Ep.143 当事者同士のお節介
『さてと……、どこから話そうか?』
ぐっと両手を握りしめた右手で、僅かに滲んだ視界を戻そうと両目を擦る。
「……学校に行けば普通に姿が見れて、話しかければ声が届いて、……同じこの場所に、生きているのに。」
この身体になってから、本当に久しぶりに声を張り上げたから喉を少し痛めたのか、絞り出すように吐き出した自分の声は僅かに掠れていた。だから、この声が今にも泣き出しそうに震えているように聞こえるのも、きっとそのせいだ。
「甘ったれてるんじゃないわよ……!」
「なっ……!ーっ、お前に何がわか……」
「貴方よりはよっぽどわかるわよ!!貴方はフライが嫌いなんじゃなくて、ただ彼が自分の方を向いてくれないのが悔しくてダダ捏ねてるだけじゃない!ましてや周りの関係ない人達まで、自分のワガママに巻き込むのは止めたら?」
ライトやフェザー皇子の話だと、キール君はお姉さんの一件があって以降ずっとフライとその周りに対してこんなことを繰り返しているらしいけど。ろくに相手に向き合おうともしないで攻撃して、それで振り向いてもらおうなんて卑怯だわ。
第一、その一件の内容からしてフライ何にも悪くないし。
「……お姉様の事は気の毒だとは思うけれど、貴方がフライにしているのはその復讐ですらない。ただの幼稚な嫌がらせだわ。」
「ーー……っ!わかりました。」
「え……?」
感情任せに捲し立ててからキール君の顔を見るけれど、先程より更に俯いたことで光の当たり方が変わったのか、眼鏡が真っ白に反射してしまってその目からは何も感情が読み取れない。
その状態のまま扉から手を離してテーブルの方へと歩いていく彼に、ただ首を傾げた。とりあえず、これはこの部屋から立ち去るタイミングなのかなと、壁にかけられた時計に視線を移す。
……だから、気づかなかった。キール君が一番手前の小さな引き出しを開けて、小さな香水瓶のようなものを取り出したことに。
「あいつへの痛手になるよう少しだけ痛め付けて終わりにする気だったが、そこまで知られているとなれば話は別だ。」
「え……?」
『今、実験台が欲しかった所だ、実に丁度良いよ。』と。
そう呟いたキール君が、怪しい液体の入ったボトルをこちらに向けた。
反射的に逃げなきゃと思って扉に手をかけるけど、さっき私の身体が叩きつけられた衝撃で立て付けが悪くなったのかなかなか開かない。
「安心していい、死にはしないさ。ただ、少し記憶と感情を弄るだけだ。」
「……っ、まぁ、結構なご趣味の薬ね。フライに使う気だったの?もしそうなら、貴方本当に身を滅ぼすわよ。」
牽制にすらならないだろうけど、せめてもの反抗に彼を睨み付けながら、なんとか両手で扉を動かす。とは言え、まだまだ時間がかかりそうな状態だ。
あれが揮発性の高い薬かもわからないから、密室であるこの場であの瓶を叩き割るわけにもいかないし……。これは本気でまずいかも……。
「さぁフローラ姫、お休みの時間ですよ。」
「……っ!」
その言葉に慌ててハンカチで口と鼻を押さえたけど、その直後に私は、鼻じゃなく耳を押さえればよかったと後悔することになる。
と、言うのも、キール君の背中側にあった棚が何の前触れもなくいきなり倒れて、金属のぶつかり合う音やガラスの割れる音が部屋中に響き渡ったから。
み、耳がキーンとする……!
「くそっ……何事だ!?倒れるような物の積み方はしていなかったはずなのに……!」
驚いたのはキール君も同じだったみたいで、片耳を押さえながら倒れた棚の側にしゃがみこんだ。一瞬怪我でもしたのかと頭をよぎったけど、倒れた場所は私たちの立ち位置から大分離れてたし、血とかも出てないみたいだから多分大丈夫だと判断する。
丁度扉も人ひとりが通れるくらいには隙間が開いたので、逃げるならきっと今だとするりとそこから脱け出した。
「あっ……!」
その拍子に扉に髪留めのリボンが引っ掛かっちゃったけど、流石に回収出来ずに諦める。
帰ったら、またハイネに怒られるだろうなぁ……。
それにしても、キール君のさっきの話……なんかどっかで聞いたことがあるような。私の気のせい?
