Ep.153.5 “婚約”と書いて“盾”とする(ライト視点)
少し磯の香りの混ざった穏やかな風が、女みたいに長く伸びた親友の髪を揺らす。
何を考えているのかまるでわからないその背中に、ため息混じりで声をかけた。
「なぁ、お前本当に何考えてるんだ?」
「ん?さぁ、何だろうね」
フライは俺の声に一瞬顔だけで振り返り、ふわりと笑ってまた海へと視線を落とした。元から何を考えてるかわからない奴だけど、今回ばかりは完全には意図がわからん。こんな強引な真似をする奴じゃなかったんだがなー……。まぁ、多少なら想像はつくけど。
「何?さっきあれだけ話したのに、まだ何か不満でも?」
人好きする微笑みを浮かべるその隣に並び立ち、豪奢な造りの柵へもたれた。
つい先程までお邪魔していたミストラルの城も、船上から見上げるとまた違った姿に見える。段々と傾いていく日差しに濃くなっていく影を見上げてぼんやりしていると、あいつは今頃どうしてるかななんて考えてしまう。
(まぁ、悪く言えば流されやすく、よく言えば寛大な彼女のことだ。今頃、混乱しつつも前向きに勉強でも始めてるんだろうな。
「……ふふっ」
「ん?急にどうしたよ」
「いや、今頃彼女がどうしているかと想像したらつい……ね」
「……お前本当性格悪いな」
別に会話してた訳でもないのに同じ事を考えていた事に驚きつつ、いつものような外面でなくさも自然なその笑顔に、こっちは苦笑すら出ない。パーティーの後も、慌てまくりのフローラの事眺めて笑ってたろお前……。
「いいじゃない、君達相手に今更本性隠す必要も無いでしょ?」
「ま、それは確かにそうだな」
にこやかに言われてしまっては怒る気も呆れも起こらない。つられて小さく微笑んで、夕日に染まる空を見上げた。自国に帰り着くのは、どうやら夜になりそうだ。
「ところで、クォーツはどうしたんだい?」
ミストラルの空は綺麗だなと見上げていたら、フライがふと思い出したように聞いてきた。
その問いに、さっきここに上がってくる前に立ち寄った部屋での友の姿を思い出して肩から力が抜ける。あいつは……多分しばらくこっちには来れないだろうな。
「クォーツなら、客室でルビーに今回の婚約について問いただされてるよ」
「おや、それはお気の毒に」
「他人事だな……、元はと言えばお前が原因だろ?」
じっとりと非難の色を乗せた視線で見てやるが、当の本人は飄々(ひょうひょう)としたままだ。本当に図太い……。が、わざわざ自分とフローラだけの婚約にせず、四人まとめての関係にしたのには少なからず全員の為であったこともわかってる。
「お前とフローラの婚約は、今回の件でミストラルとスプリングの間柄が不和になったわけではないと言う牽制になる。以前、一時期俺達や彼女から離れていたクォーツとの婚約の意味も同等だ」
「……そうだね、今は昔と違って太平の世。国家の間柄は平和であるよりほか無いからね」
素直じゃないこいつのことだからもっとごねるかと思ったが、意外とあっさり認められて拍子抜けだ。だが、こちらとしてもその方が話が早いのでそのまま続ける。
「で、俺の周りは言わずもがな、あの女に狙われつつあった……。いい加減、特定の関係を結ばないといけないことはわかっていたし、その相手に最適なのが誰かも理解してたよ、自分でもな」
『ただ、あいつ自身の気持ちを無視して利用しようとまでは思えなかっただけ』
そこまで呟いてちらりと隣を見れば、フライは何故か少し呆けたような顔をしていた。しかし、すぐに笑顔に戻り、『なんだ、ちゃんと気づいてたんだ』と茶化してくる。
「まぁ、やり方が杜撰だしあからさまだからな。ただ、どこか侮れない“裏”があるようにも感じるから……もうしばらくは、監視を続けようと思ってるよ」
今のところ、生徒会での先輩にあたる高位貴族の男子生徒達に取り入って侍らせている位で、直にあの女自身が誰かに危害を加えている証拠は出てきていない。ただ、漠然と、何もしていないとは言い切れない、そんな不安があるのは事実だ。
それはフライだってわかっているんだろう、だからこそ、今回の夏休みで無理矢理にでも婚約にこぎ着けた。
「なんだ、あんなに不満そうに色々聞いてきておきながら、全部お見通しなんじゃないか」
「まぁな、そりゃ長い付き合いだし。当のフローラは、多分その辺の事情全くわかってないだろうが」
