Ep.154 開花は突然に(フライ視点)
僕は、昔から人の心の変動には鋭い方だと思っている。
何故なら、親愛なる兄様と僕の立ち位置や才覚、権威を利用しようと近付いてくる者達の醜い心根を、幼少の頃から嫌と言うほど感じ取ってきたから。
ただ……、自身の大切な感情については、少々鈍いところがあるらしい。
『フライ様は兄君より優秀でありながら、弟と言うだけで下の立場になってしまってお気の毒ですね』
そう哀れんでくる者が居たかと思えば。
『自身の才に胡座をかいて、敬うべき実の兄である殿下を軽んじるなど行く末が恐ろしい子供だ』
と嘲ってくる者が居る。
もちろん嫌だったし、正直うんざりしていたけれど。同時に、心のどこかで諦めていた。
視察の時に偶々見かけた、迷子にならないよう兄に手を引かれて歩く小さな兄弟と、そんな2人を微笑ましく見守る周りの様子を眺めて思う。
自分と兄は、あんなどこにでも居そうな“普通”の日常さえ手に入らないのだと。
別に、仲が悪かった訳じゃない。
幼いときには手を引かれて歩いたことだってあるし、魔術の勉強に至っては家庭教師に習っていた時間より兄に習っていた時間の方が圧倒的に多い位だ。
いつの間にやら僕の世界に(無理矢理)入り込んできた親友2人も含めて、遊んでもらった記憶だって人並みにあるけれど。
僕らを見ている周りの目には、それさえ『兄を見下し言いなりにさせる弟』としか映らない。
幸せな筈の思い出さえ色褪せて行くほどに、周りの批判の囁きは幼かった僕に、静かに、少しずつ……だけど、確実に傷を残していった。
そんな僕の当時の僅かな希望は、全寮制である学院に入ることだった。
そこには、一足先に入学している兄が居り、周りには、今まで散々好き勝手に不躾な噂話をしていた大人達は居ない。
周りが同世代の子供ばかりになれば、多少は……自分も兄も、“ただの兄弟”として見てもらえるのでは無いか。そうしたら、きっと…………。
しかし、現実はそう甘くは無く。
学院に入った所で、僕と兄に対する見解はほとんど変わらなかった。
むしろ、子供の方が言い回しが直球な分、より不快になったと言ってもいい。だからこの頃、僕は正直疲弊していて、誰でもいいから八つ当たりをしたい気分だった。
そんな時期に親友からの手紙に名の上がった、他国のお転婆姫。入学式の日に近付いたのは本当に純粋な興味本意だったけれど、何回か接触していると、段々腹が立つ様になった。
誰かに高いところの物を取ってもらったり、明らかに社交辞令的な誉め言葉も真っ正面から受け取ったり、あからさまに自分に敵意のある者にさえ、……当たり前の様に優しくして。その幸せそうな微笑みを目にする度に、正直、こいつは馬鹿なんじゃないかと、そうとしか思えなかった。
そもそも、互いに如何に利益があるかを第一に人間関係を築いていく貴族社会において、何の見返りも望まない純粋な優しさなんてあり得ないとされている。
彼女も王族なのだから、それを知らない訳がないのに。
そんな彼女は、いつの間にか植物の世話を通じてクォーツと親しくなり、最初は散々敵対していた(一方的にライトが騒いでいただけに近かったけれど)ライトとも、普通に友人として接するようになっていた。その事さえ、当時の自分にはずいぶんと腹立たしかったのだ。
だから、僕はその頃には彼女に冷たくあたるようになっていた。今思えば、完全に八つ当たりだったが、その自覚さえせずに話す度に嫌味を吐いた。(まぁ、彼女はケロッとしていたので半分も伝わってなかった気がしないでもないけど)
……それなのに。
『フライ様とフェザー様は、お互いのことが本当にお好きなのですね』
まるで、『今日はいいお天気ですね』位の気軽さで、彼女はそう言った。
