4:胸中Ⅴ
「それはそうと……」
教室に戻る途中、加奈が唐突に尋ねてくる。
「紗希もやるでしょ?」
「え?」
「え? じゃなくて勉強会。むしろハードルが高い分紗希が一番頑張らないとね」
「あ、うんそうなんだけど。今日はちょっと……」
「え~またぁ?」
「紗希最近付き合い悪くない?」
「ごめん。また今度お願い」
今までもテスト前にはよく勉強会をしていたのに、最近は断りがちになってしまい、加奈は少し不満気だ。勉強も大事なのだが、やることがある。
「まぁ仕方ないけど、ちゃんと勉強してる?」
「してるよ。数学とか物理とかは正直なところ、高得点とれそう」
スカルさんに教えてもらったおかげで、理数系は大分自信が持てる。もちろん、まだまだ応用までは網羅出来ていないから頑張らないといけないし、社会や英語といった暗記ものにも時間をかける必要はある。
「紗希にしてはけっこう自信あるみたいじゃない」
「えへへ、まぁね」
感心するように言われたので少し得意気になってしまう。すると、後ろから抱きついてきた優子が羨ましいとぼやく。
「もぅ、紗希余裕すぎ」
「そんなことないって。まだ赤点はないってくらいだし」
「はいはい。優子も負けないように、少なくとも赤点は取らないようにね」
「むぅ~」
と優子はまぁるく頬を膨らませる。
「膨れない膨れない」
私は、そう言って柔らかい風船をつつく。空気が抜けると優子はびっと、人差し指だけを伸ばして私に見せてきた。
「じゃあ次。次は紗希も参加」
「うん。そうだね」
何事かと少し驚いたけど、私はめいいっぱい微笑んで答える。
「優子って紗希がいなくて寂しそうにしてるからね」
「そ、そんなことないもん。加奈でしょそれは。私はただ、紗希もいないと私だけ厳しくされるというか」
「そんなに厳しくしてるつもりないんだけど」
「えぇ? あれで?」
「確かにたまに厳しいけど、ちゃんと分かりやすく教えてくれてると思うよ」
私もそこまで厳しくないように思ったので口に出したのだが、ぱっと離れた優子はそんなことないと反論した。
「もぅ、分かってない。紗希は何にも分かってない。加奈はね、紗希がいない時はすっごく不機嫌になるの。それはもう八つ当たり以外の何でもないね。紗希がいなくて拗ねてるんだよきっと」
「そうなんだ?」
「ち、違うわよ。紗希だって勉強しないといけないのに何考えて……って何よその顔は!」
顔を真っ赤にして加奈が声を張り上げてる。普段クールな加奈は、ちょっと弄られると弱いのだ。それを知っていると、ついついいつものお返しをしたくなる。そんな悪戯心が芽生えてしまい、つい顔に出てたのかもしれない。純粋に嬉しいのもあるけど。
「そっかぁ。加奈ってけっこう寂しがり屋なんだ」
「……っ」
「クーデレってやつだね」
「……く、ぅ……二人とも生意気」
いつもの冷静さが欠けて何も言い返せないみたいだ。あんまりやりすぎると後が怖かったりするので、注意が必要となる。今回はもう、早めに切り上げたほうが良さそうだ。
「……優子は後で覚えときなさいよ」
「え、嘘。冗談だよ冗談」
報復が近く迫ってると気付いた優子は、打って変わってわたわたと慌て始める。
「ダメ。私本気にしたもん」
「うわっ。絶対嘘だよ」
それについては同意する。さっきまでの怯んだ様子はどこへやら。もう悪戯でも仕掛けるかのように楽しみな笑みを浮かべているのだ。優子には悪いがこれは、ご愁傷様としか言いようがない。
「紗希だけ逃げるのずるい」
「えぇ。そんなこと言われても。加奈もほどほどにね」
「分かってるって」
その表情は本当に分かっているのか。とりあえず私は、優子にこれ以上ない励ましの言葉を贈ることにした。
「頑張ってね」
「紗希の白状者」
じとっと羨むような視線が投げ掛けられてしまう。良心が痛い。
「あ、勉強会やるのはいいんだけど、早めに切り上げてね」
危うく伝え忘れるとこだった。これだけは言っておかないと。
「どうして?」
理由はちゃんとある。
「最近なんか変な事件多いから」
具体的に言えば、夜に動くであろう魔界の住人に出くわさないためである。今の問題は執行者ではあるけど、また巻き込まれないとも限らない。魔界の住人のことなんて知らない二人には、これぐらい曖昧な理由でも充分だと思う。
「ああ、昨日もまた病院で変な痕があったんだよね」
私は見れなかったのだが、今朝ニュースになったようだ。思い出したように優子が口にする。
「うん、そう。もしかしたら巻き込まれるかもしれないしね」
「……そうだね」
……。
優子に一瞬陰りがあった。
多分、病院で襲われたことを覚えているんだと思う。きっと怖い夢なんだと言ったが、疑っているのかもしれない。ニュースになるくらい、説明がつかない戦いの痕があり、普通じゃないことが起こっていると。
でもそんなこと、思い出して欲しくない。出来ればそんなこと、知らずに無事でいてもらいたい。
「紗希は?」
ゆっくり同意する優子とは別に、前を歩く加奈がきびすを返した。
「え?」
自然と足が止まってしまう。
「紗希も、巻き込まれないように注意しなさいよ」
「うん。分かってる」
「なら……いいけど」
そう言って加奈は教室に行こうと促した。
もしかして加奈も、何か察しているのだろうか。思えばメリーの館の時から、私が何か知っていることは感付いているかもしれない。
それでも、聞かないでほしいと言ってから、それ以来追求してこないことは有り難かった。私が勉強会を断る理由も、本当は普通の理由ではないと気付いているかもしれないのに。
「紗希行くよ」
「うん……」
促された私は何とか返事だけは返す。二人の背中を見据えながら、もう巻き込ませないと誓った。
この平穏は、絶対に壊させないと。