4:交差Ⅶ
結局連絡をしなかったわけだから、庵藤が来てしまったことは可能性としては高い。けれど、紗希がいるのは狭山にとっては思いもしなかった。
つい嬉しくなるが、よくよく考えれば後ろにいる赤の存在は非常に宜しくない。折角心配してくれたのかもしれないのに。デートに誘った次の日に学校を休み、女性を部屋に入れている状況は間違いなく嫌われてしまう。
喜んだのも束の間、狭山は音を立てずにその場を離れ、居留守を決め込むことにした。
「赤さん。お願いがあるんだ」
「は?」
窮地に追い込まれていると認識した赤であるが、実際には狭山のほうが死にそうになっている。
「音を立てないで。いない振りして」
「え、いや……」
「絶対だよ」
「あ、うむ」
狭山の必死の形相に圧され、赤はつい了承してしまう。いや、それよりも自分の安否が心配なんだが。自我を取り戻した時には、狭山に人差し指を立てられてしまい、もう何も言えなかった。
取り敢えず赤は部屋に戻ってるように言われる。事の展開について行けない赤ではあるが、自分を如何にかしようと呼んだ仲間ではないと察して従う。赤がいち早く引っ込んだ。狭山もゆっくりと玄関から離れ、そのまま奥の部屋で大人しくしようとしたところ、何とカチャリと解錠の音が背後で鳴る。
「……!?」
何故開いたのか。紗希も庵藤も合鍵を持っていない筈だ。いつもポストに入れてた鍵だって朝のうちに回収していた。狭山の頭の中で急速に考えが回るが、それよりも早くすべきことは、兎に角扉を閉めることである。
狭山は叫びながら今にも開こうしていた扉を、閉めに掛かった。
何やら騒がしいなと赤は思う。一旦奥に引っ込んだとはいえ、様子を見ようかと体を乗り出す。その時、もう一つの違和感を赤は感じ取った。
「正面じゃないのか」
ちょうど玄関とは反対になる、リビングに面するベランダ辺り。いや、正確には窓だろうか。僅かだが魔界の住人特有の気配を感じた。黒猫のリリアである。最大限に息を潜めて赤は様子を伺う。安易にリビングの部屋に入ることは出来ず、気配だけを頼りにその存在を認めた。
リリアもあくまで偵察として裏から探っているだけである。リリアからは魔界の住人を認識出来ず、ただ外のベランダから様子を見るばかりである。赤にとってはそれが分からない。
「昨日の奴か?」
と赤は警戒する。何者なのか。自分を狙っているのか。この場所に確信があるのか。今殺るつもりなのか。姿が見えないどころか、相手の思惑も分からない。来るなら来ればいい。殺られる前に殺るだけだ。
そのうち玄関での騒動も済んだようで、リリアも大人しくその場を去った。リリアも気取られぬように警戒していたのは、赤も理解出来た。しかし、リリアが行動を起さなかったことから、少なくとも自分の存在はまだ見つかっていないのだろうと息をつく。
殺られるぐらいならその前にと思ったのは間違いない。けれど、負傷している今では生き残る見込みは酷く薄い。力が抜けた赤は、そのままリビングのドア越しに腰を落としていた。
「あれ? どうしたの?」
紗希たちを何とか追い返した狭山が戻ってくると、赤が座り込んでいる様子を見て口にする。
「別に。何もない」
赤は語らない。扉に手をついてゆっくりと立ち上がった。
「それより、さっきの連中は誰なんだ?」
「あ、学校の友達。さっき携帯に連絡くれてたんだけど。何も返してなかったから、その……心配させたみたいでさ」
「え? おい」
馬鹿なのかと思えるほど、能天気な奴だと赤は感じていた。けど今の狭山は、酷い顔をしていた。暗く沈み、今にも泣き出しそうな物悲しい表情だ。殆ど興味すらなかった相手だが、さすがに赤も戸惑いを隠せなかった。
「と、取り敢えず話くらい聞くぞ」
赤が寝ていた部屋に移動して落ち着くよう促す。そこで大体のあらましを赤は聞くことになった。
「……」
最後まで聞いた赤は、う~んと頭を悩ませる。まさか好いた惚れたのことだとは思わなかった為に、何と答えるべきか迷っていた。
「そこまで気にする必要はないんじゃないか」
ベッドに腰掛ける赤。狭山は赤と向かい合うようにして、床に座り込んでいた。
「そうかな。でも折角来てくれたのに」
「いや、別に私は見られてないし。そもそも私とは何もないだろ」
「それはそうだけど」
納得しない狭山に赤は困り果てる。というか、本来ならこんな事をしてる場合じゃない。詳細は不明だが、魔界の住人が来ていたのだ。目立つ行動は避けるべきだが、早くにこの場を移動したほうが賢明だった。
「大体追い返したくないなら……」
いや、そこまで口にして赤は噤んだ。そもそも自分が転がり込んだからである。自分がいなければこいつは追い返す必要はなかったただろう。学校とかいう場所にも本当なら行っていただろう。
文字通りではないが、赤は少しばかり頭を抱えた。この狭山とかいう人間は馬鹿だ。それは間違いない。だが、自分はもっと馬鹿だったということだ。
「潮時だな」
「え?」
自分がいたら迷惑になる。そんな自粛する思いからでは決してなかった。人間とは相容れないはずだ。ただ、今まで感じなかった何かが赤の中に渦巻いていて、このままでは赤自身おかしくなると感じたからだ。
「正直に言うと私は追われてる身だ。この場所も嗅ぎつけられた可能性がある。私はもう行く」