Ep.136 “好き”と“嫌い”の反対は
『“無関心“だって、知ってた?』
「うーん……、どうしたんだろう。」
「何がだよ、いいから計算済ませろよ、後はそれ出せば今日の仕事は終わりなんだから。」
ガーデン用の花やら肥料やらの経費のびっしり書き込まれたそれとにらめっこしながらも、私はさっきから気にかかることがあって仕方がないのだ。
あんまり仕事が進まないものだから、見張りの為に正面に座ったライトがトントンと指先で机を叩くペースが段々早くなってきている。これはマズイ。
「まぁまぁ、いいじゃないかゆっくりでも。ほら、お茶が入ったよ。」
「……お前、この間からフローラに甘すぎるんじゃないか?そして、お茶が緑なのは何故だ。」
「そ、そんなことないよ!それと、緑なのはこれが緑茶だからだね。」
「いつの間に仕入れたんだよ……。」
お茶と言えば紅茶が主流なこの学院で緑茶が出てきたことで、ライトは驚いたように顔を彼の方に向ける。そして、湯気を立たせているティーカップを手にとって肩を落とした。
「緑茶は流石にわかるわ!そうじゃなくて、なぜ紅茶のカップなんだよ、湯飲みにしろよ!!」
「なんだよ、別に良いでしょ!味は変わらないんだから!!」
「良くない!気持ち的になんだか美味しく頂けない!紅茶のつもりで飲んだところに緑茶って、肩透かし感が半端じゃないんだよ、危うく砂糖入れる所だっただろうが……!」
「うっ……!い、入れてみればよかったじゃないか!!美味しいかもしれないだろ!」
緑茶にお砂糖……。やったことないけど、合うのかな。抹茶ならお菓子にもよく使うし、意外と美味しいかもしれない。
「…………。」
そして今、丁度私の目の前にはライト用にたっぷりお砂糖が入ったシュガーポットが。
一粒くらいなら…………。
「……おい、まさか『意外に美味しいかもしれない』からやってみよう、なんて思っていないだろうな?」
「ひゃっ!や、やだなぁ、そんな訳ないじゃない。さー、さっさと計算しちゃおー!」
疑わしい眼差しで見てくるライトから逃げるように、未だ空白だらけのファイルに向き直った。
頭に引っ掛かってることがあるときにちょっと想像を掻き立てるネタがあると気がそれていけないね。さぁ、集中集中!
「……よし、終わったー!」
「お疲れさま。お茶、淹れ直そうか?」
「うん、ありがとう。」
『お願いします』と空になったカップを差し出すと、クォーツはにっこり微笑んで生徒会室に備え付けられた簡易キッチンに下がっていく。
と、その間に計算間違いがないか確認していたライトが『まぁいいだろう』とファイルを閉じた。
「お待たせいたしました。」
「全くだ……。一体どうしたんだ?集中出来なくて仕事が進まないなんて、らしくないな。」
私がおもむろに頭を下げると、わざとらしくため息をついたライトは背もたれから体を起こして、こちらをじっと見つめてきた。
そこで一旦言葉を切り、扉に鍵が掛かっているかを確かめたライトが、先程より抑えた声で『何かあったのか?』と呟く。
一瞬、今日の出来事を話すべきかどうか悩んだけど……。
「ううん、特に何も無かったよ。今日もミリアちゃんはお休みだったから噂は広まる一方だけどね。」
「……当事者が居ないと、余計話の誇張がひどくなるものだからな。男の方は来たんだろ?」
「あ、うん。2限目からだったけどね。」
苦笑いで首を振った私に一瞬訝しげな様子を見せつつも、ライトはそれ以上はあまり切り込んでくるつもりはないのか、気が緩んだように背もたれに体を預けた。
朝から来てくれれば一度ちゃんと話す時間が取れるかと思って図書室で待ち伏せてたんだけど、結局空振りになっちゃった。しかも、私がいつも通りに図書室に居たことで周りに居た人達には『フローラ姫はミリア嬢の婚約者であるキール様に横恋慕している』という見方が更に広まってしまったみたいだった。これは流石に失敗だったな。
「お前に悪意がないことくらいはわかってるが、俺達だって全てを知っている訳じゃ無いから、今のままでは下手に動けない。あの日、一体何があったんだ?」
「…………。」
視線は未だこちらに向けられたままだったので、深い深紅の瞳が真っ直ぐに私を見てくる。その瞳の強さに気圧されて、思わず視線を逸らしてしまった。ライトや皆が本気で心配してくれてるの、わかってるよ。でも……だからこそ、嬉しい以上に、申し訳ないんだ。
「……噂である程度は耳に入ってきてるでしょ?」
「その“噂”が当てにならないから聞いてるんだろうが。それに、こう言っちゃあれだけど……俺やフライやクォーツの耳には、あまりその手の話は入ってこないからな。」
「えっ?そうなの?」
「……噂に興じている彼女たちも、曲がりなりにも貴族子女だからね。」
ライトの言葉に首をかしげていると、戻ってきたクォーツが困り顔で呟きつつ、私達の前にカップを置いた。
ライトの要望に応えたのか、今度はふわりと甘い香りがする紅茶が、ほわほわと湯気を立てている。
「クォーツ、ありがとう。それで、さっきの話って結局どういう意味……?」
「どういたしまして。“どういう意味”って聞かれちゃうと、何とも言えないんだけどね……。」
私とライトを交互に見てちょっと悩んでいたクォーツだけど、ライトが動いてクォーツが座るスペースを空けたから結局そこに腰を下ろした。必然的に私は二人と向き合って座る形になるから、ちょっと面接みたいで気まずい。話の内容が内容だしね。
二人も気持ちは同じなのか、昔よりはわかりにくくはあるけど困っているような、悩んでいるような憂いのある表情をしている。
そんな中で気まずそうに口を開いたクォーツの言葉を引き継いで説明してくれたライトによると、今回の私についての噂は、実は女子はライト達の近くでは皆口にしていないらしい。
「昔だったら、ここぞとばかりに私の悪評を皆に刷り込もうとしてたのに……どうしてだろう?」
「全くもって足りていないとは言え、向こうも幼い頃よりは教養が身に付いてきてるからな。それに、あの頃と今じゃ俺達とお前の関係も違う。」
「そうだね。今は、僕達がフローラと親しいってことを彼女達も知っているし、無闇に僕らの前で君を罵倒すれば、僕らの怒りを買うことくらいはわかってるんだと思うよ。」
「ーっ!」
なるほどね、確かに、女子のいじめって本来男子の目に止まらないように影でやる陰湿なのがほとんどだもんなぁ。ましてや、『狙ってる皇子様達のお側で悪口なんてとんでもない!』ってことだよね。なんだか釈然としないけど、とりあえず向こうの言い分はわかったよ。
「その『自分の好きな相手にはバレたくない』とばかりに裏で動く曲がった根性が尚更気に入らないな。」
「全くだね。正直、黙って見守ってるだけで腹が立ってくるよ。」
せっかく淹れ立てなので、甘い香りが立つ紅茶にミルクとお砂糖をたっぷり入れて一口目を口にしたその瞬間、ライトの一言に同意したクォーツの表情からすっと笑みが消えた。
熱血漢なライトはともかく、クォーツまで本気で怒ってる!?こんな好戦的な性格してたっけ……?