「うん、だからこそ今なんじゃないか」
「……は?」
思わず間抜けな声を出してしまったが、隣の男はらしくもなく片目を閉じて目配せをし、再びあいつが居るであろう城の方へと顔を上げる。
話しているうちに船も大分進み、それに応じてここから見える城も大分小さくなっていた。
「ちょっと失礼な言い方にはなってしまうけど、あの子には自分と言う存在の価値をちゃんとわかって貰わないとね」
「……それは同感だな」
とは言え、俺達の婚約者になったら今まで以上に価値……と言うか、身分がつり上げられてしまう気がするんだが。
そう言ったら、フライはその点を踏まえて尚、ただの仲の良い学友で居るよりは婚約者の方が良いだろうと言う。理由を、問えば、『だってあの子、どのみちいつでも危なっかしいじゃない』と笑った。
そして、『女性のやっかみは恐ろしいからねぇ』と遠い目をされてしまえば、以前廊下で同級生の女3人に絡まれていたフローラを助けようとした時にこいつに止められた事を思い出す。確か、あれは初等科のクリスマスの時だったか。
なるほど、そう言うことか……。
「……婚約者なら、俺達に守られるのも“当たり前”になるって事だな」
俺の答えを聞いて『正解』と満足げに笑うその顔は、やっぱり今までとどこか違うような気がするんだが……まぁ、悪い方向への変化でないから良しとしよう。
事実、“皇子三人の婚約者”と言う立場は、無論リスクもあるがメリットも大きい。彼女にとっても、俺達にとっても。
権威的に見れば、あまり力を大っぴらに振るわないミストラルは弱そうに見られがちだが、実は国土的には一番バランスが取れており、この国の高位貴族や王族と懇意にしたがる者達は多いのだ。
その一番の理由は、ミストラルのそこかしこから湧き出ている美しい“水”。
何一つ手を加えずとも安心して飲用にする事が出来る上に、湧き出る場所によっては微量ながら魔力を帯びており、様々な効能があるのだ。
生命の維持に、そして国の衛生の為に、安全な水は不可欠で。
だが、その入手方は限られている。いかなる大魔法使いでも、汚れた水を浄化することは何故か出来ないのだ。(一応、何百年か前に浄化の力を持つ女性魔導師が居たそうだが、彼女はミストラル人だったので結局他国は恩恵を受けられなかったそうだし。)
無論、うちの国も、フライの国スプリングも、クォーツが暮らすアースランドにも全く水が無いわけではないが、やはり欲しいものは欲しいのだろう。
実際ミストラルの王様はそれをよく理解していて、水の価格と流通量を絶妙にコントロールしていらっしゃる。見た目はフローラに似て穏やかで人当たりの良さそうな方だが、やはりあの方も“王”の器なのだろう。
そして、逆に他の3国は、ミストラルにはない武力、財力、(水以外の)資源等をそれぞれ持っている。あちらとしては、どこに転んでも万々歳だと言って良い。そして、四人の立場を対等にしての婚約は、今後の政治上、無用な争いを起こしにくくする牽制にもなり、4カ国の結束を深める一種の架け橋となりえるのだ。
随分と長くなってしまったがつまり、この婚約には《政治的なメリット》が多々ある。つまり、万が一俺や、フライや、クォーツに思慕の念を抱き、あいつに嫉妬による悪意を向ける者が居ても《政略結婚》だからと言い訳が可能と言うこと。
そして、それでも尚、彼女に危害を与える愚か者が現れた折には……
「もちろん、問答無用で叩きのめすよ。構わないでしょう?“婚約者”を護るくらい、男の当然の義務なんだから」
と、言うことだ。確かにごもっともなんだが、そんな綺麗な笑みで言われるとちょっと恐ろしい。
「あー、二人とも居たぁ~……」
内心ちょっと引いて一歩後ずさったところで、不意に船内から甲板へ続く階段下から響く力のない声。
疲れを隠す気力もないその様子に苦笑しつつ、片手で手招きしてこちらへ来るよう促す。いいタイミングで来てくれたぜ、丁度話をそらしたいと思ってたんだ。
「お疲れ。尋問は無事終わったのか?」
ぐったりしたその背中を擦りながら言えば、海へと視線を落としたクォーツは『全っ然大丈夫じゃないよ』と呟いた。
「ルビーったらおかしなことばっかり言うんだもん。『いくらなんでも鈍感すぎる』とか、『ライバルの戦略を逆手に取るのですわ!』とか……」
