2:迷いⅤ
いまいちギルの言っていることが分からない私は、ただ聞き返すしか出来なかった。
「なっ……!?」
直接何をしていたのか見たほうが早いと、ギルの肩から覗いてみる。すると、とんでもないものがそこにあった。
「ちょ、何して……」
「あ?」
「あ、じゃない!」
全く悪ぶれる様子のないギルに憤慨する。さっきまでちょっと悪かったかななんて思ってた自分が馬鹿みたいに思えた。
私の目に飛び込んできたのは、とんでもない姿に変わり果てた平清盛である。もはや彼に原型はなく、何とか写真の下にある平清盛という説明書きで何とか分かることが出来た。簡単に言えば、これでもかというくらい盛大に落書きされていたのだ。
「ギルの馬鹿! 馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿! あ~もう。しかもペンで書いてるし!」
「ん? もしかしてまずかったか?」
「当たり前でしょ! しかも余すことなく書いてるっ!」
卑弥呼から始まり、藤原道長、織田信長、徳川家康、板垣退助などなど。遥か昔から近代まで落書きが網羅していた。
「まぁこれで最後まで読まなくても少しは面白くなるだろ」
「これは面白い面白くないの問題じゃないの!」
「そんなに怒鳴るなよ」
はぅ……。そりゃ怒鳴りたくもなるよ。よりによって日本史だし。二時間くらい前にこれを渡した自分が非常に恨めしい。
確か明後日くらいには日本史があったはずだ。
「ほぅ、随分と楽しい教科書だな。神崎」
「ふぇ? あ、いや、これは、その、私じゃなくて……」
「終わったら私のところに来い」
「いや、だから……」
「来い!」
「……はい」
うわぁ、これが日本史の先生に見つかった時の光景が、すらすらと思い浮かべることが出来る。女性なのに、すっごく怖いことで有名な先生だ。
光る眼鏡がよりそれを顕著に表し、眼鏡の奥にある眼光にはとても逆らえそうにない。
いっそ庵藤の教科書とすり替えてやろうか。
「ほぅ、随分と楽しい教科書だな。庵藤」
「いえこれは俺の教科書じゃないですよ」
「どういうことだ?」
「さっきの休み時間に神崎にすり替えられてたんで」
「神崎。ちょっとこっち来ようか」
「……え? あ、あの……」
うわぁ、余計危険な目に遭うことがすらすらと思い浮かぶことが出来る。ってか、何ですり替えてる瞬間を庵藤は目撃しているんだろう。
いや、自分の想像に疑問を抱いても仕方ないのだが、実際にそんなことになりそうだ。
新しく買うまでは何とかバレずにするしかないか。
「はぁぁ」
何か勉強の疲れ以上に疲れた気がする。
「紗希。腹減ったぞ」
「……………」
ギルは私の勉強が終わったのを見越して、ご飯をねだってきた。さすがの私も怒る。
「ギルの馬鹿っ!」
「何だよ、いきなり」
「何よ。落書きなんかしたくせに」
「けっ」
ぷいっと、ギルは面白くないとあらぬ方を向いてしまい、仕舞いには寝そべってしまった。
子供か!?
ついそう突っ込んでしまいそうになる。落書きなんかして、怒られて拗ねた子供みたいだと思う。戦っている時と比べると随分違うものだ。
「もう限界だな」
「へ?」
そう言ったかと思うと、気だるそうに起き上がり、スタスタと部屋を出て行く。もう何なのか分からない。もうほっとこう。
時計を改めて見ると、そろそろお父さんたちも帰ってくるはずだ。帰ってきたところで、ギルと鉢合わせなんてことになると、これまた非常に面倒くさいのは分かり切っている。
ギルにはいつも通りに外にいてもらおうと呼び掛けるため、結局私はギルの後を追った。
どうやら一階に降りていたらしい。音のする方へと出向いてみた。
「ギル? もうすぐ帰ってくるはずだからそろそ……ろ……?」
「ふぁ?」
「……ちょ、な、何してんの?」
台所にいたギルは、冷蔵庫を開けてひたすらに色んなものを食べていた。リスみたいな顔になって。
「飯食ってんだが?」
「わぁぁ、駄目だって。それ凍ってるし」
全く気にせずに冷凍室にあるものまで手をつけていたようだ。さらに酷いことに、色々とかじってみた痕があり、ギルにかじられた肉なんかは最悪だ。さすがにこれはどうしようもなく、最後まで食べてもらうことにした。
「というか、そもそもこんなの食べて大丈夫なの?」
こんなのというのは、冷凍されているものだ。普通なら大丈夫なわけがない。当たり前だけど。
「大丈夫なわけあるか。あんまりうまくない」
「……あ、そう」
どうやら食べても健康云々に関しては問題ないようだ。しかし、作らないとなればそれはそれで食材が消えてゆくことになるようだ。結局は、作ってあげないと私が困る羽目になるらしい。より大きな溜息が出てきた。
その後、何とか綺麗に片付けてお父さんたちを迎える。ギルに出くわすことを回避したのは成功出来て良かった。
けど、ギルが適当に食べてしまったわけだから、不自然に食材が消えてしまったわけだ。いつもは、何とか実際に料理を作って私が食べていたことにしていたから、食べ盛りだと思っていてくれた。
だが今回だけはどう考えても不自然だった。特に、あの大きな冷凍肉が丸々無くなっていたことは腑に落ちない。
それでも私は自分が食べてしまったとしか言い訳が思い付かなくて、「食べ盛りなのはいいけど、少しは気にしたほうがいいわよ」と、お母さんにあらぬ心配をされてしまった。