4.メリーの館 後編Ⅶ
廊下をゆっくりと歩く。それはやっと出せる速さだった。壁に手をつき、頭を押さえ、その表情は苦痛に満ちていた。
「しつこいゾ。いいかげんニ諦メロ」
ギルの中で声が響く。媒介を壊された鎧、ジールがとっさに取った、生にすがる行為が最善の結果となった。本来ジールに憑衣された者は意識など喪失し、すぐにジールの操り人形となる運命だ。
実際、さっきまで使役していた人間の媒介はあっさりと自我を手放した。魔界の住人ならそう簡単でないのは分かるが、この処刑人はあまりにもしぶとかった。
「お前が、諦めろ」
会話が成立してしまう程だ。今、ギルという処刑人の肉体には二つの精神が存在している。一つしかない肉体には元々荷が重い。故に、この均衡とも言える状態は長くは続かない。どちらが弾き出される。肉体の負担は当然ギルの精神が負うのだから、ジールの方が断然有利である。
ジールも、乗っ取るのは時間の問題だと考えるが、まだなのかと苛立ちが募っていた。
「もう肉体もオレが動かしてる。なのにナゼ、お前はまだ自我ガある?」
「それがお前の限界なんだろ? お前は俺には……勝てねぇよ」
痩せ我慢に過ぎないとジールは思った。事実、体の動きはもう自分が支配し始めている。今はそれに僅かながら抵抗しているだけだ。だが、それ以上全く浸透しないことに、僅かに焦りも生じてくる。
「……おい」
「ナンダ」
ギルが話しかける。周りには誰も存在しない。十中八九ジールに対してだ。
「こっちは、急いでんだ。早く……出ていけ」
「バカか。だからナンダ。出て行くワケガないだろう」
「はっ、だろうな。なら、こいつならどうだ?」
「……!?」
ジールは驚いた。自分の意思に反してギルの右手が動いたのである。不安定な動きのため、転ばないように壁についていた右手が、ギル自身に掌を向けたのだ。いや、それはまさに、ジールに向けられていた。
「何ヲ……してイル」
動揺を悟られまいと、ジールは虚勢を張る。
「決まってんだろうが。今から、俺ごと黒炎を撃つんだよ」
「……ば、バカか。そんなコトしたら、自分八ドウナル? オレ自身は助かルンだぞ」
「嘘だな」
さらにジールは動揺する。それを、ギルはあっさりと見抜く。
「さっき媒介の人間を殺してもお前が無事なのは、一瞬で抜け出たからだ。憑衣してる時に媒介を壊されたら、お前も死ぬ。そうだろ?」
何も返答がなかった。いや、何も返せなかった。ギルはもう、全てのカラクリを見抜いていた。
「さぁ、どうする?」
「……ハッタリ、だろ?」
ギルは黒炎を発動させ、右手に収束させる。そして自分の頬をかすらせた。廊下の壁は何かしらの小細工を施しているようだが、その破壊力は十分に伝えることが出来た。
「本当に、ハッタリだと思うか?」
再び収束する黒炎。いつでも撃てるとギルはジールを追い詰める。
「……マ、マテ。オレは奇術師ヲ殺れればイイだけだ。ソレまデは共同戦線ト……」
ジールはギルの馬鹿げた行動を本気だと感じ取ってしまった。乗っ取るのではなく、あくまで味方につけるというやり方に変えてきた。だがそれはむしろ間違いだ。選択を誤った。奇術師を殺す。その目的はギルも同じだが、共同戦線を張ってではない。
「そろそろ、この状態もしんどいからな。どっちが先にくたばるか勝負といくか」
「……や、ヤメロォ!」
瞬間、ジールはギルの内から飛び出た。同時にギルは体が軽くなる。さっきまで気だるさがが嘘のように、ちょうど憑き物が落ちた感覚だった。待ってましたとばかりに、出てきたジールにギルは狙いをつけた。部屋いっぱいに巨躯だったジールは、今いる廊下に適応して大きさが変わっていた。
「おかげで、だいぶ軽くなった。礼として一瞬で殺してやる」
「……!?」
そのまま逃走を試みるジールだが、場所は廊下だ。逃げ道などない。ギルが放つ黒炎の射程範囲から抜け出せる筈がなかった。
「ギャアアァアァアア…!?」
黒い炎に包まれたジールは跡形もなく消え失せる。右の手から放ち終わると、ギルは壁に寄り掛かった。
「……ったく。だいぶ時間食ったな」
こうして休んでいる場合じゃない。すぐにギルは次へと進み始めた。