Ep.142 『住む世界が違う』なんて
『そんな簡単に、言わないで。』
窓もドアも閉め切られている筈の部屋の中を、一筋の冷たい風が吹き抜けた……気がした。
私が突き付けた薬草をちらりと見て、キール君はその鋭い双眸を強く閉じる。まるで、見たくないのだと言わんばかりに。
「……それが、一体なんだと言うのです。」
「……っ!?」
そうしてしばらくして、ゆっくりと開かれたその瞳は、酷く淀んだ色を滲ませてこちらを向いていた。
「それらは全てただの薬草で、ここは実験室です。なので、私はここで薬品の調合をしていたに過ぎません。」
『だから、貴方に糾弾される謂れなど無い』なんて、どこを見ているのかもわからないような眼差しをしたキール君が呟く。
そんないつものキール君らしくない屁理屈を聞き流しながら、私は先程拾い上げたフライの髪留めをしっかりと握り締めた。
そして、今一度辺りに散らばる薬草の種類を確認する。
「ーー……マンドラゴラにベラドンナ、それにアコナイトまで……。」
細かく刻まれた葉の残骸を見れば、他にも多種多様な薬草が散らばっているのがわかる。そしてこれらの葉っぱは、アコナイト以外はどれも上手く使えば薬になるけれど、一歩間違えれば猛毒となるものばかりだ。
ここ1~2週間、本でみっちり薬草について読み漁ったのだから間違えようがない。その知識を始めに与えてくれた人を自ら責め立てるこの事態は、とても心苦しいけれど。
私は、この事態を見逃せない理由を、実はもうひとつ持っている。
「先日、先生方からガーデン係に密やかな伝達がありました。薬草の温室から盗まれたであろうそれらは、……“黒魔術”の類いに、利用されるものだと。」
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「それにしても、お前とキールの確執があんなに根深いものだとは知らなかったよ。」
いくら早朝と言えども僅かに先生方や生徒が登校を始めているためか、急いている気持ちをにじみ出させたライトが隣でそんなことを呟いた。
彼もクォーツも、彼の家と我が王家の確執は知らなかったはずだし、僕自身がほんの少し前に知った事実だったので一瞬首をかしげたけれど、昨日彼がフローラと共に兄さんに会いに行ったという話を思い出してみれば合点がいく。
「……聞いたんだ?」
「あぁ、どうせお前自身に聞いたっていつもみたいにはぐらかすだろうからな。」
「心外だな、僕はいつでも己に正直に生きているつもりなんだけど?」
そう言った瞬間重なった『絶対嘘だ!』と言うライトとクォーツの声がおかしくて、はしたなくも僅かに声を漏らして笑ってしまう。まぁ、確かに嘘なんだから彼らの叫びはなんら間違ってはいないのだけど。
遠目にそんな僕たちを見ていた辺りの人々は、久しぶりに僕らが三人でいることがそんなに珍しいのか興味深そうにこちらの様子を伺っていた。本当にお暇なことだ、羨ましいよ、全く……。
「元はと言えば全ては彼の姉君が引き起こしたことなんだから、逆恨みは止めて欲しいんだけどね。まぁ、今さら何を言っても無駄なんだろうけど。」
「……だからって、このまま泣き寝入りは出来ないんじゃない?今回はフライが上手く標的を逸らしたけど、またフローラにとばっちりがいきかねないし……。」
最後の部分だけ眉をひそめてそう呟くクォーツに少しイラッとして、『つまりクォーツは僕よりフローラが心配な訳だね』とチクリと言葉の矢を刺してみる。
案の定僅かに顔を赤くして『そっ、そんなことは……!』と慌て出した彼に、僕は苦笑し、ライトは不思議そうに首をかしげた。
目的地まではあとわずか、階段さえ上がればたどり着くけれど、走れないせいで彼女までのこんな僅かな距離がもどかしい。頼むから、今胸に渦巻いているこの不安が当たらないように祈りつつ、僕らは僅かに足を早めた。
「あれ……?」
「ライト、どうしたの?立ち止まってる暇無いよ。」
「いや、今白い毛玉が窓の外をハイスピードで飛んでいった気がしたんだが……。まさか、な。」
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私なりに核心をついたつもりだったその一言に、キール君は動じるでも、焦るでも、怒るでもなく、口元だけを器用に動かしていかにもこちらを見下すような嘲笑を浮かべた。
「確かにこれらは非常に強い効果を持つ薬草ですから、黒魔術の類いにも使用された事例はあるでしょう。フローラ様“も”、私がそんなことも知らぬような役立たずだと仰るのですか?」
「ーー……そんなことは一言も申し上げておりませんわ。私が聞きたいのは、これらの危険性をよくご存じであろう貴方が何故これらを使って実験を行っていたかです。」
『第一、一体どこで入手したのですか』と訪ねたけど、僅かに震える自分の声は酷く情けなくて、彼にちゃんと届いたかはわからなかった。
ただ、そこに関しては彼の嘲笑が僅かに深くなったことから、ちゃんと聞こえたのであろうことがわかる。
「別にどこからでも構わないでしょう?薬草自体は、所有していたとしても何の罪にも問われないただの植物なのですから。」
「……各国の法律上では、確かにそうですわね。」
こちらが肯定するような返事をしたことで、キール君は勝ち誇ったように先程までよりしっかりした声で『さぁ、他にご用件がないのなら速やかにお帰りください。』と、私の横を通り抜けて、背中側にあった扉を僅かに開けた。
でも、そんなキール君の手を挟まないように気を付けつつ、私自身の手でその扉を閉め直す。まだ、話は終わってないから。
「確かに、キールさんの持つこれらは、世間的にはあくまでもただの植物です。ですが、今の学院内ではどうなのでしょう?」
「……?何の話です?」
今度は、嘲笑や小バカにした感じの無い、純粋な疑問の声が返ってきた。その事に違和感を覚えつつ、私は制服のポケットからある紙を取り出して広げる。そこには、今まさにこの部屋に集まっている薬草達の名前がずらりと並んでいた。
「それは……?」
「先日ガーデン係に配られた、『温室の薬草盗難事件』で“盗まれた”薬草のリストですわ。」
「……なるほど、そう言うことか。あの女……足のつくことを。」
「え?」
最後の方がよく聞こえなくて聞き返したけど、『こちらの話です』と誤魔化されてしまう。今、“女”って言った……?
