2:異変Ⅲ
「そのことをお父さんに話したら、仮病で仕事を早退したのよ」
「細かいことは気にするな。子供を自由にさせても悪い方へ進むなら止めないとな。そうだろ?」
「もちろんそうだけど」
それでも無理に早退する必要はないと、お母さんは考えているのだろう。けどなら、お母さんは何故こんなに早いのか。
「大体美希も早かったじゃないか」
「私が話そうと思ってたんです。それなのに」
お父さんが颯爽と立ち上がる。そしてお母さんを見つめて臆面もなく言った。
「ふてくされるなよ。大切なものは全力で守らないといけない。もちろん美希もな」
「あ……」
あ~、また始まった。娘の前なんだからもう少し遠慮出来ないのかな。二人ともいい歳なんだし。今やもう自由の身となったリアちゃんを連れて私は自室へと向かうことにした。後ろから何やら、こっ恥ずかしい単語が聞こえた気がしたけど、無視することにした。
着替えを済ました頃には再び呼び戻される。夕飯が出来たらしい。ギルは私の味付けの方が好みらしいが、私はお母さんの料理が好きである。お父さんにとっての場合は言うまでもない。久しぶりに親子揃っての夕食となった。まさに猫の姿でだったけれど、リアちゃんも一緒だった。
「ふ~、いいお湯」
お風呂に入ったあと、タオルを頭にかぶってパジャマを着て自室のベッドに腰を下ろす。ついでだし、多少嫌がったリアちゃんも入れた。風呂場なら大丈夫だから、人間の姿でだった。
「……熱い」
リアちゃんはぱったりとベッドで横になっている。かなり脱力状態だ。温度は多分一般的にみてもちょうどいいが、リアちゃんには適用しなかったのかもしれない。
「あ、もう寝ちゃった?」
熱いとついさっきまで嘆いていたのに、今はもうすやすやと気持よさそうに寝てる。仕方ないなぁと布団を被せた。
その時、充電中の携帯電話が鳴り出す。
(加奈?)
携帯のディスプレイを見てすぐわかる。大きく画面に友達の名前が浮かび上がっている。
「もしもし?」
「紗希!? 大丈夫?」
え?と疑問が浮かぶ。電話に出た途端、普通相手に大丈夫と切り出さない。おまけに加奈は大層珍しく慌てているみたいに思えた。
「ど、どうしたの? 私なら大丈夫だけど。あ、世界史ならちゃんとやってるけど」
宿題について言ってるのかと思い付く。加奈が魔界のことを知っているわけがないし。
「良かった。ちょっと心配になって」
「加奈?」
どうしたのと言いかけて詰まる。加奈が先に何かを言い始めたからだ。
「え……? ごめん。その、もう一回……言ってくれる?」
「だから……優子が……」
―帰ってないって。
嘘。嘘に決まってる。だって今はもう日が変わりそうな時間になってしまっている。優子がこんな時間まで外に出かけたりするはずがない。加奈によれば、近所の別れ道までは一緒に帰ったのは間違いない。優子も、明日までの宿題を少しはやると言っていたらしい。
「……紗希? 紗希?」
力が抜けて、落とした携帯から加奈が呼んでいる。
よろよろと、ようやく携帯を手に取る。
「大……丈夫。優子だってもう高校生だし。何も心配なんか……」
その先は、何て言ったのか覚えていない。ただ話を終えて、何とか混乱する頭を抑え付けて、加奈をなだめたんだと思う。
外はもうとっくに暗い。魔界の住人の可能性は十分にあるのだ。気が気でいられない。危険を承知で探しに行こうかと思ったところ、すぐまた携帯が鳴る。
非通知……。ただそう書いてある。誰だか分からないはずなのに。間違い電話とかかも知れないのに。そんな考えを突き抜けて、ただ一つの解答が生まれた。
「もしも…」
「ワタシ……メリー……」
「……!?」
言うが早く、相手はその名を名乗った。よぎったものは予感だけ。そうでなければいいと願ったがゆえに浮かんだだけだ。それなのに、最悪だ。
「紗希にね。最初に言っておこうかと思って」
「優子を返して」
メリーの言葉よりも早くに訴える。まだメリーと繋がった証拠はない。けど、私の悪い予感だけは、あの夜から的中するようになってしまったんだ。
メリーは言葉を遮られ黙りこむ。そして弾けたように笑い出した。
「あは、あはははははは……あははははははは……。え、なに、知ってたの? 私のコレクションがさっき増えたから自慢したかったのに」
……確定した。否定しなかった。肯定した。よく分かったわねと誉め千切る言葉に、私は無性に腹が立った。
「いいから返して!」
「……いいわよ。でも条件があるわ。紗希が私のもとにに来れば、この娘は解放してあげる」
「……分かった。だから、優子には手を出さないで」
「もちろんいいわよ。優子だっけ? この娘には危害を加えないでおくわ。じきに招待状でも送るから待っててね……」
言い終わると電話は切れた。ツー、ツーと無機質な電子音が耳に届く。
「優子……、ごめん。ごめんね……」