
「それは、まぁ……お前の魔力の成績では確かにそうかもしれないが」
「確かに、花や植物を操る力は元々地属性の魔力が無いと難しいし、自国の魔法すらまともに扱えない落第点のお姫様には難しいかもね」
「フライの言う通り、確かに彼女に使える魔法じゃないけど……。取り巻きの誰かにやらせたんじゃ無いの?」
「でも、知識は誰より豊富な方よ、フローラさんは」
小声で、でもフローラにも聞こえるくらいの声量で相談しあう彼らにそう言って、先頭に立つライトにマリンが自分の身体を押し付けるように抱きついた。それによって、ネックレスにしている指輪が彼の身体に押し当てられる形になる。
シャツの下に隠すように下げられた指輪の3つの石が、ひとつ黒く染まっていることには、誰も気づかない。
しかし、フローラの目は、一瞬だけ2人の身体に黒い靄が流れ込むのを見た様な気がした。
だから、まだ寝惚けているのかと長いまつげが揺れる瞳を手で擦っていたら、ついさっき納得した筈のライトが再びフローラのことを睨み付けた。
「マリンの不安も無理はない。本人の“使えない”と言う自己申告は何の証拠にもならないのだからな」
そのライトの言葉に、フローラには見えない角度で彼の陰に隠れたマリンがほくそ笑む。少し違和感や気に入らないルートに入りかけても、この指輪を当てて願いを言えば自分の思う通りにキャラが動くと気づいたのは、今朝の花壇でクォーツと一緒にあの邪魔な女を追い詰めた時のことだった。
「とにかく、今回の件は後程しっかりと調べさせて貰う。先程預かった書類に関しては、真偽がハッキリするまで一時保留だ」
生徒会長のまさかの決定に、サッとフローラが青ざめる。それは困るのだ、もう今日からでも準備を始めないと、マリン以外のクラスの子達が一切学園祭に参加できなくなってしまい兼ねないのだから。
「待って下さいっ、それはあまりに横暴では……っ」
上半身だけ起こしていたフローラの身体が、再びベッドに倒れる。ライトの左手が、その頬を高い位置から叩いたからだ。
「君や他の生徒が何を言った所で、決定権を持つのは俺だ。これ以上痛い目を見たくなければ、無駄な野心は抱かないことだな」
無表情のまま『行くぞ』ときびすを返したライトに続き、マリンの肩を抱いたクォーツも出ていった。最後に、哀れなものを見るような視線を向けたあと、フライも静かに去っていく。
その残念なものを見るような眼差しに、少しだけ、見覚えがあった。
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一方、医務室を出たマリン達のすぐ前を通った生徒達は、生徒会にホラーハウスを学園祭で出したいと提案していたクラスなのだが……。彼等が申請が通る前から、こっそりおどろおどろしい小道具を用意していることに、この世界の彼等は気づかない。
もちろん、そんなホラーハウスの小道具を見かけて、ドアの隙間から外を伺っていたフローラにも、誰も気がつかないのだった。
~Ep.175 主人公に相応しい力~
『この世界は私のものなのよ、惨めな悪役さん』




