3:疑惑Ⅵ
狭山の突然の早退。その事実は、クラスの皆にも知れ渡り、より一層喧騒を大きくさせた。庵藤はその後、自分が迂闊にも声を荒げてしまったせいだと思ったらしく、比較的冷静にクラスを静めていた。それから先生が戻ってくるまで、大した時間は要さなかった。
昼休みになる前には、学校全体で不審者の確認は出来なかったとの放送が入った。けれどその痕跡は確認された為、この日は全員帰宅を余儀無くされた。私にとっては何より好都合だ。狭山の早退を知ってからは、私も、どうやって抜け出そうか悩ませていたから。
「紗希。私達も帰ろっか」
空はまだ明るく、日差しは強過ぎるくらいものだ。けれど帰宅風景はいつもと変わらない。むしろ、半日授業となって喜ぶ者もいるくらいだ。皆に習って、優子からも一緒に帰ろうと誘われる。加奈も一緒だった。
「ごめん。今日寄りたいとこある」
「今から?」
まさか断られるとは思ってなかったらしい。目を見開いて優子は驚く。加奈も、急遽半日で帰ることになったのに、何処に寄るのかと疑いの眼差しを向けていた。
「何処に寄るの?」
「ちょっとね。お母さんから頼まれ事。元々放課後に寄るつもりだったから」
「……そう。じゃあしょうがないか」
口から出任せではあるけど、加奈はそれで、一応納得はしたみたいだ。勘が良い加奈にボロが出ないよう、私は急ぎであるかのように振る舞う。
「ごめんね。また明日」
「うん。また明日」
早々に私は教室を出る。急ぎというのは、あながち嘘ではない。先に教室を出た庵藤を、追い掛ける必要があったからだ。
「紗希。最近何か変だよね……」
「……そうね」
生徒は全員帰宅命令が出ている。部活や委員もそれは関係ない。なら、庵藤も皆と同じように帰ることになる。けど、庵藤の性格を考えるなら、真っ直ぐに家には帰らない。必ず狭山の家に向かうはずだった。
「ちょっと待った!」
「は?」
校門を出ようとしてるところ、走って何とか追い付いた私は、庵藤の袖を引っ張った。
「何だよ」
わざわざ走って追い掛けてきたのだ。何の用事かと驚きながら尋ねてくるけど、私は息が上がって、まだ返答出来る余裕がなかった。袖はしっかりと掴んでいるけど、下向きになり、しゃがみ込みそうになって膝を曲げてしまう。
「ごめん。ちょっと、待って」
呼吸を整え、ようやく顔を上げると、庵藤が早くしてくれと言いたげに見下ろしていた。狭山に怒ってる分が、このまま私に飛んで来そうだ。
「今から何処行くの?」
ちゃんと踵を返してくれたからには、話を聞いてくれるのだと分かる。掴んでいた袖も離して、庵藤が放つ威圧(意図してないかもしれないけど)に負けじと、しっかりと見据えた。
「……啓介の家だ」
一瞬言葉を躊躇ったのが分かる。わざわざ追い掛けてきたことから、警戒しているのかもしれない。
「今日のこと?」
「そうだ。昨日のこともあるが、いくら何でも今日のことは看過出来ない。止める気なのか?」
きっぱりと、気持ちいいくらいに言いのける。それでこそ、庵藤だと思ってしまう。納得いかないことはてんで曲げない。長所なのか短所なのか、迷い所ではあるけど。
「止める気はないけど、あ、でも止めに来たのかな」
狭山の突然の早退に物申したい気持ちは分かる。けど、狭山の妙な行動は、魔界の住人に関わっているのかもしれない。後で聞かせてほしいと言った後すぐの早退は、まるで逃げたかのようだ。少なくとも、私にはそう映ったのだ。
今から家まで追い掛けて聞かせてもらうつもりなのだから、庵藤にいてもらっては困る。それどころか、危険なことになるかもしれない。
「……神崎、お前大丈夫か?」
だというのに、庵藤には目の前で広げた手のひらを、ひらひらと振られてしまう。完全に正気なのか確認されていた。いや、そうじゃなくて。
「ごめん、今のは言い方が悪かった。えっと、確かに今日のことは私も納得してないよ。だから、狭山のとこに行くのは賛成してる。けど、庵藤は行かなくていいから」
「意味が分からん」
「だから、私が行くから庵藤は行くなって言ってんの」
「そうじゃない。神崎は行くんだろ。俺だって納得してないんだ。なら、俺だって行っても構わないだろ」
「ああ、もう。とりあえず庵藤は待機。大人しく家に帰る。分かった?」
「そんなんで分かるか。何だ、結局は止めに来たってことだろ」
く、相変わらずの分からず屋だ。中々曲げないのはやっぱり短所だとはっきり思う。
「うん。多分そう。やっぱり止めに来たんだと思う」
こうなったらと開き直ってやった。そして、一筋縄に行かならないならと、覚悟を決めるしかないと思った。
「認めても俺は承諾しないぞ」
私に構わず、庵藤は校門の外に足を踏み出そうとした。私はその強い意志を宿した背中に向かって言い放つ。
「狭山が早退した本当の理由を、私が知ってるかもしれないと言っても?」
「……!?」
庵藤は力強く踏み込んだ足をピタッと止めた。顔だけは振り向かせたが、驚愕のあまりか、それ以外の反応は何もない。それきり黙ったままでいる私を目にして、庵藤は何を思っただろう。今口にしたことがどういう意味なのか。庵藤なりに、ゆっくりと噛み砕いているようだった。
「……何だよ、それ。何で、神崎が知ってるんだ」
遅れて体も向き直すと、震えた声で、庵藤は口を僅かに開いた。
「可能性の話だよ。だから、かもしれないって言ったの」
「それでも、予測はついてるってことだろ」
「……うん」
「早退した理由は、何だと思ってる?」
当然の疑問だ。でも、今の私にはそれを答えることは出来ない。
「それは……言えない」
「何故……、神崎には分かる」
「……言えない」
「何で……、俺が行ったら駄目なんだ!」
それは、庵藤の叫びだった。何故言えない。一番聞きたいであろう疑問を、喉の奥に押し込み、庵藤なりに妥協したはずの呼び掛けに違いなかった。この時ばかりは、私達の横を通り過ぎていた他の生徒も、一体何事だと視線だけは投げ掛けていた。