「……とにかく、この薬草達と、フライ様の髪留めを貴方が持っていた件については、私も見逃すわけにはいきません。これらに関しては、生徒会できちんと調べさせていただきます!」
とにもかくにも、僅かに動揺しているキール君に畳み掛けるならここだと最後の一言を強気に言い放つ。まぁ、実際に調べるのは生徒会って言うか私とレインとライトとクォーツ、それにフライの五人くらいになるだろうけど、一応嘘は言っていないので良しとしましょう。
「こちらは証拠として押さえさせて頂きますわ。先日、私と個室を共有してくださった“本来の目的”も気になりますしね。では、失礼……、ーっ?」
口調は強気にできても、私の中身はただ臆病なド庶民なので、ボロが出ないうちにさっさと撤退……しようと思いきや、すごい力で扉がしっかりと押さえつけられていて開かなかった。
言わずもがな、キール君が扉を押さえて開かないようにしているのだ。
「……離してください。」
「何故、貴方が殿下の為に動くのです。所詮は他人でしょう。」
「……他人じゃないです。同じ役員をしている仲間であり、友人です。」
「仲間?いいや、あいつにはそんな情など存在しないさ!!」
「きゃっ……!」
途端に荒々しくなったキール君に怯んだ隙に、腕を掴まれ扉に叩きつけるようにして追い込まれる。
体勢を崩したときに捻ったのか、右足首に鈍い痛みを感じる。でも、そんなこと今はどうでも良い。
至近距離で見下された状態のまま、頭ひとつ分高いキール君の顔を睨み付けた。
「そんなことはありません、貴方に何がわかると言うのですか。」
「初等科に入ってから凡そ6年半、“僕”はずっとあいつとその周りの人間を観察していたんだ。もちろん、貴方のこともね。だから、わかるんですよ。」
「……何がです。」
掴まれた腕を振りほどこうとする私を抑え込んで、暗い笑みをより一層深くしたキール君は『貴方は、あいつや他国の殿下方とは違うでしょう?』と口にした。
いや、性別からして違うしそれはそうだけど……。
怪訝そうな顔でもしてたのだろうか。私のリアクションに気をよくしたらしいキール君が、先程までとは人が変わったように流暢に語り始めた。
「性別の話じゃない。彼等は、学問にも、武術にも、魔術にも秀でている。」
「……それは私もよく存じ上げておりますが。」
『それが一体なんだと言うのですか』
そう問い掛けようとしたけど、光を無くしたその瞳があまりに哀しそうで言葉に詰まる。
でもその双眸は、言い返そうにも言葉が出てこなくてまごついている私を捉えるなり侮蔑と哀れみの色に変わった。
「自身でもよく知っているだろうに、認めたくないんだな。だが、いくら足掻いても無駄さ。貴方は“こちら側”の人間だ。」
「……何のことか、皆目検討がつかないのですが?」
何が言いたいのかわからないけど、とりあえず良い話ではないことがわかるので身構えてしまう。
そんな強張った私を見ているようで、どこか別の場所を見ている彼は、抑揚のない声でこう言った。
「彼等は、僕たちとは元から“住む世界が違う”のさ。だから、競っても、対話しても、争っても追いかけても、何をしたって僕等の声は届かない!聞く気なんてない……いいや、聞こえてすらいないのさ。」
廊下にまで響いていそうな声量で吐かれたその台詞に一瞬頭が真っ白になって、ガクンと膝から力が抜ける。
「ーー……?」
それが意外だったのかわからないけど、私が体勢を崩したことで腕を拘束しているキール君の力が緩んだので、その隙に彼を振り払って数歩距離を取った。
「ちっ……!只の世間知らずかと思えば、意外にやるじゃないか。でも、この程度じゃ所詮……」
「…………ないで。」
「……?何だ、何か文句でも?」
怪訝そうに目を細めた彼を今日一番に強く睨み付けて、私も負けじと良い放った。
~Ep.142 “住む世界が違う”なんて~
『そんな簡単に言わないで……!!』




