6:真なる敵Ⅷ
痛々しい風貌。決定打を与える為に、少女の姿となっていたリリアは、蜘蛛の巣に絡まれた蝶のように身体を封じられる。いや、貫かれて固定されていた。
見逃す気などない。いや、それどころか生かす気もない。ある種、入念な縛り方であった。
腕は巻き取られて固定される。脚にも絡み、一切の抵抗を封じる。マリオネットのように宙で身動きを封じられたリリアは、血を垂らす唇を震わせる。かろうじて視線だけは強い意思を宿していた。
「さて、あとはこいつらに……」
赤蜘蛛が言うよりも早く、飛翔するように獰猛な蜘蛛が集結する。餌に群がる密集は、醜悪で醜怪であった。
「食われるなんてまっぴらごめん」
「……!?」
餌に飛び付く蜘蛛の足先。八つの眼。蜘蛛特有の上顎が迫る寸前で、リリアは風で吹き飛ばす。糸も蜘蛛さえも。
だが、リリアのダメージは大きい。貫かれた腹部からはドクドクと血が流れる。手で抑えて血流を少しで抑える。まだ戦るつもりだ。
「思ったよりタフだな」
傷は負わせた。ダメージ量と、真っ赤に染まった痛々しい姿を見れば、もう動けなくなってもおかしくない。だが、迸る殺気は一片の澱みもないと言えた。
赤蜘蛛に懸念はない。負ける要素は微塵も感じない。ただ、目の前の敵はすでに瀕死に近い。だというのに、油断は禁物だと、赤蜘蛛の戦歴が頭に訴えかける。
「……お前に時間を使ってる場合ではないんだ。用があるのは処刑人なんだからな」
誓いを立てた強い言葉。死にかけの子猫に向けたように、慎重になるとことは時に臆病な選択として、判断を覆す。
「次で息の根を止めてやろう。貴様の風では防ぎきれない爆風でな」
「……はぁ」
闇の奥から蜘蛛の足が見える。いったいどれほどいるのか。醜悪な蜘蛛の大群を前にして、リリアは似つかわしくないため息を吐いた。
「……諦めたか?」
「その逆。色々考えてたけど、これだけ血を流したら頭が回んない。もう面倒くさくなったからとりあえず、殺さない程度に、蜘蛛は潰すことにした」
「……は?」
風を纏う。リリアから生じた爆風に圧され、蜘蛛どもは吹き飛び、壁に叩き付けられる。そのまま風圧に押し込まれると、羽虫のようにブチっと圧死する瞬間に蜘蛛どもは爆発した。
「くっ……」
赤蜘蛛はかろうじて、周りに張り巡らした糸を使って、その場に止まる。それでも吹き荒れた風は視界を狭くさせたため、片腕で顔を庇い、片目を閉じたものの、敵を視線から外さぬように構える。
面倒くさいと発言した通り、身動きを封じるために、四肢に絡まった後は無理やり引きちぎっため、リリアの手首足首に糸は巻き付いたままだが、それでも自由は取り戻したと言える。肉を穿っていた赤い糸も、風で無理矢理切り離した。多少肉を刻んだ影響で血が出るほどに痛みもあるはずだが、リリアの顔には苦痛の表情は現れていなかった。
赤蜘蛛を真似るように、リリアは張り巡らせた糸に、いとも容易く舞い降りた。
「お前、力を出し惜しみしていたのか」
「……別に好きでそうしたわけじゃないけど、貴方たち『八つ目一族』は殺すわけにはいかないでしょ?」
「お前は知っていたか……」
八つ目一族。それが何を示しているのか、紗希には分からない。宙にいる二人に疑問を抱く紗希に答えるように、リリアが言葉を紡ぐ。
「『八つ目一族には手を出すな。出せば必ず報復される。執念深い蜘蛛の兄弟たちに』でしょ?」
「あぁ、そうだ。我ら一族の掟であり、……母の掟だ」
「さっき言ってた復讐ってのもつまり、八つ目一族の同胞が殺されたからその敵討ちってのは分かる。けど、黒の処刑人ではないはず」
「……なぜ、そう思う?」
自分の掴んだ情報を否定された赤蜘蛛は疑問をぶつける。標的は最初から決まっている。その標的は処刑人のはずだ。
「処刑人が八つ目一族のことを知らないわけはないし、処刑人のやるべきことは魔界と人間界のバランスを取ること。だから、違反を犯した魔族の住人を狩るのだけど、八つ目一族を狩ったりしたら、それこそ他の八つ目も人間界に乗り込んでくるのに、そんな馬鹿な手段を取るわけはない」
そう言いながら、内心ではギルの性格上、ついカッとなって、殺ってしまったとかもありそうだなとリリアは思うが、それは口に出さないでおいた。
さすがにそこまで短絡的ではないだろうし、今ここで八つ目一族を殺すわけにはいかない以上、紗希を護ることを考えれば、戦闘意欲を削ぐこれが最善とリリアは考えた。
「赤蜘蛛の貴方が来たのであれば、たかだか雑兵がやられたわけではないと思うけど、処刑人が殺ったという情報源は何?」
少しばかり間があったあと、赤蜘蛛の表情には変化はなく、紡がれた言葉は進展しない返答であった。
「それを、お前に言う必要があるか?」
「ないかもしれないけど、こっちはいきなり襲われたわけだし、人違いのうえに巻き込まれたとしたら、文句の一つでも言いたくなる」
「……」
赤蜘蛛が思案する。何かを言いかけたとき、近くから壁を破壊する轟音が響いた。