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魔族『芹子』襲来

人によっては苦手な描写もあると思います ご了承を

 暗闇を揺るがす轟音。


「これは」

「魔族の襲撃……!?」


 唖然とする俺の横で、アムが舌打ちする。

 俺とシノを抱いたアムが廊下へ飛び出して現場へ訪れた時には、既には阿鼻叫喚の惨事と化していた。

 夜闇を払わんばかりに、鮮やかな火災が燃え上がる。城の壁は半壊し、絨毯爆撃でも受けたかのような有様だ。恐慌状態の使用人たちは我先にと逃げ惑い、混乱はピークに達している。アムが「どういうことだ」と誰かを引き止めても、答える者はいなかった。

 その中で唯一、黒いフードを被った女性が適切に使用人たちを誘導していた。


「逃げなさい、逃げなさい」


 黒いフードの女性は、壁際で震えている使用人――子供だ――を見つけたようだ。

 怯える子供に、彼女は柔和な声で語りかけた。


「ほら、あそこにお母さんたちが待っているはずよぉ」


 女性の温情に満ちた声に気付いて、その子供は顔をはっとあげる。その目は決して希望に彩られてはおらず、どちらかといえば縋るような目つきをしていた。

 それに応じるように、女性は微笑する。


「怖がらなくていいの。さあ、迷わず走りなさい。そこに行けば絶対に助かるから――」


 女性はゆるりと廊下の奥、曲がり角を指した。腰を屈めて子供を助け起こして、さぁ、と廊下の奥へと気力を奮い立たせるように背中を押す。

 にしても――と俺は怪訝に眉をひそめる。

 どうして、この女はここまで冷静なのだろう。


「待て! 行くな!」


 アムの怒声に、思わず俺は驚いてしまう。

 何故か彼女は駆け出そうとするが、胸に抱いたシノを思い出したのだろう。走ることを躊躇してしまう。

 またアムの声は子供の耳に入らなかったようだ。健気な子供はフード姿の女性の誘導に従うがまま廊下の突き当たりへ、ふらふらと駆けていく。

 廊下の奥、さらに曲がり角を抜けて走れば城の出入り口はすぐだろう。この異様な世界から逃げ出すことは容易いはずだ。

 なのに、なぜアムはこんなにも焦燥としているのだろう。

 疑問はすぐに解決した。

 俺とアムが為す術もなく子供を見送る――その時だった。


 曲がり角に到着した子供を横殴りするように、密集音群。無数の蠅が鉄砲水じみた勢いで雪崩れ込んできたのである。

 巨大な鎖の束――または巨大な首だけの獣――奇妙な生物に食われた彼はそのまま城の壁に激突して、それらは有無を言わさぬ強大な力で壁を突き破り、そのまま外壁へと引きずり込んでいく。

 城壁に出来た大きな穴以外、そこはまるで何もなかったかのようで。


 少しの間の後、耳をつんざく絶叫が夜に溶けていった。


 悪夢のような出来事に、俺は動けなくなってしまう。

 アムは悔しげに歯ぎしりするばかりだ。


 対してフードの女は、胸に手を当てていた。小さく震えているその手は、おそらく歓喜に満ち溢れている印だろう。歓喜の現れと言えば簡単だが、目の前に存在する言い知れない恐怖に俺は少し震えていた。


「――ああ、逃げてぇ、なんてね」


 女性は優雅な仕草でこちらに振り返り、被っていたフードを脱ぐ。

 濡羽色の黒髪をさらりと流して、誘蛾灯じみた色気を持った素顔が晒される。

 黒髪黒目の、女だ。

 魔族、という単語が脳裏に浮かぶ。


「あら、あらあらあら」


 まるでショーウインドウで可愛らしい服でも見つけたかのように、黒髪の彼女は白魚のような綺麗な両手で口元を隠した。


「感動だわぁ。はい、握手。うふふ」


 流れる動作で彼女は近づいて手を差し伸べてくるが、その前にアムが俺にイノを預けて、黒髪の女に立ちはだかる。

 差しのばした手を少々持て余したようだが、黒髪の女はアムが見えてないような言動を続けた。

 邪気のない笑顔で、より一層狂気を際立たせて。


「初めまして、出来損ないさん。私は坂神芹子。職業は看護師、趣味は殺人と注射。最近は初心に帰って猫殺しをしていたのぉ。鼻歌まじりで召喚術って奴を描いてたら異世界に来ちゃったのね。で、イケメンに一緒に人殺ししないってスカウトされたから趣味と実益に奔走している最中なわけぇ」


 ▽▽▽


 坂神芹子は趣味に生きる女性だ。

 趣味とは娯楽であり、暇潰しでもある。そうやって趣味に浸る人間もいる。そんな浅瀬で遊ぶのには、それなりに理解を示していた。ストレス発散を目的に趣味を利用するのも悪くないのだが、彼女は人よりも少し切実過ぎたきらいがある。


 ありていに言えば、好奇心が強すぎたのだ。


 例えば、ピアノ。例えば、絵画。例えば、ゲーム。例えば、資格取得。例えば、学問。彼女は趣味として接してきたものには、ある程度成功を収めてきて、そしてすぐに飽きてきた。

