4:脚Ⅱ
扉の前には、優子の名前が書かれている札がある。私は取っ手に手を伸ばし、勢いよく扉を開けた。ガラリと横にスライドして、部屋の全体がすぐに見渡せる。部屋の中は暗いままだったが、廊下の明かりが入り込み、ある程度確認できる。
「キャキャキャキャキャキャキャキャキャ……!?」
「……!?」
「ちっ!」
あまりにも当然だった。前に出た私に向かって何かが飛んだ。それを防ぐため、さらにギルが前に出て旋回するように蹴り上げて弾く。
「ケキャキャ……」
奇声をあげるソレは、弾かれたあと両手両足で着地したようだ。部屋を照らすのは廊下の明かりのみ。ソレがいったい何なのか判断がうまくつかない。
二つの目が一瞬光った気がしたかと思うと、すぐにソレは消えた。どうやって消えたのかはもちろん分からない。
「完全に消えやがった」
パチっとギルが部屋の電気も点けるが、その痕跡は全くない。ギルから見ても、やはり消えたらしい。
「優子……」
それより私はいち早くベッドに近付く。今いたのは、十中八九魔界の住人だと思う。私でも分かるくらいそれは明白で、優子の無事を確認する必要があった。
「い、いやっ……!?」
「……優子……?」
布団を頭から被り、身を小さくしていた。後ろ手に私の手を払いのけた。
「やだ……来ないで……」
まるで小さな子供のように、優子は身を小さくする。かたかたと震えていて、私を見てもなお、明らかに怖がっていた。
「優子。私。もう大丈夫だから」
「……ぇ、ぁ……」
安心させるように抱きすくめると、やっと落ち着いたのか、ゆっくりと顔を上げた。
「……紗、希……?」
「うん。そうだよ」
「いま、今……何かいて。前にも、目の前にいた。夢だと思ってた。けど……けど……」
よほど怖かったらしく、涙を流しながら私を強く抱き締めていた。良かったと安堵すると同時に、優子も狙われているのかと不安になる。
その時、バッとギルがベッドの掛け布団を退ける。その行為に何をする気なのかと驚いたが、ギルから発せられた言葉にさらに私は驚かされた。
「……お前、掴まれたな」
「……え?」
布団がなくなったことで見えるようになった優子の足首。それを見て愕然となった。
真っ赤な跡だ。人の手が掴んでいたと、はっきりとした跡が。それが、いくつも重なるように存在していた。
「……な、何……これ……」
優子は知らないらしく、その鮮やかともとれる赤い手の跡を擦る。気持ち悪くて、消そうと躍起になっているが一向に消える様子はない。
「そんなんじゃ消えねぇよ。恐らく今の奴だ。次の標的に決め込んだ証だろうよ」
「……何、言ってんの? ていうか、あんた誰!?」
当然だけど、心に余裕がない優子は噛みつくように吠えた。ギルの血を浴びた姿は確かに敵と見ても仕方ないと思える。
「優子。大丈夫。ギルは怖くないから」
「紗希……。そんな、そんなの……。これ……どういうこと……?」
今の優子は本当に弱々しく見えた。脅えてることが明白だ。何とかその事実をを心の奥底に押し込んで、相手に知られまいとする子犬のようだ。
「実は……」
私がそう口にした途端、今度はガシャアン……とガラスが割れる音がした。
「ちっ。次から次へと。紗希、行くぞ」
「え……」
何かあったのは確かだ。まだ他に人がいて、その人たちに危険があったのかもしれないし、リアちゃんやスカルヘッドさんに何かあったかもしれない。
なら今すぐ行かなきゃいけない。けど、優子を放っておくわけにもいかない。
「優子も来て。後で説明するから」
「え……。そんな……」
何の説明もなく、私以上に急な展開についていけないのも、困惑するのも分かる。
けど今は優子に合わせてる暇がない。私は強く優子の手を引いて駆けた。
「紗希、ねぇ……。今すぐ説明してよ」
私にとってはけっこうな速度で走っていて、息も切れぎれなのだけど、話をする余裕がある優子ははやはり陸上部だと言えた。
「ごめん。今はそれどころじゃないから……」
「……」
わけが分からないのだと思うが、私がかたくなに拒否したからか。雰囲気を読んだのか。一応納得はしてくれたらしい。
ギルが先導してゆく。わりと近く今の音は聞こえた。そう遠くないと予想したが、結果その通りだった。
今いたのが西の三階。音の発祥は東と西を繋ぐ、三階の渡り廊下だ。
「おや、ギルさん。遅かったですネ……」
そう言って目の前にいたのは、スカルヘッドさんだ。割れた窓を背にしていて、ボロボロの状態でいる。
対峙して戦っているのは、さっき優子の病室にいたヤツだと思う。長い髪をした得体の知れない奴が、床に這いつくばるようにしていた。