「だ、大丈夫だよ!皆に迷惑はいかないように気を付けるし、本当に危ない状況になったらちゃんと言うから!」
まだ何か言いたそうな二人が口を開く前に、『だからこの話はこれでおしまい!』と手を叩く。
「……はぁ、わかった。このまま話していてもどうせ堂々巡りだろうしな。」
シーンとしてしまった雰囲気で見つめ合う中、先に折れたのはライトだった。クォーツはまだ心配そうにしてくれていたけど、ライトが『これ以上やり合ってるとせっかくの紅茶が冷める』なんて言いながら砂糖を淹れ出したことで、これ以上は無理だと諦めたみたいだった。
「……二人とも、ちょっと紅茶にお砂糖入れすぎじゃない?」
そんな最後の呟きには、二人揃って聞かなかったフリをして私達は美味しく紅茶を頂いた。
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「それにしても、フライは結局顔を出さなかったな。今日は来てるはずなんだけど……。」
「僕は今朝廊下で会ったよ。ちょっとまだ本調子じゃないみたいだったし、帰って休んでいるんじゃないかな?」
生徒会室を出ると、いつもより早い時間帯だからかまだ廊下にまばらに人が居た。
彼らに聞かれても差し障り無いように貴族口調で話しているライトとクォーツに続いて、私も1歩廊下に出る。
その瞬間、辺りの視線が一斉にこちらに向いた。皆さん飽きませんなぁ、まぁ、まだ2日目だから仕方ないか。
でも、さっきのライト達の話の通り、私の側にライトとクォーツの姿があるからか噂話は聞こえてこない。皆、当たり障りない話をしながらこちらを気にしているだけだ。
「まぁ、フライ様ったらご冗談がお上手ですわ!」
「ーっ!」
と、そんな気まずい空気を裂くように廊下の端の方から女の子達の嬉しそうな笑い声が聞こえた。
そんな彼女達がフライの名を読んだことで、私とライト、クォーツの視線がそちらに向くと、丁度複数の女の子に囲まれたフライが同じタイミングでこちらを見た。
「……フライ様、ごきげんよう。」
ライトとクォーツは通常ならあり得ない光景に呆気に取られているので、私が二人より1歩前に進んで挨拶を口にする。でも、今朝の様子だと多分……。
「ーー……やぁ、ライトもクォーツもお疲れさま。仕事に参加できなくて、申し訳なかったね。」
「え……?あ、あぁ、大丈夫だ。具合はまだ本調子じゃ無いんだろう?帰らなくて大丈夫なのか?」
気を使って一旦女の子達が開けてくれた道を通って、フライは真っ直ぐにライトとクォーツに歩み寄った。私をまるっと無視して。
あからさまに辺りがざわっとなったけど、中心に居る当のフライはアルカイックスマイルのまま。
ライトとクォーツは動揺はしてるみたいだけど、人目があるからかとりあえず当たり障りなくフライを心配する言葉をかけていた。
「回復したのなら何よりだね。皆心配していたんだよ?フローラ姫に至っては、休んでいたことも知らなかっ……」
「申し訳ないけれど、そろそろ帰らないといけないから失礼するよ。」
意を決したように私の名前を出してくれたクォーツの言葉を遮るフライの声には、何の感情も感じられなかった。まるで初めて出会った頃みたいだと、辺りから向けられる嘲笑をあびながら思う。
「じゃあ、行こうか。」
そう言ってゆっくりと振り返ったフライの視線は、私をすり抜けてさっきから彼を取り巻いていた女の子達に向けられた。
いつにないサービス待遇に、女の子達はもう有頂天だ。浮かれるあまり、私を馬鹿にする気も起きないみたいだから助かるって言えば助かるんだけど。
「フライ様は誠実なお方ですから、不設楽な女がお嫌いなのですわ。」
大奥を引き連れて去っていくその後ろ姿を見つめる私達に、誰かもわからない声がぽつりと降りかかる。
独り言のフリをした小さな小石が、私達に確かに波紋を広げようとしている気がした。
~Ep.136 “好き”と“嫌い”の反対は~
『“無関心“だって、知ってた?』




