Ep.123 踏みしめる場所
「ーー……ふざけたこと言わないで。」
何を考えるより先に、そんな言葉が口をついて出た。
いつもよりずっと落ち着いた自身の声に戸惑うより先に、目の前の人とクォーツの間に移動する。
「フローラ……?ど、どうしたの?」
『そこに立たれたら進めないよ』なんて、困ったようなクォーツの声。それには敢えて振り返らないまま目の前の大人にしては小さな顔を見上げ、睨み付けた。
「今の言葉……、撤回して。」
「おや?お気に触りましたか、これは失礼致しました。」
心底申し訳なさそうに眉を八の字にしながら、それでいてその紫色の瞳から嘲笑うような色が滲んでいる。かつて、私に後ろ指をさして笑っていた彼女たちと同じ眼差し……。それを、確かに見た。
実際、私の目に狂いは無かったようで、男性はその瞳に私の少し後ろに立つ三人を写し込むと彼らをそこに閉じ込めるかのようにゆっくりとまぶたを下ろす。
ただ視線に捉えられただけのはずなのに、まるで見えない蜘蛛の糸に捕らえられてしまったみたいだ。
その糸から逃れようと、クォーツがわずかに身を捩るけど、次の瞬間、逃がさないとばかりに男の瞳が開かれ再び彼を捉えた。
「しかし……、お言葉を返すようですが、近頃の皆様はそれぞれ自国の政や学院の授業でお忙しいご様子。その上、生徒会内での主な業務であれば優秀な殿下方お二人で十分にこなせているではありませんか。そうでしょう?クォーツ・アースランド殿下。」
心無いその言葉に、クォーツのトパーズのような澄んだ瞳に影が落ちる。俯いたその仕草は、まるで肯定して頷いているかにも見えた。
嫌味ったらしく最後だけフルネームで彼を呼んだその男は、勝ち誇った笑みを浮かべて私へと視線を移し揚々と続ける。
「そんな中で、フローラ様方がクォーツ様を欲しているようには…」
「それは貴方が決めることじゃないわ!!!」
「ーー……っ!」
せめて言い分くらいは最後まで聞かなきゃと思っていたけど、すぐに限界が来て声を荒げてしまった。淑女教育上ではあり得ないことだし、きっとハイネにでも聞かれようものなら『お行儀が悪い』なんて叱られそうな行動だけど、今はそんな下らないところに構ってはいられない。男性の後ろ側の階段の陰で人影が揺らいだ気もするけど、それも全く気にしない。
「クォーツは、皆にとっての大地なの。誰も代わりになんてならないわ!」
叫びながら身体を翻し、項垂れたクォーツに並び立つ。
それと同時に、私より先にクォーツの隣に来ていたライトとフライが、彼の肩にそれぞれ片手を乗せた。
「はぁ………………。大地……ですか、ずいぶんと謙虚なお立場で。」
肺を空にするような長い溜め息。それに萎縮したクォーツの手をそっと握り、小さく深呼吸。
思い出すのは、ここに入学して間もない頃。“攻略キャラ”と言うだけで皆に壁を作っていた頃の私。そして……
「何かいけませんか?大地があるから、私達は共に立ち、歩み、寄り添っていられるのに。」
そんな壁なんて存在しないかのように、私に“友達”だと言ってくれたクォーツの笑顔だ。
「クォーツには、人と人とを繋ぎ、支えてくれる力がある。その優しさについつい皆甘えてしまうから、蔑ろにされてるように見えちゃうときもあるかもしれないけど……、『居なくなっていい』なんて、そんなこと誰も思ってない。」
人間、どうしたってすれ違ったり、ぶつかり合ったりしてケンカすることだってある。そして、自分達だけじゃ埋められないような溝が出来ちゃうときだってあるのだ。
でも、仮に私達の誰かがそうなってしまっても、いつも穏やかに微笑んで、溝を埋めてくれるクォーツが居るから。……だから、
「クォーツは、私達のかけがえのない人だよ。代わりになれる人なんて、どこにも居ないんだから。」
出来る限り静かな声で言い切った私の言葉に、ライトとフライもしっかりと頷く。
「そうだぞ。第一、クォーツが居なかったらそこの腹黒の暴走は誰が止めるって言うんだ。」
「それはこっちの台詞だね。ライトは約束から提出物から何から、抜け落ちていることが多くて多くて……。やっぱり、いつも周りを見てくれてるクォーツの助けがないと。」
今の今まで黙って静かに聞いていたのに、空気を読んだんだか読んでないんだかわからない二人の嫌味合戦が始まって。
そんな二人に苦笑いしつつ、いつの間にか、俯いていたクォーツの顔は正面を向いていた。
そして、親友二人と目を見合わせて笑い合ってから、大きく一歩、前に踏み出す。
「ラオネさん、申し訳無いけれど、やはり今日のマリンさんとの約束は無かったことにしてもらえないかな。」
あくまでも静かな微苦笑のまま、それでいてキッパリと告げられた否定に、男性改めラオネさんは……
「若いと言うのは良いですねぇ。」
あれだけ私が一方的に捲し立てた後での事だし、怒るかせめて無表情になるかと思えばそんなことは無くて。
まるで仮面のように整った笑みを浮かべると、『畏まりました、クォーツ様』と、クォーツに向けてしっかりと腰を折った。
その下でどんな表情をしてるのか……、私たちからは見えない。
「では皆様、気を付けてお帰りくださいませ。」
「あぁ、色々とお世話になったね。」
未だ頭を下げたままのラオネさんに一瞬視線向けてから、『じゃあ帰るぞ』って、真っ先にライトが。次に、『全く、せっかちだね』なんて苦笑いのフライが階段を降りていく。さっきから思ってたけど、あの二人はどこでも平常運転だなぁ……。
前々から思ってたけど、あのライトとフライに挟まれても動じないクォーツは実はかなりの大物だと思うよ。
「……じゃあ、僕達も行こうか。」
「ーっ!……うん、そうだね!」
手を繋いだままにクォーツが歩き出したから、必然的にリードされるような形で寮を出て。
改めて四人で踏みしめた外の土は、行きの道よりずっと優しい感じがした。
~Ep.123 踏みしめる場所~
『ところで、フライがちょっと不機嫌そうだけど何かあったの?』
『あ、あ~、実は……』
『今朝、僕とライトで君を探しにいく約束だったのに、まるで消ゴムで脳を白紙にしたみたいに綺麗さっぱり忘れてたんだよね。ライト、今度の君の誕生日には絶対に色落ちしない油性ペンをプレゼントするよ。』
『いや、要らないから!』
『そんな遠慮しないで、僕達の仲じゃないか。』
『遠慮じゃなくて拒絶だ!!』
『はは、なるほど……。まぁまぁフライ、次からは僕も一緒に覚えておくようにするから、ね?……本当、皆と居ると楽しくていいよ。』
『ん?何か言ったか?』
『ふふ、何でもないよ。』




