2:異変Ⅱ
「ただいま」
メリーに襲われ、その後帰宅した私は家のドアに手をかける。操られた人は特に損傷もなく、大丈夫そうだった。記憶が蘇ると、自分のしなければいけないことを思い出したのか。各々駆けていった。仕事が残っているサラリーマンや、待ち合わせしていた若い男性。格安セールに向かう婦人。それほど、その場にいた人は無差別だった。私が声をかける暇もなかったくらいだ。
「あ、おかえり。紗希」
私の帰ってきた挨拶に、珍しく返事があった。声の主は神崎美希。お母さんだった。
「え? 何でこんなに早いの?」
普段着の黒いシャツにジーパンの上から、白いエプロンを身に付けた姿で出迎えてくれる。私と同じ色の髪をきゅっと纏め上げていたのは、久々に見たと感じた。
「お父さんに聞いてみて」
どうしてかは分からないけど、お母さんは何やら不機嫌だ。
リビングに顔を出すと、お父さんは普段着で腕立てをしていた。ギルより短く切りそろえた黒髪。耳当たりに少しそり込みを入れてるのが特徴的かもしれない。真っ白いシャツを着て下は青のジャージだ。お父さんのほうは、恒例の恰好で見慣れたものだった。
「おぉ戻ったか。門限破りは感心しないぞ紗希」
「門限?」
はてそんなものあったのだろうか。頭を巡らしてみてもそんなものはなかった。
「今作ったんだ。最近帰りが遅いみたいだからな」
腕立てを終え、予め用意していたであろう、コップに注いだお茶を一気に飲み干す。そして縁なしの眼鏡をかけていた。
「遅いって、まだ……」
私は時計を見てみる。まだ七時にもなっていなかった。
「今日はまだいいとして、最近夜どっかに出かけてるだろ」
うっ。薄々そうじゃないかと思ってたけど、感付かれてたらしい。
「あと知ってるぞ。最近動物飼い始めただろ」
ギクッ。そこまでバレてたのか。私が甘かったのか、お父さんが鋭いのか。
後々面倒なことにならないよう、リアちゃんのことも両親には秘密にしておいた。しかし、ここらで裏目に出たみたいだ。
「甘く見ちゃダメだな。これでもお父さんだからな。ちなみに今日は紗希と話をする日だ」
「は?」
突然に突然が重なるような展開に、私は完全に置いてけぼりを喰らう。話をする日って……。
「で何飼うんだ。爬虫類とかはさすがに却下だぞ」
もう既に話をする気は満々だ。笑顔からして、説教する気はないみたいだった。私まだ制服のままなんだけど。
仕方ないが首の傷が見付からないためにも、部屋の扉付近で話を聞くことにした。それにしても何処から爬虫類を持ってきたのだろう。私だってそれは嫌だ。
「猫だけど」
「そうか。猫か」
猫と聞いて、お父さんは何故かとてつもなくホッとしているように思えた。
「いや、紗希が隠し事なんてよっぽどの生き物かとビビってたよ」
「あはは……」
苦笑いするしかない。まぁ普通の猫ではないのは確かだ。
「で? 今は何処にいるんだ?」
「ここにいるよ」
リアちゃんは私の背中にずっとへばりついていた。背中を見られない限り、案外見付からないものだ。というより、まさかこんなに早く帰ってるとは思ってないから油断した。
「傷だらけじゃないかこの猫。やんちゃな奴だな。とりあえず紗希手当てして…って首どうしたんだ!?」
しまった。リアちゃんを手渡そうとした為、首の傷にも気付かれてしまった。
「母さん! 紗希が首に怪我してるぞ!」
「え!? あ、本当! 救急車呼ばないと!」
「スト~ップ」
真剣に携帯を手に持つお母さんを止めに入った。心配してくれるのは嬉しいけど大袈裟すぎる。
「これくらい大丈夫。ちゃんと手当てしてるから」
「そう…? やりにくいだろうからやってあげる」
「う、うん。ありがと」
とはいえ、ほんの小さな傷だったので、消毒し直して絆創膏を貼るだけで事足りた。私がお母さんに手当てしてもらっている間に、お父さんはリアちゃんを手当てしようとしていた。当然ながらリアちゃんは嫌がる。離れてしまったリアちゃんに、お父さんは少しうなだれてしまう。「嫌われてるのかな」とお父さんがぼやいた。うぅん。少し可哀想かな。
「雌だから、あんまりいじくると本気で怒るから」
そう本気で注意しつつ、リアちゃんにこっそり構ってあげるようにお願いした。
「紗希……」
抗議する意味でリアちゃんが呟く。
「ごめんね。バレちゃったから」
と、何とか慰めてくれないかと私は願うのだった。一応応じてくれるらしいが、「ニャー」という抗議が続いた。
お父さんはリアちゃんを抱き上げる。特にいぢくるわけじゃないから安心する。
「それでこの娘の名前は?」
「えっと、リリア。で、リアちゃん」
「なるほど、神崎リリアか。まぁいい名前だな。この子なら飼ってもいいぞ」
お父さんもすっかり気に入ったのか。今から正式に神崎家の一員になった。
「猫はいいんだけど、夜中に出歩いているのはどうなの?」
「それだ。最近物騒みたいだし見過ごせないから門限を設ける。四時には帰って来なさい」
それは無理だと思う。四時って最後の最後で学校早退する羽目になる。
「じゃあ六時くらいか? とりあえず早く帰るように。可愛い紗希が襲われたりしたらどうするんだ」
本当に心配している。それが言葉だけじゃないと、しっかり伝わってきた。
「ごめんなさい。早く帰るようにするね。けど……」
結局は夜中には出ることになる。有無を言わさずギルに連れ出されるだろう。仮にそれがなかったとしても、お父さんとお母さんまで巻き込むわけにはいかない。ずっと家で大人しく待機することは難しくなるかもしれない。
さっきのメリーとの件でそれを思い知った。むしろ、巻き込むように狙ってくるかもしれなかったからだ。