 唯一彼女がまだ成功を収めてないとすれば、それは死だ。

 世界には死が溢れている。夏になれば蝉が地面を転がり、冬になれば浮浪者が高架線の下で即身仏となっている。隣室に耳を澄ませば蠅が舞っているかもしれない。テレビを点ければドラマや映画が死を題材にした映像を繰り広げていて、本屋を歩けば殺人鬼について語った小説が表に並んでいた。


 現在の日本社会では誰もが命を尊ぶと教育者が言うのだからお笑い種だ。世界は死に満ちている。誰もが何らかの手段をもって様々な死にコンタクトしようとしているのだ。


 しかし、バレンタインチョコのようにオブラートに包まれて届けられる死を幾つも手にしてみたが、どれも真に迫る物はなかった。

 こんなにもみんな死を求めているのに、真に追及する者は皆無。死の過程とその後に触れる作品はあれど、その死という存在を明確に表したものは存在しないのだ。そんな馬鹿な話があるかと、彼女は様々な文献や書物、映画やゲームなどに漁ってみたが、どれも彼女を落胆させるばかり。


 坂神芹子は、どうしても死について知りたかった。


 臓物を手に取り、徐々に外側と内側の体温が変化していくのを看取って見たかった。死の手触りというものを肌で感じてみたかった。人間はどの部位から冷たくなるのか? いつまで苦痛に顔を歪めるの? 死を知りたくて近所の野良猫を解体してみたり、飼い犬を盗んで殺害してみたり、または調理したり、法の裁きは特に問題なく思えたので、時折暇を見ては家出中の子供を殺してみたり、浮浪者の脳髄を引きずり出してみたこともある。海外も放浪したし戦火を間近で観たこともあったが、どうも納得いくものはなかった。


 真に迫る死。


 はたと気づく。

 もしや、死の段階に触れるのが重要なのではないか。

 そう思い立って数年かけて看護師の資格を取ってみた。

 死を学ぶには、その裏返しである生を学ぶ必要があるだろう。

 納得いかないのは、そのせいもあるかもしれない。


 看護師として病院へ務めた彼女は、何の問題もなく生きてきた人間の、死に際とその奇行、怒り、執着、懇願、そして断末魔を間近で観察した。片手間というには少々矢継ぎ早に殺人を犯しながらも、病院にて幾多もの死をレポートしたのだ。


 稀に新聞で、彼女の犯した殺人が掲載されたこともある。

 享楽的な殺人、と誰かが書いていたが、それは心外というものだ。


 決して享楽した覚えはない。人の死を軽んじた覚えもない。

 彼女は全てにおいて真面目に、真摯に対応してきた。それは無駄に時間を過ごすよりも有意義なものであった。真に迫る死へ潜り込んでいく度に、触れていく度に自身が一回り大きくなったような感覚に囚われていった。世間の人々が死を考える映画や討論に興じている間にも、彼女は少しずつ少しずつ成長したのだ。


 もちろん、自分の糧となった者たちの為を杜撰に扱ったことはない。馬鹿丁寧に一時間かけて祈り、時には不慣れではあったが埋葬してみたりもした。死者の宗教に合わせての胸に手を当て十字を切ることもあれば、聖歌、讃美歌、読経を唱えたこともある。


 新聞に投書した識者に「人の死を楽しんで文章にするのは楽しい?」と訊ねてみたかったが、つまらない回答は予測出来たのでやめておいた。所詮、明日には別の話題で、それこそ享楽に耽る連中である。探究者となった自分と相対する資格なんてない。


 そして彼女はより一層、死を知る為に深く潜っていく。


 死を学ぶというのは、歴史は知るというものである。

 好奇心旺盛な彼女は、昔から本を読むのが好きだったので、暇さえあれば書店に立ち寄っては死に関する本を読み漁っていた。それは人間を車で押し潰す時も、解体している時も変わらなかった。


 その中で出会ったのが、大昔に精製されたであろうラテン語の書籍である。

 古本屋で手に取った時、すぐにその本は人間の皮膚で出来たものだと理解した。それは暇潰しに人間の皮でマスクを作ろうとした時に触れたから理解できたというのもあるが。


 その本によれば、殺人の歴史は古く、拷問や刑罰、そしてまた悪魔に捧げる召喚殺人というのもあるようだ。

 いい加減、遺体処理にも手慣れてきた彼女は、ワンランク上の召喚殺人なるものに手を出してみようと考えた。

 これがなかなかどうして、素晴らしい。

 巨大な血袋から血液を絞り出し、大きく魔法陣を描いていく。彼女はオカルトなんて大して信じていなかったが、それはとても心の奥に楔を打ち込むような、感動巨編でも観きったような胸を打つ感慨深さがあった。


 夏の暑苦しい夜、腐臭が漂う中で絵画の知識を存分に振る舞った。舌を抜き、四肢を切断した男の艶めかしさ、へそに男の陰茎を突き、大腸を口に含ませた女の煌々とした顔。四肢切断が意外となかなか死なないもので、本棚に立て掛けて四時間ほど眺めてしまったものだ。これまで時間をかけて殺したことがなかった彼女にとって、学生時代に絵画で賞を取る為に苦労した懐かしい過去を思い出すものでもあったし、新たな道が開けたような――そんな気がしたものだ。


