店長と"深窓の令嬢"
書店"インクの海で溺れたい"に一人の女性が朝からずっと立ち読みをしていた。
店主のほうも"なんて健脚だ"と思っているわけじゃない。
別に立ち読みはいいのだが、丸一日、それもここ数日続けて来ている女性に不信感、を通り越して不思議なものを感じていた。
そしてその女性が来るようになってからというもの、翌朝目が覚めたら枕元に本が積み重ねられていたのである。
---所在が不明になっていた本が。
昔なくなったものもあれば、なくなったのにまだ気づいていないものもあったのである。
この世界において、書籍は未だ高価であり、作成から配達までそれぞれの過程でそれぞれの担当する人間、組織が署名することになっている。責任の所在が厳格にされているのだ。
すなわち、末端である書店"インクの海で溺れたい"においても当店預かりのサインがしてあるため、見間違うことはない。
確かにうちの本だ。毎月"月刊スクロール"を買っていくあの男が一方的に依頼を受けてから(自分で言ってて何を言ってるのかわからなくなるが)数日で行方不明の本の半分ほどが返ってきた。残りは4冊・・・。
彼女は恐らく新たに万引きされるのを防いでくれているのではないか?
と思っている。リストにない本の返却があったからだ。
他の客が店を出るとき、時々立ち読みの女性、皮肉を込めて"深窓の令嬢"とでも呼ぶとする、はため息をついて本を閉じ、書架に戻すと店を出る。そしていくらか時間が経ったころ戻ってきて本を読み直すのだ。
俺もたいがい暇だと思うが、"深遠の令嬢"が読む本はこれで24冊。
かなり読むペースが早い。
しかも読む本の種類に全くこだわりがない。
"深遠の令嬢"なんて上等な呼び名じゃなくて"うわばみ"とですればよかったかもしれねぇ。
髪は肩までの栗毛色、瞳は黒・・・いや、紫紺が近いだろうか。絶世の美女というほどではないが、美人には違いない。やはり"うわばみ"というには抵抗を感じる。
一人、一人と客が帰っていき、"深窓の令嬢"が先の客に続くようにして出て行く。
その時、俺のほうへと顔を向け、一瞬だけ微笑を見せて出て行った。
先に出た客が万引きした客の一人だったのだろうか?
結構顔を見せる近所のおばちゃんで、たまに"余り物"と称して煮物なんか(店のレシピ本の品だ。)を届けてくれる人なんだがな。
と少しガッカリとうな垂れていたところ、鐘の音が響き渡る・・・。
ただの閉店時間だよ、くそっ!