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静まり返った部屋の中、僅かに隙間の開いた扉からそっと中を覗き見る。
はしたない行為であることは百も承知で居るけれど、もう授業の始まってしまった校内には人目がない。だから、誰かに咎められる心配も無いと自分の気持ちを落ち着かせることが出来た。
「ーっ!キール……!」
でも、次の瞬間目に飛び込んできた光景に落ち着きなんて見る間に消え去って。棚が倒れ、色々な物が閑散とする部屋の中で、頭を抱えている彼に駆け寄る。
「大丈夫?一体何が……!」
目の前に座り込んで、その整った顔を見上げて小さく息をつく。よかった、怪我はないみたいで……。顔の怪我に見えたのは、単に跳ねたインクがついているだけだった。
「顔にインクが……、拭った方がいいわね。」
「……っ、馴れ馴れしく触るな!!」
「きゃっ……!」
利き腕で勢いよく振り払われたことで、差し出したハンカチが勢いよく床に叩きつけられる。
グシャグシャになった真っ白いそれが、様々な薬品を吸って不気味な色に染まっていく。
それはまるで、今の私達の心そのものを示している様だった。
「キール……。」
「呼び捨てにするな!お前まで僕をバカにするのか!?」
「そんなことは……っ」
『ないわ』と続ける前に、よろけながらも立ち上がった彼が扉の溝に引っ掛かったレースのリボンをその手に取る。
「それは……?」
「……フローラ姫の物だ。あの女……、フライ共々いつか僕の前にひれ伏させてやる……!」
その言葉に、彼には気づかれないように眉をひそめてしまう。
フローラ姫がここに来たというあの特待生さんの情報は確かだったようだ。
「フライの髪留めは取られたが、代わりに彼女が置き土産を残していった。やはり、彼らの関係性にはまだ利用価値がありそうだな。」
こちらへ向き直って語っているのに、彼の瞳には私は写っていない。
「……どうして。」
「……?何だ、何か言ったか?」
フローラ姫のリボンを棚の一番上の引き出しにしまいながら、彼がチラリと一瞬こちらを見る。
でも、俯いたまま応えない私の姿に、その視線はさも興味も無さそうにすぐに別のところへ移っていった。
「授業はもう始まってしまったな……。一緒に行くと妙な勘繰りを受けそうだし、僕は医務室に寄ってから教室へ行く。お前も早く戻れ。」
「……はい。」
早口でそう言い切った彼は、消え入りそうな私の返事など気にも留めずにさっさと出ていって。
私は、その背中を無言で見守ってから、引き出しを開いてそっと例のリボンを取り出した。
「……一度あの方と、ちゃんと話さないといけないようね。」
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「さて……と、何か弁明があるなら聞こうか?」
そう言って微笑むその人は、まるで地獄の審判者のようでした……。
「って、何この取り調べ的な状況!?」
「ふーん……、まさか身に覚えがないって?」
「……いえ、あります……!」
反抗した私に向けられる冷ややかな空色の瞳に、肩を縮こまらせて答える。
そんなフライの少し後ろで、呆れ混じりに苦笑したライトと、心配そうにオロオロしているクォーツの姿が見えた。
どうしてこうなったかと言うと、全ては今朝、私がキール君から逃げ出した直後の出来事に遡る。
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『どうしよう、とりあえず教室に……ん?』
とにかくあの場から離れなきゃと階段をかけ下りて来たけれど、果たしてこんな髪やら服やらが乱れた姿で教室に行って良いのだろうかと頭を抱える私の耳に、コツコツとガラスを叩くような音が届いた。
反射的に辺りを見回したけれど、特に異常は見当たらなかったので気のせいかと次の一歩を踏み出す。
……と、次の瞬間。
『~~っ!!?』
キィィーッッ!という、ガラスを引っ掻く嫌な音が廊下中に鳴り響いた。小学校とかで誰もが一度は耳にした、爪とかで黒板を引っ掻くあの音だ。
驚いて音源の小窓を見れば、傷のついたガラスからこちらを伺う白い影が。あれは……!
『ブラン!?』
『やっと気づいた?全く、本当に鈍いんだから……。』
慌てて窓を開けると、ふわりと胸に飛び込んでくる小さな身体。
手触り抜群の毛並みをそっと撫でながら話を聞くと、どうやらさっき棚を倒してキール君の気を逸らしてくれたのはブランだったらしい。
『全く、心配してきてみたら案の定だよ。あんまり危ない真似しないでよね!』
『うん、ごめん……。ありがとう、ブラン!』
『わっ!ちょっ、止めてよ!!』
ぎゅっと抱き締めてスリスリしたら、身をよじらせて逃げられた。ちょっとショック……!
でも、制服汚れるよなんて言われてしまっては反論も出来ない。仕方なしにブレザーについた毛を払いつつ、ついでに乱れた服装を整えていたら後ろから何人かで走る足音が聞こえてきて。
『フローラ!見つけた……!』
『……あー、何をやらかしていたかは一目瞭然だけどな。まぁ無事で何より。』
『何よりじゃないよ。全く、君って言う人は……!』
『クォーツ!ライトにフライも……。え?あれ、三人一緒……??』
久しぶりに見る並んだ姿に更に混乱する私に、ライトが訳を話そうとしてくれたんだけど。もうすぐにでもチャイムが鳴るので『各国の王族四人がまとめて遅刻はまずいよ』というフライの鶴の一声によって“詳しい話はじっくり放課後にする”という約束をまんまと閻魔様に取り付けられてしまった次第なのでした。
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「……はぁ、無鉄砲だとは知っていたけど、まさかここまでとは……!」
「ご、ごめんなさい……。でも私だって当事者なんだし、どうにかしなきゃと思って……。」
そんなわけで、洗いざらい大体の流れを話した私に閻魔様……もとい、フライががっくりと肩を落とす。
「まぁ、今回ばかりは勝手に一人でどうにかしようとしたお前にも非があるってことで。」
「……っ、まぁ、それはそうだけど……。」
ポンッと肩を叩いて言ってくるライトを睨み付けるフライと、それを飄々と受け流すライト。これじゃ、今までと真逆だ。
「……全く、君達は本当にお節介だね。フローラ!」
「は、はい!」
「内情を僕から聞いたら、本当に後戻りは出来ないよ。それでも聞きたい?」
いつもの感情が読み取れない、一線を引いた目じゃない。真っ直ぐに、でも、何処かこちらを試すようなその眼差しに、私はしっかりと頷いた。
~Ep.143 当事者同士のお節介~
『さてと……、どこから話そうか?』




