3:侵入Ⅹ
「ぅあ……あぁぁ……」
徐々に歩幅はなくなり、ゆっくりと朽ちていく様子を見るようだ。足を前に出すのもやっとになり、男が本当に崩れかけた瞬間、事態は急変した。
「おぉおぉお!」
「…!?」
さっきまでの動作が嘘のように、男が力強く駆ける。これには私はもちろん、ギルも驚いていた。
「迅走・十九閃」
ギルは避けることを選ばず、さらに損傷を与える。
「こいつ、まだ動けるのか」
ここに来て、異常さがさらに増していた。胸には大きな穴が空いている。心臓はもはやなくなっているはずだ。今の攻撃でも男は片腕を失った。それでもまだ、悠然と笑みを浮かべて君臨していた。
「仕方ねぇ、使うか」
「……いい……のか……?」
ギルが宣言したのは、十中八九黒炎のことだ。けど、男が改めて口にした言葉の意味が分からない。
「どういう意味だ?」
「……ことばどおり……だ。びょういんぜんぶを……もやすつもりか……? ぜんいん、ころす……つもりか……?」
「……それがお前らの狙いか」
どうやら既に黒炎の存在が随分と知れ渡っているようだ。人間が造った病院という建物は、一瞬にして炎に焼かれる。そうなれば、まだ大勢いるであろう、病院内の人々がさらに危険な目に遭ってしまう。それを男は、楯にしている。ギルに黒炎を使わせないために。
「ギル……」
私は判断を待った。もしかしたら、可能性はごく僅かかもしれないけど、ギルは気にしないのかもしれないと危惧する。人間を積極的に助けようとは思っていないはずだから。
「お前、俺を舐めてんのか」
ギルは圧倒する。
「な……に……?」
「黒炎を使わせなかったら勝てると思ってんだろ。そういう勘違いをする奴が絶えなくて困るんだよ」
「なら……どうす……る」
「あえて誘いに乗ってやるよ」
§
そこから先、ギルの動きは紗希には把握出来ていなかった。先程までは、かなり力を抑えて戦っていたからだ。だがもう力は解放された。腕を失い、心臓を失っても稼働する男もついていけていない。
しかし、その生物としての概念を無視して、機能を失うことがない「それ」は守りを捨てているようだ。
「おれ……は……しな……ない」
ギルが、いくら攻撃しようとも関係がない。痛みはなく、常に攻撃の手を出せる。速い動きでも、攻撃する瞬間は必ず対峙する。黒炎を使わないならなおのこと、体術のギルはかなり近付くことになる。
「……っ」
「おまえは……おれに、ころされる」
今も、背後から襲撃したわけだが、左肩口をギルの右手がえぐり取ったにもかかわらず、すぐさま左の裏拳で応戦する。結果が損傷した部分が左肩だけで済んだのも、敵も多少の反応は出来ているようだった。
「おれは……ふじみだ……」
左肩を捨てた反撃が当たったことに満足がいったらしく、にやりと口を歪ませていた。
「また、勘違いが増えたな。てめぇは不死身でも何でもねぇ」
「……!?」
「見ろ。痛覚をなくすから自分の状況を把握することもできねぇ」
男は片腕を失った。ならもう一方の腕でしか攻めることしか出来ない。だが今、その残りさえ、応戦した衝撃で失った。ガクンっと、自分を支える根も機能しなかったことでようやく気が付く。達磨の状態といえた。
「あ……う……た、すけて……。おれは……にんげんだ……」
その言葉に少し離れた紗希が驚く。それを見越し、紗希にも諭すように、ギルは男に告げた。
「元、人間だろうが。今は天と地ほど違う。殺し方を学んで血の味を覚えた。てめぇはもう戻れねぇよ。だから、殺してやる」
「……やめっ」
体内に腕を貫かれ、痛みはなく、死ぬには遠く及ばないが、恐怖は張り付いた。何をするか、何をされるか分からない。そんな恐怖が男を襲った。
「もう一つ教えてやる。炎にはこういう使い方もある」
その瞬間、男は弾けた。血が、肉が飛び散る。肉塊の原型が分からないほどに。ただ分かるのは腕が二本、足一本が血の海に浮かんでいることだけだ。
悲惨。そんな言葉が浮かび上がる。紗希は吐気を覚え、口を手で抑えた。何とか吐くまでは至らなかったが、鼻に残る濃い血の臭いが気分を害し続ける。
間近にいたギルは当然帰り血を浴びていた。全身が紅く染まる。着ている服の元の色は何だったのか分からない程に。
そして右腕には酷い火傷を負っていた。男が破裂したのは、ギルの故意によるものだ。男の体内で、黒炎を爆散させた。その損傷をギル自身も受けていた。
「紗希。行くぞ」
「ちょっと、待って」
動かすのもままならない右腕だが、ギルはその強い痛みを欠片も表情に出すことなく、紗希を呼ぶ。対して紗希は、気分を何とか落ち着かせようと必死だった。だが、紗希がギルを呼び止めたのはそんなことが理由じゃない。紗希は……。