3:侵入Ⅳ
それを察した男は軽い調子で言った。
「なぁ~に。お前が殺したところで処刑人はより濃厚に此処を疑う。別に罰はない」
男はそこで一呼吸置いた。
「だが今は状況が違うんだ。奴らは俺だけでなく、お前も殺すだろう。そうなりたいのか?」
女の頬に手を添えて(マスク越しだが)、男は女の耳元で確認させるように囁いた。一字一句聞き逃させない調子で、今にも舌で舐めとるように粘着質さがより一層増す。
「そうなりたくないのなら、蝿どもを殺して来い。そうすりゃ“褒美”もやるからな」
うつ向かせたままだった女は、はっとなって男を見上げた。すぐそばに男の顔があった。縦長い輪郭、光る眼鏡。その歪む口角はこの上なくうすら笑いを浮かべていた。
「あぁ褒美だぞ。お前が喉から手が出るくらい欲しがってるものだ」
「……分かりました」
女は決心した。心を鬼にした。その決意が瞳に宿る。立ち上がったあと、侵入者のもとへ向かおうと足を前に運んだ。
「あぁ、そうだ。ついでにあいつも連れていけ。役に立つだろうさ」
女は一瞥して部屋を出た。その歩みに迷いはなかった。
「おい魑魅魍魎ども。監視は続けるんだ。侵入者と、あと……あの女もな」
「りょ~かい」
黒い魑魅魍魎たちは各々跳ねながら所定の位置へ戻っていく。小さな嵐のように過ぎ去っていく。男はくくっと失笑した。
ノートに記すほど、念入りに組み立てた計画が狂い始めてはいるが、たいした問題にはならないと考えている。ある程度の支障はつきもの。出来うる限り無くしたいが、終わったことを言っても仕方がない。それをどう巧く対処するか。男はポジティブに考えを巡らせる。
「ん? まぁ慌てなくてもいいだろう。じきにお前にも動いてもらうさ」
「…………」
黒と呼ばれる処刑人に対しても男はなおも笑みを浮かべる。揺るがない自信の現れは、男の所有するコマにその根拠があった。
「……だがまぁ急がないとまた蝿が来るかもな」
男の視線は試験管の中に揺らぐ、紫色の液体に向いていた。
§
何も進展がなかった。病院の中を適当に歩き回っているせいか、全く手掛りがない。
「死角が多いから俺から離れんなよ」
そんなことを言ってきたギルは意外だった。ギルがどんな表情だったのか見てみたかったが、暗くていまいち分からなかったのが少し残念に思える。
「どうした?」
「え……あ、何でもない」
すぐそばを歩くギルが尋ねてきた。思い出していたから何か不審だったのかもしれない。いつ襲われるか分からない状況ではある。気を引き締めないといけないと思った。何でもないと答えた私を、ギルはどう思ったのかは分からない。ただそうか……とだけ言っただけだ。
「ギルさん」
ふと、変わらず前を歩くスカルヘッドがギルを呼ぶ。最初どうしたのかと私は疑問が浮かんだ。そして、スカルヘッドは懐中電灯を消した。ギルは答えずに私を後ろに下がらせた。さすがに私にも分かった。二人が何かを感じ取ったのだろう。もしかしたら敵かもしれない。
「……!?」
一瞬だと思う。少なくとも私にはそれしか分からない。風が廊下をつき抜けた。
「ち、スカルヘッド。何でお前あっさり避けてんだ」
「え、い、いやそんなこと言われてもいささか荷が重いデス」
スカルヘッドはギルが言ったように避けたらしく、壁に張り付いている。そしてギルは片手で何かを受け止めていた。三日月の型をした光り輝く刃だ。受け止めた時に少し切ったらしく、手から血が少し流れている。私が気にかけると、そんな場合じゃないとギルは否定した。
「これに見覚えないか」
「……これって」
ギルが指したのは受け止めている刃だ。勢いをなくしたためか消えてしまっていくけど、よく見れば確かに見たことがある。
「こんばんは」
コツコツと足音を嫌に響かせて誰かが姿を見せる。現れたのはマスクをつけた看護士だ。私が、おそらくはギルも同じように想定した人物とは違っていた。
「不意打ちか? 大層な挨拶だな」
「忍び込んでる輩にそんなことを言われるとは思いませんでした」
「あぁ、それもそうか。だがこうでもしなきゃ入れないだろ?」
「そうですね。邪魔されるわけにはいかないので」
ギルと看護士が話している間、私は暗いなか目を凝らして探していた。あの風を巻き起こしたであろう人物を。
「リアちゃんは?」
見当たらない。たまらず私は直接尋ねた。いや、そもそもこの時私は疑問に感じるべきはずだった。けどそんな余裕はなかったんだと思う。
「いますよ。ここに」
それが合図だったように暗闇の中からリアちゃんが現れた。金色の髪を振り撒く女の子の姿だった。
「リアちゃん!」
私は駆けた。やっぱり無事だった。安心して早く手を取り合いたかった。
「バッ……!」
「……え?」
リアちゃんが突然腕を振るった。何の躊躇いもなく、風を撃った。それはつまり、私を狙ったということだ。
「あ……」
気付けば私は引き寄せられていた。一瞬ギルかと思ったけど違った。何とスカルヘッドだ。