Ep.137 “手応えがない”が一番辛い
『翌朝、私の机に花瓶はなかった。』
「ただいま~……。」
「姫様!お行儀が悪いですよ!!」
ふらふらとおぼつかない足取りでベッドまでたどり着くと、そこに顔を突っ伏して床に座りこんだ。本当はダイブしようかと思ってたんだけど、それにはちょっとベッドが高すぎるし、何より最早そんな余力はない。
それでもハイネに叱咤されて重たい身体を何とか起こすと、ベッドの隅でお昼寝中だったブランが飛んできて後ろからカーディガンを脱がせてくれた。ありがとうブラン、貴方はなんていい子なの!
「お疲れなのでしたら、お召し物はあまり堅苦しくないものの方が良さそうですね。」
「そうね……、ありがとうハイネ。」
とは言え夕飯もまだだし、流石にまだ寝間着には着替えられない。そんなわけで、ハイネが出してくれたのは、あまり身体を締め付けずに着られる部屋着用のワンピースだった。白地に散る小花柄が女の子らしくてとっても可愛い。
「あまりにお疲れなのでしたら、夕食はお部屋で摂られますか?姫様がご要望ならご用意致しますが。」
「うーん……、そうね…………。」
ハイネからの提案に、ちょっとさっきまでの学校や寮での様子を思い出す。
正直今日はもう疲れたし、本音を言っちゃえばこのまま部屋でうだうだしてたいけど……、噂が噂を呼んでる今の状態で私が逃げ出すのは流石に良くない。今の私に対する周りの心証では、そんな些細なことでも『身にやましいことがあるから逃げたのだ』なんて噂を増長させてしまいそうだ。
「いいえ、食堂に行くわ。丁度食べたいメニューがあるの!」
「……左様でございますか。では、お茶だけお淹れ致しましょう。」
鏡の前でワンピースの裾を広げてみたりして遊びながらそう言うと、ハイネは一瞬固まってから了承してくれた。今の学院での噂がどこまで伝わっているかはわからないけど、ハイネだけじゃなくどこのお家のメイドさん達も中等科の校舎に入ることはないし、まだあんまり知らないんだろうな。これ以上心配かけないように気を付けなきゃ。
それに、ハイネに知られたら絶対に犯人探しの方へ話が進みそうだもん。昼間レインや皆にも話したけど、今回はあからさまな犯人探しをする気はないからそれは困る。多分、見つけてもトカゲの尻尾状態にしかならかいからね。
「ハイネ、今日はレインと一緒に夕飯にしたいから、部屋に先触れを出してくれる?」
「かしこまりました。」
今の私と一緒にいるとレインの身にもあらぬ噂が立てられそうで非常に申し訳ないけど、『いつでも頼ってね』と言ってくれた言葉に甘えて今日だけは協力してもらおう。万が一レインにも悪意が向き出したら、わざと人前でレインに高圧的な態度でも取って私が権力で彼女を従えてる設定にしちゃおうかな。前に一回ケンカして仲直りした直後にチラホラそんな噂も立ってたみたいだし、今の私の評判の悪さなら誘導するのは楽そうだもんね。
『ではお伝えして参ります』とハイネが出たところで、丁度扉の外側からノックの音が響いた。こんな時間に、誰だろう?
「……?」
ドアノブに手をかけたままのハイネが怪訝そうに私の顔を見たので、「知らないよ」の意味を込めて首を傾げて見せる。
本当にまるで心当たりがない。……って、これもしかしてハイネに開けてもらっちゃ駄目なやつじゃない?
もし扉を開けたところに嫌がらせの手紙とか落ちてたら誤魔化しようがないよ!!
しかも、私がなにか言う前にハイネもう開けようとしてるし!
「ハイネ、ちょっと待っ……!」
「お待たせしました、どのようなご用件でしょうか?」
開けちゃった!!