 それから彼女は、幾つか似たような召喚殺人を繰り返した。

 警察やマスコミの騒ぎが少し煩わしかったが、それはあまり問題はない。

 それは何故なら――


「ぶぐとらぐるん、ぶるぐとむ、あい、あいー♪」


 鮮血を含ませた筆で、べたべたと地面に描いていく。

 一家を殺害したおかげもあるだろう。わりと時間をかけることもなく魔法陣は完成する。あっさりと完成した魔法陣を見ながら、本物の悪魔はどういうものだろうと考えた。自分はこれまであまり非道な真似が出来なかったので、悪魔に対して面通し出来るほどの者なのか不安だったのだ。

 そう考えていたのもつかの間。

 世界が紋様を描くようにゆらゆらと蠢いていく。

 小さな寝室で空気が動き、風が湧く。


「あらあら?」


 警察やマスコミの騒ぎが少し煩わしかったが、それはあまり問題はない。

 それは何故なら――魔法陣は輝き始めて――坂神芹子は、異世界へ来訪することになったのだから。


 ▽▽▽


 黒髪の女――芹子の黒目が妖しく瞬いた。


「だから、出来損ないさん。また来世で会いましょうね」


 出来損ないとは何だとか、看護師ってお前も異世界にきた仲間だろとか、そんな言葉は一切出てこなかった。


それは芹子はどう考えても仲間に思えなかったせいもあるが、しかしそれ以上に、彼女の放つ圧倒的な威圧感に恐怖していたせいだろう。


 ――彼女の背後で、影が大きく盛り上がる。

 しかし影と思っていたそれは、鼓膜を痒くするような気色悪い音を奏でていた。――蠅だ。無数の蠅が、鎌首をもたげた大蛇を形成している。

 こちらが悲鳴をあげる前に、押し潰す形で大蛇は濁流が如く被さってきた。


「……!?」


 驚愕、轟音、恐怖。それらが混ざり合って動けず、俺は目を閉じてしまう。


「あら?」


 信じられないといった風なのん気な声をあげたのは、芹子の方だった。

 薄らと目を開ける。

 発破でもかけられたかのように地面が吹き飛び、砕け散った粉塵が視野を覆い隠している。

 息を呑んだ。

 濛々たる煙の中――いつの間に起きていたのだろう――俺の胸に抱いたシノを中心に、きらびやかな魔力の旋風が、神々しく燦然と輝く青の障壁が俺とアムを包んでいた。さらに、その障壁外は全てクレーターでも精製したかのように抉られている。

 青の障壁が収束した後、芹子は芸能人でも観たかのような黄色い声をあげた。


「あらあら、この子が噂の勇者? まぁじで? 本当に子供だったんだ、っていうかほとんど赤ちゃんじゃないの。出来損ないと一緒にいるなんて――」

「貴様は、魔族に相違ないな」


 楽しそうに口端を曲げる芹子に、アムは侮蔑以上の感情と傲慢さを持って問い質す。

 その視線が孕む強力な意志は、あるいは英雄、あるいは暴君と崇められてもおかしくはない気迫だった。

 だが相手も負けていない。問いかけるアムに向けて、芹子は呆れ半分といった笑みで返した。


「さっき言ったのにもう忘れたの? 私は看護師。魔族なんてばっかみたい。私は人を助けるのがお仕事してるのぉ」


 アムは一見冷静だが、静かに激昂を湛えている。反応しないのは、怒りのあまり声が出なくなっているのだろう。――あの状況を目にしたのならば、仕方ないことだ。

 剣の一族、という言葉を思い出す。

 しかしアムは現在、その手に何も持ってはいない。

 俺は慌てて周囲に目配らせて、地面に転がっている鞘を被った剣――落としていったのだろう――を掴んだ。


「アム、剣だ!」


 少々重たいそれを振りかぶり、アムに投げつける。

 が、彼女はこちらを見向きもせずにひょいとそれを避けた。


「なんで避けた!?」

「馬鹿者。私は剣なんて苦手だ。重くてこっちが振り回される」

「なら」

「下がっていろ、ダイゴ」


 彼女は低く抑えた声とともに、ポケットからカチリと、小さなライターを取り出した。

 アムはライターを柄としたように、剣の構えを取る。

 やがてライターに刻まれた紋章を熾火じみた輝きを放ち――彼女は体内に漲る魔術を解き放った。

 ライターから膨れ上がる爆発的な焔。

 迸る魔力が唸り、渦を描くように風が巻き起こった。そして巻き上がる魔力は収束するように荒れ狂う焔を凝固して形を為していく。やがて大量の魔力が集約されて炎は束縛され、朧とした紅の刀身を生み出していた。


 焔の切っ先を、笑みを滴らせた黒髪の女へ向ける。


 剣の一族。


 この世界の事情。


 魔族に勇者。


 出来損ない。


 この夜、俺は初めてそれらを知ることとなった。

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