6:真なる敵Ⅱ
ギルは神埼紗希の知り合いのことなんか知らない。その知り合いが魔界の住人を助けた事実など知りようもない。だがそれでも、ギルは即座にその場を離れた。
「ギル……!」
クランツが呼び止める。止める間もないまま、ギルは大きく跳躍して闇夜を駆け出した。
「逃げるんか! 処刑人のあんたが……」
氷魔の女の狙いは黒い処刑人だ。その処刑人が離脱したことで女は感情を露わにした。女の挑発じみた叫びなど聞こえていない。一瞥することもなく、ギルはその場から姿を消してしまった。
「ちっ……」
クランツは瞬時に思考する。自分がどう動くべきか。目の間にはまぎれもない魔界の住人。執行者として見逃すわけにはいかない。だが、今は神崎紗希のもとへと行くべきではないかと。
執行者としての立場を優先するべきか。自分の正義を貫くべきか。
「っ……、あんた……」
クランツが銃を抜く。弾き出したものは目の前の敵を駆逐すること。銃弾を避わすべく女は体ををひねるが、初動が遅れた故に、女の白い頬を一筋の鮮血が走る。攻撃されたことには別に驚かない。それが当然の理だ。執行者は人間で、魔界の住人を処刑する存在に違いない。
女の思惑は今執行者に関わっている場合ではないということ。所詮人間である執行者に後れを取るつもりは毛頭ないが、それは今ではない。ようやく見つけた処刑人を、このまま逃がすことはできない。
「引く気はないってか。やるなら相手になったる。……けどなぁ、私の復讐の邪魔をするなら容赦はせぇへん。優しくはできへんから覚悟しぃや」
女は冷気を溜め込む。辺りの気温は一気に下がり、女の言う氷結界なるものを展開させた。その氷魔に向けてクランツは次なる弾を撃ち込んだ。
「こっちも時間がないんだよ。しゃべってる暇さえな」
銃弾は女の顔面に撃ち込まれた。だがどうしたことか、女は倒れることも、激痛に苛まれることもない。一撃で即死するほどの銀色の銃弾を受けて尚、女から出でる殺気が増幅した。
「なら、分かりやすいなぁ。生き残ったやつが処刑人を追いかけられるってわけや」
女の目の前で銃弾が静止していた。女に命中する手前で、能力である氷に阻まれており、その場で銃弾はビキビキと氷結したかと思うと、粉々に砕けてしまった。
まるで見下ろすように、見下すように、冷徹な視線がクランツに向けられる。紫の髪を振りまいて、一瞬、瞳が紅く染まる。美白美人とは打って変わった形相であった。
「全く……つくづく、貴様ら魔界の住人を目の前にすると思い知らされる。とんだ化け物だとな」
装飾銃を二丁構えてクランツは覚悟する。時間がないというのに、確かにそこらの奴らとは違い、一癖ありそうだ。
暗い通りをかける。もともと駅周りしか土地勘のない場所だ。何処に向かってるかなんて分からない。それでも、今は逃げるしかなかった。
「リアちゃん……」
「大丈夫。自分でも走れるから」
猫の姿であるリアルちゃんを抱えて走る。腕の中で痛みに堪えるのは明白だ。一瞬、何が起こったのか分からなかったけど。暗い夜道のなかで、急に花火のような爆発に襲われた。
いち早く気付いたリアちゃんが助けてくれたけど、楯になってくれた分、前足を負傷してしまった。
走れるというリアちゃんは、腕の中から飛び跳ねて少女の姿へと変わる。前足は赤く染まってるものの、人間になりさえすれば、腕を抑えながら走ることは確かにできた。
その背後で、またも爆発が起こる。
「きゃっ!?」
すぐ近くの衝撃で足がもつれそうになるも、倒れるわけにはいかない。かろうじてこらえて走り続ける。
「止まらないで」
「分かってる」
リアちゃんは背後を気にしながら前を先行する。狙撃でもされているのか、暗くなった今の視界だと私には見当もつかない。次にどこで爆発が起きるか分からない。言いようもない恐怖が体の動きに鈍らせた。
「とりあえずもう少しがんばって。今は逃げるしかない」
返事しようとしたところ、再び爆発が起こる。今度は右前だ。そこまで大きな爆発じゃないのが助かるけど、爆風でよろめいてしまう。
「くっ……」
「え……」
ただ懸命に走ることをやめない。私が顔を上げたとき、視界に留めるのは腕を向けて風を操るリアちゃんだった。
もしかして……。
爆発が小さいんじゃない。爆発の瞬間、リアちゃんが風をぶつけて衝撃を最小限に抑えてくれているからだった。
負傷した右腕を掲げている姿を見れば、今のこの状態は長く続くものじゃないし、無理はさせられない。
「リアちゃん、これからどうすればいいの?」
「攻撃の座標は分かるけど、敵の本体が確認できない。いったんどこかに身を隠して、敵を確認したい」
金色の髪を振りまきながらリアちゃんがはっきりと述べる。身を隠す。そうは言っても走る夜道は開けているだけで何もない。それに、人を巻き込まないようなところを考えないと。
「民家があるところは……だめだ。なら、公園とか、でもここらへんはあまり来なくて……」
どこだ、どこに向かえばいい。人がいなくて、身を隠せる場所。敵を確認でき場所……。
「あ………あそこなら……」
「紗希……?」
「リアちゃん、あれ……あの大きな建物が分かる?」
「なるほど。分かった。少し距離があるから……」
そう言ってリアちゃんは私の手をぎゅっと握った。私よりも小さく幼い手。それでも、握った力は頼もしい力強さを持っていた。
「ずっとはできないけど、これで敵を引き離す」
「うん」
なんとなく、リアちゃんの考えていることが分かった。走りながら、リアちゃんの周りに風が生まれる。小さな台風のように旋回していて、暗い闇の中でも光を灯すように、長い金色の髪が揺らめいた。そして、足を力をこめて踏み込んだ瞬間、ロケットのようにリアちゃんが飛翔する。手を握られた私も同じように低空飛行で駆け抜ける。舌をかみそうになるけど、あまりにも速いその速度で、敵の攻撃はあっという間に置き去りにしてしまった。
「くそっ……」