「はぁ?確かに意味不明だな。てっきり『私の許可なく婚約だなんて!』的なお叱りを受けてるもんだとばかり思ってたぜ」
なにせ、いくらフローラを慕っているとは言えど、ルビーは重度の兄依存症だから。
しかし、そんな俺とクォーツの会話に、フライだけが何故か難色を示す。
「僕も自覚したのはつい最近だしあまり偉そうなことは言えないけれど……、本当に気づいてないんだね。……いや、認めるのが恐いのかな?ライトに至っては本当にどっちなのかまだわからないけど」
「ん?何か言ったか?」
何か聞こえた気がして聞いたんだが、首を横に振って誤魔化されたのでひとり言だったんだろう。
クォーツはクォーツで、海風に吹かれて気持ちも落ち着いたのか、ぐったりしていた顔にも大分生気が戻ってきている。
「あれ、そう言えばフェザーお兄さんは?今日は一度も会ってないよね」
「あぁ、そう言えば俺も会ってないな。来てなかったのか?」
確かに、今までは毎年兄弟仲良く参加していたのに、今年に限って居ないだなんて。
だが、『ちょっと野暮用でね』と濁すその様子を見て、フリードが先日持ってきた情報の話が頭を過る。
「例の件の調査か?何でか知らないが、結局キールの家はつぶれたも同然になったそうじゃないか」
「えっ!そうなの!?」
左隣に立つクォーツが驚いている所を見ると、まだこの話は広まっていないらしい。当然と言えば当然か。王族の意図とは違った事態だろうし、上手く圧力をかけて広まらないようにしているのだろう。
「ふふっ、本当に情報が早いね。頼もしい限りだよ」
「うわ、じゃあやっぱり本当なんだ……。キール君どうするの?」
「彼自身の三年分の学費はもう納められているし、ちょっとやってもらわないといけないことがあるからね。中等科にはこのまま通ってもらうよ」
「まぁ、あくまで今回の被害者はお前とフローラだから別に構わないが、本当に寛大なことで」
本来なら、身分剥奪の上市街に身一つで放り捨てられても文句は言えなかったはずだ。何しろ、あの逆恨み馬鹿が薬草園に手を出したことで、スプリングには今、もうひとつ厄介事が起こっている。
「だからこそさ。いくら表向き許したとは言え、随分と精神的な迷惑を被ってきたからね。笑い者になるくらい、我慢して貰わないと」
「……フライの笑顔が久々に恐い」
「今さらだろ、何せ本性は魔王だぜ」
「何か言ったかな、親友諸君?」
「「いいえ、何もーー」」
悪魔も真っ青な完璧な悪魔の微笑みを浮かべる友から、クォーツと二人して一歩距離をとる。こいつ、本当に飾らなくなってきたな。良かったような、末恐ろしいような……。
「フライったら、本当に素を誤魔化さなくなったよね。仲間として頼もしい限りだよ、……敵にはしたくないけど」
「へぇ……。じゃあ、精々僕を敵にしないよう頑張ってね?」
クォーツも、昔よりずっと平気で本心で笑い合えるようになった。
そうした変化はきっと、彼女が運んできたもの。そう考えたら、プレゼントを渡していた時には笑って一蹴してしまったが、護るくらいのことはしてやるべきかなと思えた。
ーー……なにより。
(あいつが笑ってないと、何か変な感じなんだよな)
最後に船が出る際、人目のせいで手こそ振ってこなかったが、あれだけパニックになっていたくせに最後は満面の笑みで見送ってくれたその姿を思い出して頬が緩んだ。
まぁ、婚約も別に悪くはない。側に居やすくなるだけだから。
「で?最後に言ってた視察ってなんだ?いくら婚約者と言えど、漏らして良い情報は限られてるんじゃないか?」
「それはもちろん、わかっているよ。今回の話は国家機密がらみじゃない、“四大国公然の秘密”の場所の方さ」
「あぁ、お怒りを買っちゃったって話本当だったんだ……」
「そりゃ、あれだけ薬草園荒らされて、しかも黒魔術に使われちゃなぁ」
「だから、フローラに来てもらうんだよ。僕の知る限り、他に適任が居なくてね」
ただただ笑顔だが、その裏に潜む『断らせない』圧が半端じゃない。
くれぐれもフローラに負担をかけないようにとクォーツが一生懸命説得している声を聞きながら、俺は幼い頃文献で読んだ、ある一説を思い出していた……。
~Ep.153.5 “婚約”と書いて“盾”とする~
『扉の先は神の森、真に契りを結びたくば、清らかな乙女と共に参れ』




