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黒を司る処刑人   作者: 神谷佑都
3章 病院に潜む影
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5:名前ⅩⅠ

 リリアが限界にきているのは確かであった。だがそれでもまだ朽ちるわけにはいかない。今まさに紗希が殺される危険に見舞われている。ならば、たとえ意識が朦朧とするほどであっても、リリアは此処で立ち上がらなくてはならない。


「……紗希っ」


 逃げないでいるその背中に向かって、リリアは絞り出した。逃げられないのではなく、逃げようとする素振りすらないことに、リリアが叱咤したのである。


「……っく、うぅ……」


 紗希は何も言えず、恐怖も含むためか泣くだけだ。そして……。


「ありがとぅ、ございます……」


 耳にしたのはそんなお礼の言葉。不釣り合いな発言に紗希とリリアは耳を疑う。


「おかげで……正気に戻れ、ました……」

「……ぁ」


 紗希が気の抜けた声をあげる。切り詰めた空気がようやく和らいだ。


「……すみません。私が正気を失ったばっかりに」

「……あ、いえ」


 彼女は律儀に謝った。紗希も彼女のせいじゃないことはもう、よく分かっている。だからこそ、無事だったからこそ、もう気にしないでほしい口にした。危うく殺かれかけたのにもかかわらずに。


「………」


 催眠の状態になっていたとはいえ、リリアにも看護師の経緯は分かる。だが紗希のように、うまく納得は出来ていなかった。実際にギリギリの状態だったのもあるし、魔界で生きてきたことを考えると当然だった。


「紗希……さんでしたか。私が今から言うものを取ってきてもらえますか?」

「え……はい」


 立っているのが億劫だったのか。彼女は崩れたように腰を落とす。心配になる紗希に対して彼女は申し出た。


「何を……する気」


 リリアは警戒していた。正気に戻ったとはいえ、まだ敵である可能性は消えていない。疑いの目を向けるリリアに、裂けた口で、彼女は優しく微笑み返した。


「大丈夫です。私は……元々看護師だったので」


 それはまだ、人間として生活を送っていたときのこと。エルゴールに目をつけられるよりも、もっと前のことだった。


 紗希に伝えたのは、医療道具各種。それも多量だった。素人である紗希にも分かりやすい咀嚼した説明だ。彼女は、紗希から病院の部屋に安置されていた医療道具を手にすると、自分よりもリリアの処置を行った。

 複雑な心境ながら、リリアは黙って治療を受けた。何がリリアを大人しくさせたのか。リリアにとって感じるものがあったのかもしれない。

 医療に携わったといっても、医師ではない。せいぜい応急処置を少し上回る程度に過ぎない。だがそれでも、リリアの状態を改善させるには十分過ぎるくらいだった。


「あとはあなたなら、安静にしてるだけで大丈夫ですよ」

「あ、ありがとうございます」


 リリアに代わり、紗希がお礼を言った。と同時に、彼女の体も、先程より血に滲んでいることが伺えた。

 けれど彼女は、自分で出来る範囲すら処置を試みない。紗希は気になって尋ねる。


「……あの、次は貴方が……」


 だが、彼女は首を横に振る。


「……このままでいいです。もう、疲れましたから」

「……え!?」

「自分の体は自分が一番分かるなんて、よく言ったものです。……今私が正気でいられるのは、ただの小康状態に過ぎません」

「……で、でも、治す方法だって……」

「……仮にあったとしても、私は……私は、たくさんの人をこの手にかけました。だから……」

「……っ。だから、このまま死にたいってことですかっ!」


 紗希の怒声が飛ぶ。


「それも、仕方なかったんじゃないんですか。今のあなたを見れば、それくらい分かります。それに、犠牲になった人を悔やむなら、何か出来ることがあるはずです。死にたいなんて……そんなっ……」


 紗希にも分かるはずだった。

 今目の前の彼女は、単純に死にたいわけじゃない。ただ償いきれないと分かってはいるものの、償いに近いことをしたかった。それを今、生を手放すこととしている。そんなものは償いなんかじゃないと言いたい紗希だが、うまく言葉を見付けられない。


「……そう、ですね」


 けれど、紗希が本当に伝えたかったこと、真意は確かに伝わっていた。


「こんなの、逃げてるだけかもしれない……」


 そう呟いた時、彼女の体が崩れ始める。


「……体がっ」

「すいません。でもやっぱり、遅すぎたみたいです」

「……っ。こんなの……」


 元々人間である彼女は、魔界の住人とは違い、肉体の崩壊は起こさない。けれど、長すぎた。彼女の肉体は、人間としての限界を、とっくに越えていたのだ。


「泣いて、くれてるんですか。こんな……私のためにっ……」


 紗希は確かに涙を流す。それは言葉に出来ない憤りか。それとも死に直面しての悲しみか。いや、おそらく両方だろう。付け足すならば、何も出来ない自分の無力さに嘆いている結果かもしれない。


「紗希さん……。ありがとうございます……」

「……せめて、せめて名前を、教えてもらって……いいですか……」

「……私は、私の名前は……、桔梗です。それだけ、覚えています……」

「……桔梗、さん……。良い、名前ですね……」


 そうだ。私の名前……。


 静かに。

 目に涙を溢れさせて。

 彼女、いや桔梗は思い出していた。


「ききょう? 良い名前だね」


 かつてそう言ってくれた少年がいた。

 そしてこの身になってから名前を呼んでくれる二人目が……、今目の前にいる。とても赤の他人には見せられないだろう、泣き顔をして。

 もっと早くに会いたかったかもしれない。そうすれば、いろんな話ができたかもしれない。


「紗希さん。あなたは、悔いのないように、生きてください……」

「……はい」


 最後に見せた桔梗の笑顔は、満面のものだった。その一瞬だけは、裂けた口じゃなく、あれは、あれこそが、桔梗の……。








 ―本当の笑顔に他ならなかった。

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