Ep.138 『信じたい』って思うから
『もう少しだけ、待ってるね。』
部屋中に散乱した、魔術から武術から学識までごちゃ混ぜの大量の書物。
装飾の施された立派なはずの机の上には、刃物でズタズタに切り裂かれた殿下のお写真と共に、妙な薬品を作る機械が組み上げられていた。
いつの頃からか、随分と見慣れた光景になってしまったけれど。その光景に、確かに狂気染みたものを感じるのはきっと気のせいじゃない。
……彼の部屋は、いつからこのようなことになってしまったのだろうか。
「……ねぇ、まだ続けるの?」
おずおずと声をかければ、彼は丁度読み終えた本を閉じて、座面が回る椅子ごとこちらに振り向いた。
「あぁ、もちろんだ。今度こそ、あいつを地にひれ伏させてやる。」
「でも、学院に入ってからは落ち着いていたそうじゃない。なんでまた急に……?」
私の言葉に一度深く俯く彼。気に触ったのだろうかと恐る恐る歩み寄れば、彼は鋭く光る眼鏡を外して私の顔を見上げた。
でもその深緑色の瞳に、私は写っていない。
「ーー……機を窺っていただけだ、端から諦めた覚えはない。僕はあいつを僕より下に引きずり下ろすためなら手段は選ばない。」
「……何も、そこまでしなくても。」
「なんだと……?」
最後に呟いた一言は単なる独り言のつもりだったのだけれど、気が立っている彼は聞き逃してはくれなかったらしく。
その双眸を更に鋭くして私の両肩を勢いよく掴んだ。怒りも手伝ってかかなりの力で掴まれたので、ズキリとそこに痛みが走る。
思わず痛みに顔を歪めると、ハッとしたような空気の後その手は静かに離れていった。
「……とにかく、勝ちさえすれば良いんだ。そうすれば、父上も周りも僕を認めてくれる。その為には……」
「その為には?」
「……その為には、そう。まずはあいつを引きずり下ろすんだ、僕の元まで。」
「……?どういうこと?」
鈍く光る彼の瞳を見つめ返しながら聞き返すけど、最早その声すら届いていないようで。ただうわ言のように、『引きずり下ろさなくちゃ』と繰り返す。
「……彼女が言っていたんだよ。僕とあいつが勝負にならないのは、住んでいる世界が違うからだって。」
その言葉に出てくる“彼女”が誰なのか、彼がなぜこんなにも殿下に敵意を燃やすのか、私には何もわからず。ただ、言い様のない漠然とした不安に、ただ“何かしなければ”という焦燥に駆られるのだった……。
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レインの機転のお陰で、二人で夕食を食べたあの日以来花瓶は一切置かれなくなったのでした。事情を話したら、ライトとクォーツはこんなのその場しのぎにしかならないって眉をひそめてたけど、今は二人ともそれ以上に気になっている事があるのでそれ以上は何も言ってこないみたいで助かる。
「フライ様、夏期休暇はなにかご予定がおありですか?もしお暇があれば、我が家の船に乗りに来ては頂けません?きっと楽しいですわ!」
「いえ、それなら是非我が家へ!近くに美しいと評判の湖がございますの。フライ様に是非見ていただきたいですし、私がご案内いたします!!」
ここ最近フライの両隣をキープしてる気の強そうな女の子二人がいがみ合うのを、涼しげな笑顔で『どちらも魅力的な話だね』なんて答えるフライに、私とレインの目の前でお茶を飲む二人の眉間のシワが深くなる。
「二人とも、顔怖いよ。」
「だって、あれはいくらなんでも……。って、お前口調っ……!ここ中高共有の学食だぞ?」
「あれだけフライ達に注目が集まってたら誰もこっちの会話なんか聞いてないよ。それより、二人がそんな険しい表情してたら余計に噂を増長させるだけだよ。ほら、クッキーでも食べて落ち着いて?クォーツもね。」
「う、うん、頂くよ……ありがとう。」
「クッキー食べてる場合かよ、お前が一番の当事者だろ……!」
「じゃあ、ライトはいらない?」
「いや、食べるけど!」
わざとらしくライトの前からクッキーの盛られたお皿を動かすと、勢いよく手を掴んで止められる。ほらー、やっぱり食べたいんじゃない。
「私もクッキー貰おうかな、いただきます。」
「うん、召し上がれ。」
レインも二人に続いてクッキーに手を伸ばして、口に運ぶとちょっと驚いたように目を見開く。
「これ、美味しいね!なんかいつものクッキーより薄いけど。」
「それ、ラング・ド・シャだからね。」
