6:真なる敵Ⅴ
「生意気な猫だ」
声だけが響く。周りに感じる気配は明らかに人とは違うモノ。八本の脚をもつ蜘蛛。現実離れした魔界の住人は、いまだ慣れないけど、今回ばかりは私には荷が重い。
蜘蛛は……、蜘蛛だけは……無理だ。
「り、リアちゃん……」
自分でも情けない声をあげているのが分かる。でも、ただでさえ苦手なものが、犬ほどの大きさになって迫っているのは、あまりにも直視したくない光景だった。
キシ……キシ……と妙な音を発していた。
「大丈夫。手を離さないで」
「……っ」
暗闇で、敵がどこにいるかまだ掴めない。巨大な蜘蛛に囲まれているそんな状況のなかで、リアちゃんの力強い声が、何とか悲鳴をあげるのを抑えてくれた。
「やりな蜘蛛ども」
「邪魔」
リアちゃんの周りから風が発生する。勢いある風は、私とリアちゃんよりも外側を中心に爆発した。瞬間的な爆風は、衝撃波となり周りに蠢く蜘蛛たちを吹き飛ばしてしまう。
ギピィ……。そんな甲高い声も聞こえた。何匹かは壁に叩き付けられたのだろう。ほとんどの蜘蛛はそれだけで動きを止めてしまったようだ。
「……なるほど。風を操れるのか。さすがに猫になれるだけじゃなかったか」
「当たり前でしょ」
さっきから聞こえる声の主。どこに身を潜めているのか分からなかったが、間違いなく女性のものだった。
透き通るようなそれでいて少しとげのある声。声質と言葉がかみ合わない。そんな印象だ。
「蜘蛛は動けなくなったようだけど。そろそろ出てきたら?」
脅威が去ると少し余裕が生まれる。だが、声の主がまだ残っていることを考えるとまだ油断はできない。
「必要がない。動ける蜘蛛はまだいる。お前らが蜘蛛に喰われるのを私はただ、待てばいい」
「……当然の選択ね。けど、こっちも無駄な体力使いたくないから」
「……!?」
リアちゃんがある一点を見定める。真っ暗で何もないはずの遥か上空。予備動作もなく、リアちゃんの周りから風が生まれると、竜巻のような旋風が上へと立ち昇る。
蜘蛛は動きを止めてしまったため、静寂のなかで響く舌打ち。その瞬間、トッと軽やかな足取りで着地したのは、間違いなく大和撫子といった風貌の女の子だった。
短めの黒髪。ただ右目が隠れるくらいに前が少し長い。身に付けているものは赤く彩る、だけど擦り切れた和服だった。着物というより袴。動きやすいように下は短く、短パンのように脚が伸びていた。
「デタラメが当たった……」
「そんなわけないでしょ」
「…….わけではないようだな」
即座に否定する。両者の視線が交錯した。ようやく姿を現した敵。とはいえ、警戒は怠らない。
「……その女は人間だろう? なぜ、人間の味方をしている」
「貴方には関係ないでしょ」
「……確かにそうだ」
隙を見せない返答に、敵はさしたる感情を持ち合わせなかった。馬鹿なことを聞いたと言わんばかりに構える。
手を前へ。肘を僅かに曲げて指を伸ばす。何かをたぐり寄せるような手つき。対してリアちゃんも、同様の構えを取って風を惹きつけた。
「こっちも一応聞いておきたいのだけど」
「聞くだけ聞いてやる」
「蜘蛛を操る貴方は、八つ目一族で間違いない?」
「……そうだ」
空気が変わる。殺気が膨れ上がる。ヒュオッと風が唸ると、一直線に刃が飛翔する。
「……」
闇に慣れてきた私の目にも、敵の動きが速いことが分かる。飛んできた刃を悠々と躱し、腕を振るう。リアちゃんと同じモーションで、何かを飛ばしたかに見えた。
「……蜘蛛、じゃない?」
私にとっては有難いが、赤い線が走る。真っ直ぐに四本の赤い線。まるでレーザービームのように赤く光る攻撃を、風でいなす。
緋色のレーザーは、風によって軌道を変えて地に刺さる。
その瞬間に鈍い光は消えてしまう。暗いなかで視認するのは困難となった。ただそれ以上に、早々と第二撃が発射された。
「まだまだ」
敵の女は跳び上がり、両腕を交錯させる。降り注ぐのは八本の赤い線。ムチのようにしなら動きで襲い掛かる。金髪の少女は、姿を黒猫へと変貌させると、振り下ろされる時には、線と線の間が大きく広がり、猫一匹の大きさなら悠々と躱す隙間が生まれた。
「器用に躱す。だが……それで躱した気になるなっ」
女はもう片手の指先から同様の赤い線を放出する。文字通り、隙間を縫うように飛び出たリアちゃんを狙って、腕の振り上げに合わせて背後から赤い線が、曲線を描いて舞い戻る。
リアちゃんは何も発しはせず、冷静に、その身を再び猫から少女の姿へ変える。そして、足と左手を背後に向けて姿勢を整えた。クイックターンをするように、スケボーで座り込むかのような態勢になると、左手と足から風を巻き起こした。
襲い掛かる赤い線の乱舞を足場にするかのようにして、もう一度舞ったのである。
リアちゃんの風と共に足蹴にされた赤い線は弾かれるどころか、バラバラに散ってしまう。
すぐに女と同じ高さにまで飛翔したリアちゃん。女は装備も失って無防備の状態だ。加えて、リアちゃんの思わぬ間合いの詰め寄り方にぎょっと体が硬直しているはずだった。
「このクソ猫……っっ」
罵倒する間も待たず、リアちゃんが敵に向かってて手を伸ばす。間合いのない密着状態にて、瞬時に溜め込んだ風の力を爆発させた。
まともにリアちゃんの技を受けた敵は床にたたきつけられた。そのあとすぐにリアちゃんが軽やかに着地する。
「八つ目一族なら、糸を使うのは有名な話。蜘蛛と赤い糸を操る貴方はが、八つ目一族の『赤蜘蛛』で間違いなさそうだね」