あれは確か、クォーツの妹であるルビーが僕以上に彼女を嫌って、攻撃していた頃だったから、確かまだ初等科の2年に上がったばかりの頃だっただろうか。
普段は人目を気にして兄の誘いを受けても断っていた僕は、あの日に限って偶々どうしても解けない課題があって。それを教わるために、兄と一緒に図書室に居て。
ちゃっかりその場に交ざりに来たと思ったら、彼女は周りから僕達兄弟に向けられる奇異の目などまるで気にすること無く。真っ直ぐにこちらを見て、そう言って微笑んだ。
我ながら、単純な奴だと笑ってしまうけれど。
確かにあの時、僕はあの言葉にほんの少し、救われたのだと思う。
それからと言うもの、彼女はごく自然に僕らの世界に入り込んでくるようになって。
兄の誕生日には、誰かに作らせるのではなく、他人であったはずの彼女が自分でケーキを作るなんて言い出したりして。
ケーキに火をつけたキャンドルを刺すと言い出した時には、やっぱり少々頭がおかしいんじゃないかと思ったし、誤って兄に打つ筈だった“クラッカー”なるものを自分の専属の侍女にかけてしまい、怒られてパニックになる姿には心底呆れたけれど。
それ以上に、ただただ面白くて、数年ぶりに声を立てて笑った。
そうして波乱の末に無事行われた、兄のささやかな誕生祝いの席のあと、なんだかもう、色々な事を気にするのも馬鹿らしくなって。
特になにも意識せずに、外でも兄に普通に接触するようになった。最も、彼女のぼんやりさに振り回され過ぎて、そちらにまで気を回していられなくなったと言う説もあるけど。
気がついた時には、僕と兄の関係を批判する声は、ほとんど聞こえなくなっていた……。
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それから早6年。
先日、かねてから無駄に僕に敵意を向けて来ていたキールが、僕への攻撃の為にフローラに目を付けたので、その意識を彼女から逸らすべく一時的に彼女から離れることにした。
元々彼女は何も預かり知らない我が国内の軋轢が原因であるし、何より、自分のせいでその笑顔が消えるような事は、起きてほしくなかった。例え彼女の隣に立てなくなったとしても、何故だかそれは、とても耐え難かった……。
「まぁ、半分近く取り越し苦労で終わってしまったわけだけど」
呟いて、揺れる馬車の中、自室のものより多少固いソファーにもたれ掛かり目を閉じれば、ふわりと花が咲くように微笑む彼女の姿がまぶたの裏に浮かぶ。
思えば、一人で過ごすふとした時に、彼女に用もなく会いたくなることは今まで何度もあった。しかし、長年意味もわからず募らせてきたそれの理由を、ふとしたきっかけで気づくのだから……僕も案外、鈍感なのかもね。
『僕は好きだな、君のそう言うところ』
いつも通りの賑やかな友達との席の雑談の、そんな些細なたった一言。
実際、口にしたその時は、何も深く考えずに……、むしろ、勝手にこぼれ落ちたと言っても良いくらいで。
その筈なのに、言ってしまってから、妙にストンとその事実が胸に落ちて、まるで最初から答えは決まっていたように……我が物顔で収まった。
誰にもその笑顔を消されたくないのも。
君の言葉だけは、何の壁もなく心に入ってくるのも。
大切な親友達よりも誰よりも、君に幸せで居てほしいだなんて。
そんなの、答えはひとつに決まっている。だから、先手を打った。
「殿下、到着致しました」
従者の声にまぶたを上げて馬車から降りれば、外に広がるは水の都。
その中心足る王城の階段をかけ下りてやってくる彼女を目にして、自分でも驚いてしまうくらい、自然と笑顔が浮かぶのだ。この、誤魔化せない温かな、芽生えた思いの名前とは……。
~Ep.154 開花は突然に~
“初恋”以外、あり得ない