とりあえず外を見るのが恐いので、大慌てでベッドに戻って布団に潜る。さっきまで上でブランがゴロゴロしていた毛布は、ほどよく温まってて気持ちよかった。毛がついてたけど。
「フローラ、何してんの?」
「……えーと、現実逃避?」
「はぁ?よくわからないけど、レインからお誘いだってよ。夕飯一緒に食べようって。」
「えっ!?」
「うわっ、いきなり起きないでよ、危ないな!」
思わぬ言葉に飛び起きると、布団越しに私の上に乗っていたブランが吹っ飛ばされてしまった。
「ご、ごめん!大丈夫?」
「どっかに叩きつけられる前に飛んだから大丈夫だよ。それより、ほら。」
呆れ顔のブランが指差した先には、ハイネの手に握られた封筒。封を閉じているのは、レインの家の家紋を示すシールだ。
「ハイネ、それって……」
「レイン様からの夕食のお誘いですね。メニューや席の場所にも指定がされているようです。」
『こちらの動きを見透かしたかのような見事なタイミングでしたね』なんて苦笑するハイネから手紙を受けとり、ざっと内容を確認すると、中はレインの直筆だった。これだけでも、情報が外に漏れないように気を使ってくれたことがわかる。流石レイン、細かいところまでちゃんと気遣ってくれるからありがたいなぁ。
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ハイネに身だしなみを整えてもらって食堂に向かうと、私が一歩踏み入った瞬間に辺りの空気が一瞬固まる。
前世でも教室に入る度に目にして来た現象だけど、人間て本当に咄嗟の仕草に本心が現れるよね。この空気だけは何度感じてもなれないや。
「フローラ様、こちらですわ。」
「レイン!……様、ありがとうございます。」
すくむとまでは行かないけどやっぱり行きづらい壁のようなものを感じて居ると、その向こう側からレインが声をかけてくれた。ありがとうレイン、ナイスすぎるタイミングです!
「すみませんフローラ様、急にお誘いしてしまって……。」
あくまで優雅に見えるように気を付けながらゆっくりと彼女の前まで進むと、何て声をかけるべきか悩んでいる私に向かってレインはそう言って目を僅かに伏せた。
さも申し訳なさそうな顔をしたレインに、近くに座っている人達の意識があからさまにこちらに向いたことがわかる。
そんな嫌な注目の的の中、申し訳なさそうだったレインの顔はすぐ満面の笑顔になって私に座るように促した。
「フローラ様は海鮮がお好きでしょう?本日のメニューは海鮮のパエリアですから、お喜びいただけるかと思ってお誘いしましたの。」
「まぁ、それは美味しそうですわね。楽しみですわ。」
今日はレインが先にお料理も予約してくれていたので、なにもしなくても席に着けばすぐに熱々のパエリアが運ばれてきた。わぁ、美味しそう!
「ところでフローラ様、最近よくガーデンに白いお花をお持ちになられていますが、あのお花は一体どこから調達しているのですか?クォーツ様も随分と不思議がられておいででしたわよ。」
私の心がパエリアに拐われ切る前に、何かを見極めるように目を細めて笑ったレインがさも世間話のようにそう口にした。
一瞬、レインやクォーツは理由なんかとっくに知ってるのにどうしたんだろうと思ったけど、何となくレインの視線が私たちを見ている女の子グループに向いていることに気づいて、ようやくその意図がわかった。
「いえ……実は、最近朝教室に行くと私の席に飾られているんですの。どなたが下さっているのか、私も気になっているのですが……。」
レインの策に守ってもらって、しかもクォーツの名前の威を借りるのは心苦しいけど、話を誤魔化すのに首を横に振ろうとしたらあからさまにレインの目に“怒”の文字が浮かんだので、素直に答えることにする。
そんな私の返事はレインの意図にちゃんと沿えたようで、すぐに怒りオーラは消えたけど、レインったらなんか昔より強くなったよね?最初の頃の人見知りだったレインが懐かしいよ……。
「そうですわね、あんな立派なお花ですもの。きっと用意するのも大変ですわ。私も朝は早めに登校しておりますから、少々気にかけておきますわ。」
「えぇ、ありがとうございます。もしもその方にお会いできたら、是非お礼をお伝えたいので私にも教えてくださいね。」
「ーーっ!!」
にこやかに笑い合う私たちのすぐ斜め後ろのテーブルの子が、ガタンと音を立てて立ち上がった。
然り気無く目だけでそちらを見れば、肩を震わせてその子が飛び出していくのを、気弱そうな何人かの女の子が追いかけてく姿が見えた。顔は見えなかったから何とも言えないけど、態度をみるに十中八九そう言うことなんだろうなぁ……。
「ところでレインさん、夏期休暇のお話なのだけど…………」
女の子グループが飛び出していって、私たちの話が完全な世間話になったところで、周りでわらわらしていた野次馬的な人達も満足したのかちらほらと帰っていく。
なので、そのあとはレインと夏休みの予定を話しながら、おいしいパエリアを頂いた。
「レイン……、ありがとう。」
満腹になったお腹を抱えて部屋に戻る途中、私は周りに聞き取れないくらいの小声でこっそりそう言った。
レインは何も答えずに、眼鏡の奥の瞳を優しく細める。本当に、ありがとうね。
~Ep.137 “手応えがない”が一番辛い~
『翌朝、私の机に花瓶はなかった。』




