エピローグⅡ
薬の匂いが立ち込める。真っ白い空間のような病室。私はベッドで横になる友達を眺めた。
クランツの言った通り、命に別状はないようだが、衰弱していたため数日の入院を要した。直接クランツから連絡をもらった私は、すぐに教えてもらった此処にに来ていた。他にも助け出された人々は、この病院や他の病院に運ばれたらしい。
静かに時が流れる。この病室には優子しか入院していない。まるで異世界のようにゆっくりと時が流れる。まだ目を覚まさない優子は、何も知らない子供のように眠っていた。
「紗希」
「加奈」
顔を上げると、加奈が病室の入り口に立っていた。加奈も心配していたので連絡しておいたから、来てくれたんだ。
「目、覚ました?」
「うぅん……。まだ覚ましてないって」
「そう」
加奈はそれだけ言って、私の隣に椅子を持ってきて同じように座った。
「紗希はちゃんと無事だったのに。何処で何してたかやっぱ言えない?」
行く前にアリバイ工作を頼んだ加奈には、無事に戻ってきたことは最初に連絡したが、何処で何してたかまでは、やはり言えなかった。
「ごめんね。それは聞かないでほしい」
「……分かったわ。無事だったならそれでいい」
しばらく考えたあと、しぶしぶであるが了承してくれたらしい。聡い加奈は、何か感付いているような気もした。
「ありがと……って言いたいんだけど」
少し睨むようにして凄んでみた。
「何?」
にこやかだ。実に微笑ましく、来るまでに何か良いことでもあったのか。そんな風にも思えるけど、たぶん違う。加奈は分かっている。私がこれから何を言うのか恐らく分かっているのだ。
「家に帰ったらさ、何か凄い勘違いされてたんだけど」
「ふ~ん、どんな?」
「知ってるでしょ。男の子のところに泊まりとかそんな風に言ったの加奈って聞いた」
「へぇ、紗希も中々……」
と、何を考えてるのかニンマリと笑っている。
「ち~が~う~。アリバイ頼んだのに加奈が言ったんでしょ。無断で朝方近くまで家に帰らなかったってだけでも怒られるのに。おかげでそれが倍くらいになったんだよ」
げんなりとして話すと、加奈はあははと軽く笑った。そして言葉を紡ぐ。
「仕返しみたいなもんかな」
言葉の意味は分からない。訊き返してみたところ、加奈は私から視線を逸らす。優子に移したようだ。
「何にも言ってくれないから。言ってもらえないとけっこう考えるの。信用されてないからかも。嫌われたのかも。本当に戻ってくるのか。優子のことも重なって、不安が不安を呼んでた」
あ……そうか。
思ってたよりずっと不安にさせてしまったらしい。
ごめん。
とまた、心の中で謝った。言葉にしたら、余計なことまで言ってしまいそうだったから。
やっぱり言えない。絶対、巻き込むわけにはいかないから。
「でも、私が言ったわけじゃないわよ。おじさん鋭くてすぐにアリバイだってバレちゃって、あとは勝手に勘違いされちゃって……まぁこれはこれでいいかな……と」
「いやいや全然良くないから。説教されたし、危うくさらに厳しい門限定まりかけたし」
「……紗希?」
ふと誰かが呼んだ。加奈じゃない。他に人はいないのだ。ベッドで寝ていた寝ぼすけを除いて。
「目、覚ました……?」
「優子……。私が分かる?」
うっすらと目を開けて、眠そうに目を擦る。
「あれ? 私……。此処何処? 私どうしたんだっけ」
「何かね。貧血で倒れたみたい」
理由は適当だ。何でもいい。優子はゆっくりと上半身だけ起こした。
「えぇ、全然覚えてない。此処病院? って何で二人とも泣いてんの?」
「心配したから……。それだけ……。それだけだから。何でもないから」
「加奈まで大袈裟だよ。たいして何ともないって。あ!」
「え?な、何?」
突然優子が何かを思い出したようで、大声をあげた。私と加奈は 何事かと気になる。
「紗希お願い。まだ宿題やってないから見せて」
と、手を合わせてお願いする。
「ぷっ……。あははは……」
「な、何で笑ってるの?」
訳が分からない優子は戸惑っている。私たちは吹き出してしまった。いつも通りの優子のらしさを見れて嬉しかったんだと思う。
「何かおかしいこと言った?」
「優子は気にしないでいいよ。ちゃんと見せてあげるから」
「提出期限はもう過ぎちゃってるけど」
「あ、そうだね」
今はもう昼過ぎだ。今頃提出する時限はもう終わって昼食ぐらいかな。
「何か食べる?」
「あ、じゃあね……」
学校のことなんか忘れた。昨日の魔界の住人のことなんか忘れた。
此処が病院であることも忘れ、気分のままに笑った。
長い夜が終わって、私はまた此処にいる。この前まで当たり前にいることが出来る場所に。
そんなことが、今は何よりも嬉しい。
誰かが注意しに来るまで、私たちはそんな小さなことで喜び合うのだ。
いつまでも。
いつまでも。