6:真意Ⅳ
「く、来るな」
エルゴールは完全に裸の状態となり、自分を護る者がいない。選んだ手段は、精製中のウイルスが入った試験管を楯にすることだった。
「……」
「そうだ。これには殺人ウイルスが入っている。それは恐ろしい細菌だ。あっという間に広がり人間はもちろん、魔界の住人だって殺してしまうぞ」
「それはおかしな話ダ」
「な、何がだ……?」
「魔界の住人も蝕むなら貴様も危ういだろウ」
「……っ。わ、ワクチンだ。俺はワクチンを持って……」
「なら話は簡単ダ。貴様を殺して奪えばいイ」
「……ぐっ」
「というより、猿芝居はやめろエルゴール。まだ完成はしてないんだろウ。だからいまだに持って逃げようとしていル。完成しているなら、使ってしまえば私たちを簡単に殺せたからナ」
完全に見破られている。ハッタリ任せの脅迫も、陳腐な取引も叶わなかった。
「そろそろ殺して……」
「舐めるなぁ!」
エルゴールは叫んだ。
ああ、そうだ。今俺はこいつに、かつて俺が蹂躙した相手に追い詰められている。見下されている。そんなことがあっていいものか。あっていいはずがない。
躊躇っていた最後の手段だ。みすみす殺されるというのなら、使ってしまおう。俺はまだやるべきことがある。まだ死ぬわけにはいかない。
エルゴールが秘めるのは生への執着。こんなとこで死ぬわけにはいかないという強い覚悟だ。
「死ぬのは貴様だスカルヘッドォ!」
エルゴールが取り出したのは注射器だ。素早くそれを自分の腕に打ち込む。
「……っ。しまっタ……」
まだ隠し持っていたのか。何の薬だ。何の効果があるのというのか。スカルヘッドに焦りが生まれる。だがもう、時は既に遅かった。
「ハァ……ハァ……もう遅い。これで……っああっぐぅああぁ……!」
ドクンと脈を打ち、エルゴールの体に異常が見られる。僅かながら筋細胞が刺激されて膨らんだ。その影響でエルゴールの着衣はビリビリと亀裂が走る。
「……っ!」
そして消えたかに見えたエルゴールが、スカルヘッドの首に目掛けて襲い掛かった。
「ハァァァ!」
「ぐぅゥ……! まるで、獣だナ……」
掴まれた腕を切り落とし、スカルヘッドは窮地を脱した。
「っハァ……馬鹿め。口裂けに打ったものとは違うぞ。純粋に能力を上げるだけだ」
「……そうカ。そいつは良かっタ」
「がっ、ぁぐっ!」
エルゴールの身体に一本の線が突き刺さる。それは、スカルヘッドの手元から伸びていた。あまりに早い所作にエルゴールは反応出来なかったようだ。
「……貴様っ」
「意識があるなら、恐怖も分かるだろウ。貴様はただでは殺さんヨ」
「くそっ、くそっ……」
エルゴールは自身を貫いているモノを抜こうと躍起になる。が、深く刺さった「それ」はビクともしなかった。
「懐かしいダロ? 貴様が私に与えた能力ダ」
パキンっと無理矢理に叩き折ることで、エルゴールは肉体を貫くモノを取り除く。
「っ、ハァ……ハァ……」
スカルヘッドが手にしていた「それ」は、少しずつ元の形へと回帰する。叩き折られたために不完全ではあったが、それは間違いなく「メス」だった。
だがメスとしての機能を失ってしまったためか。スカルヘッドは手放すように捨ててしまう。
次にスカルヘッドは大きな武器を取り出した。それは槍か、剣か、薙刀か。いや、どれも違う。これもメスだ。先程長く伸びてエルゴールを貫いていたのもメスであり、今手にしているニメートルもの巨大な武器も同じくメスであった。
二本とも何処に隠していたのか。別に隠していたわけではない。スカルヘッドは普通のメスを、普通に所持していたに過ぎない。これがスカルヘッドの能力。名を「拡大縮小自由自在」。実に単純なネーミングだが、能力の本質を何より表していた。
スカルヘッドがその手で触れるモノは、伸ばすことも縮めることも、拡大することも縮小することも思いのままだ。鉄、プラスチックなどその材質に制限されず、まさに魔法の手である。
「私がこの時をどれだけ待ち望んだカ。ようやくだ。ようやくこの手で、貴様を殺してやれル」
「くそっ、カゲツっ……!」
勝ち目がない。そう判断したエルゴールには、これ以上手立てが残っていなかった。あとはもう、最高傑作とした作品に頼るしかない。
「っ……」
ギルとカゲツは両者とも、激しい攻防を繰り広げていた。ほとんどその動きは互角で均衡を保っていた。だが徐々に、だが確実に、カゲツが圧され始める。カゲツはまさに影そのものだ。急所など存在しない。なら、ギルの攻撃をいくら受けたところで意味はない。
だがそれについては、黒い炎が凌駕していた。熱さも感じず、痛みもないカゲツだが、その黒い炎により体を少しずつ蝕まれていた。ただの炎なら問題はなかっただろうが、この特殊な炎は対象を燃やすものではなく、どちらかと言えば消滅に近かった。
「くそっ」
カゲツは振りかぶった。それが悪手だったわけではない。悪かったのはただ一つ、その相手が悪かった。
「外に出たのは間違いだったな。おかげで黒炎が使える」
カゲツの叡山剣を、ギルはその炎で喰らい尽くした。そのままカゲツへと炎を撃ち込む。集中的に炎を宿した右手で、敵の肉体を突き破る。どんなに堅固でも、黒炎の槍に貫けぬものはない。
「煉獄穿!」
「……ッ!?」
腕をうずめた状態で、さらに敵は全体を炎に包まれる。
「ギィ……ァアァァアァア!」
「……っ、そ、そんな、馬鹿な……」
エルゴールが目にするのはただただ激しく燃え盛る黒い炎だ。包まれているのは紛れもなく自身の作品であった。
「あぁ。お前の傑作品は思ったよりも、随分と燃えてくれる」
「ぐ……ぅ」
何なんだこいつは。あまりに冷たく笑う。処刑人だと。それどころか、こいつは、その手に黒い魔性の炎を宿す姿はまるで……、悪魔か死に神じゃあないか。
そうエルゴールは背筋を凍らせた。自分に間違いなどあるはずがない。エルゴールはそう今まで常に確信してきた。隠し部屋に乗り込まれた時も、まだ覆せると考えていた。だが今になって、ようやく、エルゴールはこいつに、この黒い処刑人にだけは近付くべきではなかったと、後悔の念を感じた。それが、エルゴールの最期だった。
「消えろ狂気の塊。出来れば貴様には、ただの一度も会いたくなかっタ」
大きく拡大されたメスが、彼女たちの、そして今回の元凶を両断した。