新たな夜明け
夜空を背景に暗躍する影がある。
一旦人混みに紛れるのを見せつつ、途中から屋根伝いに逃げる。
地上では衛兵の小隊がひしめき合い広くはない街道は渋滞しているが、空には何も妨げるものはない。
あるとすればそれは重力だけだろう。
軽くはな歌が漏れ出すほどにご機嫌に仕事帰りの散歩を楽しんでいた。
ほんのわずかな油断だった。
[五感リンク]の派生スキル[気配感知]ーー自身の重心、丹田を中心に球状に広がる感覚の網ーーをオンにするのを忘れていた。
跳び移る予定の屋根に先に居座るものがいたのだ。
彼(または彼女)も気配に気づいたのだろう、ビクっと反応するものの
一瞬強ばったその硬直が致命的なミスだった。
間に合わない!
ぶつかる直前に気づいたものの、空中では体勢を自在に動かすことはできない。
むしろ衝突しなかっただけでも賞賛されてもおかしくはないーー犯罪行為の途中でなければ。
「くっ」
と小さな苦々しい一言を漏らしながら屋根を転がり、止まろうとして止まらず転げ落ちる。
静かな夜にわずかにだけ響いた音。
普段なら気に止めるものもいなかったかもしれないが、現在は厳戒態勢なのだ。
「なんだ!?音がしたぞ!」
「よし、3人ほどついてこい」
常時発動型スキル[五感リンク]を通してそんな台詞と足音が見える。浮かれていた自身に舌打ちする。
ーー近い。ミラージュ・ステップでこの場を離れようと思えばできるだろうーーこのわき腹の痛みがなければーーエイセスセニスに住む人の下について学ぶ汎用スキルは教わった形、例えば剣道なら中段の構えのように基本の体勢をとらないとスキルを発動させることはできない。一方で、自身で編み出したオリジナルスキルは、そもそも編み出すまでが大変ではあるが、一度編み出してしまえばわりと"遊び"の部分が大きい。とはいえ、心身に不調があれば意図した通りに発動できるか怪しいところだ。片足を引きずるようにして追っ手から距離をとるように移動する。
「いたぞ!」
「しめたっ、やつは怪我をしているぞ!」
「バカ野郎!あの"闇雲"だぞ!罠の可能性もある!油断するな!」
「「はいっ」」
油断を引き締めるあの男は衛兵の隊長だろうか?油断するなと言った本人が一番その気になっているんじゃないか?
「悪名高い"闇雲"もついに年貢の納め時だぜ」
おいおい、そのフレーズ、こっちにもあるのかよ、と内心苦笑する。
「悪名高いかは知らないが、俺は年貢をごまかしたことなんかないぜ」
「そうかそうか、それは捕まえた後にゆっくりと聞かせてもらう、ぜっと!」
思いがけずいい連携で、3人が包囲を狭めてくる。
逃げ場はない。3人が3人、とったどーと思った瞬間、
「きゃあ!」
と明らかに場違いな甲高い悲鳴が夜の静寂を切り裂いた。
一瞬捕縛者の力が緩んだのを見計らって、抜け出すと再び屋根の上へと跳び移った。
悲鳴を聞いて正義感あふれた?人間や野次馬も少し集まったようだ。
月を背景にする"闇雲"の表情をしっかりと見ることはできない。
わずかに見える限りでは、向かって右反面の皮膚が破れたようになっていて、左右の顔が全く別人という奇妙さを抜かせば相当な美人のように見えた。
「もう!どこ触ってくれるのよ。あ~あせっかくのメイクが台無しじゃない。」
呆然と見ていたのは町人だけでなく衛兵たちも同様だった。
「ま、職業柄しかたないか。一時とは言え、私を捕まえたんだからそれなりのご褒美をあげなくっちゃね。私が師事した人の変装術には一つだけ欠点があってね、"鼻"だけは変えることができないの。だから鼻の形が似た"彼"の顔を借りたのだけど。"彼"の名誉のために言っておくと"彼"は私のことなんて何も知らないわよ?私が"仕事"した日はちゃんと"彼"は学院に居てアリバイもちゃんとあるからね。それじゃ。」
そう言うと彼ーー彼女は闇夜へと溶けこんだ。
んなぁ゛~とねこの鳴き声が響いて、その場の人間が正気に戻った時にはもうじき夜明けを迎える頃だった。