ラング・ド・シャは卵白を使って作るうすーいクッキーで、ザラザラした表面と軽くてパリッとした食感が特徴のクッキー。語源は、表面のザラザラ具合が似ていることから“猫の舌”なんだって。……ちょっと食べようとしてた一枚の表面を指で撫でてみるけど、確かにブランの舌に似てる……かな?よくわかんないや。
「これにチョコやジャムを挟んでも美味しいよ。」
「そうなんだ、バリエーションが豊富なのね。」
パリパリと並んでクッキーを咀嚼する私とレインに、ライトが改めて『だからそんな話してる場合じゃ……!』なんてがっくりと肩を落とす。
「まあまあ、ライトも落ち着いて。……とは言え、実際問題フローラはちょっと暢気すぎるよ。ライトもさっき言っていたけど、君が一番の当事者なんだから……。」
『僕たちからしたら、心配で仕方がないよ』なんて、ちょっと哀切さえ感じさせる眼差しで言われてしまうと、流石にちょっと罪悪感が湧いて目を逸らすしかない。ごめんね、心配ばっかりかける悪い妹で。
でも、“当事者”って言われるわりに今はもうそれといって目立った被害は無いんだよね。レインのお陰で花瓶が無くなったのはもちろんだけど、今日に関しては最早噂話も大分下火になってきた……と、思う。
何でかって言うと、やっぱりそれは私達の視線の先に居る彼のあまりの変わり様に皆の関心が移っちゃったからなんだろうけども。でも……、その分フライの評判が段々下がっていってるのが心配だなぁ。
「私ももちろんだけど、今はフライが心配だよ。男子からの評判、下がってるでしょう?」
「あぁ……まぁ、あの様子じゃ……な。庇いたくても言い訳のしようがないんだ。」
「ーー……。」
ライトは首を捻りながら『アイツのことだからまたなにか策があるんだろうが』なんてため息をつけるくらいには落ち着いてきたけど、クォーツは未だ険しい顔でフライ達の方を見るばかりだ。
「……どんな策があったにせよ、フローラに火の粉がかかるようなこのやり方はあんまりだよ!!」
「……自分だって一時俺らやフローラのこと避けてたくせに。」
「……っ!」
ぽつりと落とされたライトからの一言に唸りつつ、クォーツが『それでもやっぱりこんなの良くない!』なんて声を荒げてフライ達の方に文句を言いに行こうとした。……、ので。
「まあまあ、落ち着いて。」
「あいたっ!ちょっとフローラ……。」
私とライトでそれぞれシャツの袖と襟首を掴んで引き留める。勢いよく引き留めたことで今クォーツの首グキッて言ってたけど、大丈夫?
「何で止めるのさ!」
「こんなところで文句なんか言いにいったら騒ぎになるからだろうが。」
「そうよ、最近のクォーツは好戦的すぎるわ。まぁ、原因はわかってるけど……。とにかく、紅茶でも飲んで落ち着いてね。」
クォーツに紅茶を差し出しつつも一瞬レインが私を見た気がしたけど、なんで?私もなにか言えってこと?
「……あの、」
「フローラはどう思ってるの?」
とりあえずなにか言わなきゃと思って口を開いた所を、真剣な声で遮られる。
私?私は…………。
「別にどうとも思わないよ。ライトも言ってたけど、フライのことだからなにか考えがあるんだろうし。……きっと、大丈夫だって信じてるから。」
おかしくなる前の日フライが言った、あの言葉を、私も信じるよ。
「だから、話すなら人が居ないところでゆっくり……ね。」
宥めるように微笑んで言った私に毒気を抜かれたのか、クォーツはバッと顔を逸らしつつも気が抜けたように席に戻る。
「……僕の時となんか態度違わない?」
「え?」
「ーっ!な、何でもない!」
「お前……最近感情の起伏激しすぎやしないか?一体何が不満なんだよ……。」
「僕だって自分でもワケわかんないよ!もう……!」
ぼそりと吐き出された最後の一言は上手く聞き取れなくて聞き返したんだけど、目も合わせて貰えないまま誤魔化された。追及しようにも、ライトとヒソヒソ声で別に話を始めてしまったようで割り込めない。仕方ない、今は諦めるか。
話し相手を求めて横を見れば、レインはレインで何だか生暖かい目でクォーツを見てるし。……何だか怖いので、今は話しかけないことにしておく。
「あれ……?」
手持ちぶさたで何となく視線をフライ達の方に戻せば、そこを目指して一人の黒髪の男子生徒が一直線に歩いていく姿が見えた。
~Ep.138 『信じたい』って思うから~
『もう少しだけ、待ってるね。』




