1:つかの間の休息ⅩⅠ
「っ……!?」
ふらつく足を何とか制御し、倒れることをギルは拒否した。
「ふは、ははははははははははっ! 処刑人と称される貴方が何をしている。人間の楯になるなど、馬鹿馬鹿しい」
「勘違いすんな。お前ごとき、これくらいハンデがあったほうがちょうどいいんだよ」
ピクッと、不吉でいて愉快な笑いを止める。勘に触ったらしい。
「ほう……。傲慢な態度もそのへんにしたらどうかね。過信は身を滅ぼすことになる」
「そうかよ。じゃあ、これを見てもまだそう思うか?」
ドクン――と、鼓動が跳ね上がる。張り詰める空気は、明らかにそれの予兆であった。喉が熱い。身体中の水分が一気に蒸発でもしてしまいそうだと紗希は感じた。分かっている。一度目にしたのだ。紗希は分かってた。ギルの見せた力の礎。全てを呑み込む邪炎だ。ギルはそれを、右腕に纏うように召喚した。
「……!?」
バマシャフは一転して喉を鳴らす。宙にいるメリーも僅かに後退した。あれがどれだけのものか、ある程度理解したのかもしれない。
おそらく敵も、これを喰らえば、いやこれに喰われれば、ひとたまりもない。でも、これは使ってはいけない代物だ。
「その技は貴様の体に負担をかけるからな」
紗希は執行者の言葉を思い出す。ただでさえボロボロの体でこれ以上その技を使うというのか。
「ギル! それは……」
「離れてろ。邪魔だ」
一向に耳を貸さないギル。でもそれは本人が一番分かっているはずだ。禁じ手であること。そしてこの状況では、無理にでも使役しなければ殺られるであろうことも。
「仕切り直し……ということでどうかね?」
バマシャフが唐突に提案した。とっさにギルは敵二人を見据える。
「メリー嬢」
「……そうね。えぇ、いいわよ。私は元々、戦うつもりはなかったのだし」
急にどういうつもりなのか分からない。でもこれは願ってもない提案だと紗希は思った。
「どういう、つもりだ!?」
けれどギルはそうではないらしい。退くと述べたバマシャフに怒声をあげる。対してバマシャフは冷静に返した。
「なに…。私は殺人快楽者ではないのでね。それだけの技量があるなら、場を改めればさらに楽しめるだろうと思ったまでだ」
そう告げた頃には、バマシャフもメリーも高く昇る。ギルの跳躍力をもってしても届かない距離にまで到達していた。仮に何かを踏み台にしても、その距離と相手では二人に届かない。
「……」
引き上げるという提案。否認したい気持ちで一杯のギルも、諦めて黒炎を消した。
「急かずとも、すぐに時期は来ますよ」
「奇術師。てめぇ、必ず殺すからな」
鋭い殺気に満ちた視線で、バマシャフに宣告する。自分にに向けられたものではないのに、紗希はゾクッと背筋を凍らせた。まだ余裕はあったのかもしれない。
身が震える言葉の対象であるバマシャフは、実に涼しげに返した。
「ふふ、良い殺意ですよ」
「全く、好戦的すぎて嫌になるわ。戦うのはいいけど、殺すのはなしよ。私のものにするんだから」
「まぁ、善処するとしましょう」
「あと紗希もね。次までを楽しみに待っていなさい。と言っても、紗希の方が会いたがるでしょうけど……」
「え……!?」
(私が会いたがる?)
どういう事なのか。ギルとリリアは別にして、紗希の気持ちは、今も「魔界の住人」には関わりたくないというものだ。自ら進んで関わろうなんて、思うはずがない。
紅い光も闇に溶け込みそうな暗い空に、人形と奇術師の二人は消えようとする。メリーの勘違いなのかも分からない。あまりに不可解すぎて、次の瞬間、紗希は自分でも驚きつつも尋ねていた。
「待って。それって、どういう意味……?」
視線だけ振り向かせ、メリーはクスッとイタズラっぽく笑った。
「そんなに気にしなくても、早いうちに分かるわ」
その言葉を最後に二人は消えた。赤黒い空に取り入るように、ごくごく自然に闇と同化したのである。
§
「……どういう事?」
呟いてみたが、その問いに答えが出せる者はもういない。いなくなってしまった。
「知るかよ。次殺ればいい」
きびすを返して、そのままギルは歩いていく。
「ま、待って。手当てするから」
「いらねぇよ。すぐに治る」
「でも……!」
ボタボタと血は止まっていない。平気そうな顔をしているつもりか知らないけど、ほっとける傷じゃない。何より、せめて手当てくらいしないと私の居心地が悪い。
ギルは何を思ったのか、ピタリと動きを止め、私を見据える。無言で見られると、何か怒っているようなんだけど。ギルはそのまま歩いて近付いてくる。
「な、何よ?」
「お前、また邪魔したよな?」
「え……」
やっと開かれたギルの言葉で危機を悟る。一難去ってまた一難だ。怒ってる。口元が緩んでるけど、これは間違いなく怒ってる。
「で、でも……それは、ギルが負けそうだったからで……」
「あぁ? 俺が、誰に負けるって?」
「いひゃい、いひゃい。なんへもにゃい……」
左頬と右頬をつねられる。手加減出来てないから痛くて仕方がない。何か来る。手が来ると分かっていても対処出来ないから困りものだ。
「いいか。次から止めんな。俺は……処刑人だからな」
そう言って、あっさり飛び去った。大きく跳んで駆けてるだけなのだが、飛んでいるように見えるほど速かった。涙目でそれを眺める。
「むぅ。じゃあ無傷で勝てばいいのに」
既に居もしない相手に悪態をつく。居ないからこそ出来る発言だ。何より、お互い生きていて口に出来る言葉だった。