2:探索Ⅵ
そんなことを口にすると、目の前の医者は一本のメスを取り出した。
「まさかここで……!」
リアちゃんが信じられないといった風に尋ねる。遅れて私も理解する。普通メスは手術に用いる道具。治療するためのものだ。けど、この状況で出したこと。リアちゃんの言葉。まさかこんな街中で、戦うつもりなのか。
「ええ。ここでしますヨ。出来るだけ痛くはしませんカラ」
ゆっくりと近付いてくる。とても戦いを仕掛ける感じがしない。リアちゃんにもギルにも、戦う態勢というものがあった。それは仕掛けるという心構えだと思う。けれど、目の前の魔界の住人にはそれが全くない。逆に、それが不気味だった。
「疾っ!」
リアちゃんが先に動いたみたいだ。速すぎて、やっぱり見えないけど、風を撃ち込んだらしい。
「アレ……?」
医者の頭から血が出ていた。小さな噴水のように軽やかに。医者は不思議に思ったのか、メスを持たない左手で頭に触れる。
「ギャーーー!」
突然叫んだ。呆気に取られる。確かに痛そうだけど、リアちゃんが威嚇したようなものだ。今までの魔界の住人と比べると、驚いてしまう行動だった。
「な、な、何をするんですカ。私はただ、治療しようとしただけで……」
「治療って、リアちゃんの腕?」
リアちゃんの腕は、メリーの一件で折られたままだ。それを治療しようとしたらしい。
「でも、メスで?」
「それが私のやり方デスから」
そう言いながら今度は、糸と針を取り出した。何で?
私はわけが分からなかった。
「い~と~まきまき~い~と~まきまき~ひぃてひぃて、とんとんとん……」
えぇ?
聞いたことのある歌を歌いながら、取り出した糸と針で頭を縫い付けた。手鏡で確認しながらだが、それ以外は全く使ってない。随分と器用というか。いや変だった。
「ふっふふ~ン。治療完了!」
確かに血は止まってしまっていた。本当にあれだけで治療してしまったみたいだ。糸と針だけで縫ったということでいいのだろうか。
「何を企んでるの?」
黙って様子を見守っていたリアちゃんが問う。
「今の私は何モ。あの病院に渦巻く気配は、私にとっても邪魔ですから、叩くというなら協力をね」
その言葉は、私が考えていた真実とは違うものだった。
「じゃ、じゃあ貴方が何かしたわけじゃ……」
「私が? カカカカ……医者デスからそんなこと……」
「……そんなに血の臭いをさせてるのに?」
笑い飛ばして否定していたが、リアちゃんの突き付けるような鋭い言葉に口を閉じた。
「これは……随分と良い嗅覚をお持ちのようで。医者デスから、血の臭いが付いても致し方ないのではないでしょうカ?」
それは確かにそうだと思う。メスを持っているあたり、外科専門の手術とかもやるんだろう。けどリアちゃんは、納得する様子は微塵もない。
「なら、メリーのときに見せた業は?」
「……!?」
「一瞬で敵をバラバラに裂く技術を持っていて、ただの医者で信じろと言う方が無理」
そうだ。この医者は、メリーの一件で初めて会ったとき、リアちゃんでも手惑っていた相手を苦もなく殺した。あの時はてっきり味方なのかもと思ったけど。
「魔界の住人デスから、まともな筈もないですヨ」
信用出来ないと一点張りの私たちに対して、悲しそうなんてことはない。むしろ嬉しそうだ。
「なら、情報を提供しましょウ」
笑いを噛み締めながら人差し指を立てる。それはいきなりの提案だった。まるで信用されないのが当然。いやまるでこうなることを見越していたようだ。
「何言って……」
戸惑うのは私だけじゃなく、リアちゃんもだ。その問いは聞き入れることなく、医者は掌を前に出して制止を意味した。
「聞くだけなら損はない筈デス。先程おっしゃっていた叩くというのも一手デスが、『馬を射んと欲すれば先ず将を射よ』という言葉がありますネ。まずは、マスクを付けた看護士に接触してはどうデスか?」
それは『将を射んと欲すれば先ず馬を射よ』だった気がする。いやそれより、マスクを付けた看護士って……。考えるまでもない。私が朝早く病院に行ったときにすれ違った女の人だ。
「そんなことを言われても、信用する筈……」
「そうデスか? しかし、そちらのお嬢サンはそうでもないらしいデスよ」
「紗希」
私を見上げるリアちゃんの顔が見える。驚いたような、けど心配しているような、そんな顔だった。