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勇者教育係アム、泣く

「なんでお前なんかに!」


 夜も更けたというのに、女性の甲高い声が城の隅々へ響き渡っていく。


 食事会の直後、寝室で安らいでいた時だった。

 俺の部屋へ襲撃したアムが、鬼の形相でこちらを糾弾し始めたのである。

 人の寝室でそう絶叫されても困り、まぁまぁと頑張って宥めたのだが逆効果で、彼女の怒りが鎮火する様子はなかった。

 どうも、俺の手にある指輪が気に食わないようである。


「剣の一族は代々、王家の乳母、教育係を務めてきたんだ! 姫がお前に懐くまでは我慢できた。が、指輪まで奪われては話は別だ!」

「……そう言われても」


 別にそこまで怒る必要はないだろう。――というのは止めておいた。どう考えても火に油である。

 困惑したこちらを気にすることもなく、彼女は堰を切ったように荒れ狂う胸中をぶつけてきた。麗しい顔を、夜叉にして。


「私は幼い頃から王家を継ぐ者の為に生きてきたんだ。姫が生まれてきた時、初めて抱いた時は心から涙した。ちょっとしたことで王妃と共に飛び起き、わずかでも泣けば朝も夜も休まずあやしてきた」


 なのに何故、と怒声が肌を叩いてくる。

 その目は赤色の彼女に似合う燃える瞳をしていた。興奮しきったアムは少々怒りを奥へ追いやってくれたのか、肩で大きく息をする。


「……むぅ」


 彼女の威圧に圧倒されて、言葉に窮してしまう。

 もしここで「俺もなりたくてなったわけじゃない」と言えば、彼女はさらに激昂するだろう。

 彼女は「なりたくてなれなかった」のだから。

 しかし、と黒髪をわしわしと掻いた。どう言葉を繕えばいいのだろう。上手い言葉が見つからない。

 学のない俺の脳には、彼女に対してベストなアンサーを持ち合わせていなかったのだ。


 静寂がふたりの間を吹き抜けていく。


 少しの間の後、ぽつぽつと、彼女は赤子の横暴さを語り出していった。

 王妃の母乳を飲んでくれず、ミルク育児に王妃が「母を否定された気がする」と泣いて困ったこと。

 離乳食の時期になれば固い物を噛まずに口から垂れ流していたこと。

 少しでも気に入らなければスプーンを投げられて、それを拾えと指示されていたこと。


「我が国は小国だろうが魔術国だ。国、家名の威信をかけて、幼い頃の魔術暴走も制御させてきた」


 特にアドバイス出来る気力も経験もない俺は、彼女の愚痴を黙って聞いていた。

 悪いが、彼女に同情したわけじゃない。

 こちらとしても気がかかりな異世界の脱出方法や、怒涛の一日の疲れで限界の眠気。さらに彼女の異様な覇気がそれを許さなかったのだ。


「姑の如き応対にも耐えてきたのだ。時にはおしゃぶりを咥えさせられ、脱いだおむつを頭に被ったたままあやしたこともあった。それなのに、なぜ指輪は私にではなく……今までの努力はなんだったんだ……」


 なぜ私が選ばれなかったんだ。


 彼女の語尾が萎むに比例して、しんとした空気が室内に満ちていく。

 俺はなんとなしに、彼女と最初に出会った時に言われた「嫌い」という言葉を思い出していた。

 剣の一族、王家の乳母、教育係。

 

 中学、高校の授業で貴族といった社会階級について学んだことはあるが、いざ直面すると難しいものだ。

 彼女の抱え込む不安や不満について、一介の高校生である俺は微塵も想像できん。

 例えば――王家の指輪を彼女に譲っても納得はしないだろう。きっと、そういう話じゃないのだ。


「そりゃあ、私には叱る役もある。叩きはしなかったが、怒鳴ることだってあったさ……。王妃も頭を抱えながら叱っていたよ……でも、それは姫の為であってだな……」


 ひとしきり怒鳴り散らして、毒を吐ききって、少し落ち着きを取り戻したのだろう。

 彼女は面倒そうに頭をぽりぽりと掻いた。

 俺に怒りをぶつけたって状況は何も変わらない。――と、そう悟ったのかもしれない。


 そして、きぃっと小さく、寝室の扉が開いた。

 はっと俺と彼女は顔をあげて音がした方向を見やった。

 その小さな隙間から入ってくる、これまた小さな人影。

 シノだ。


 幼女の姿を見るや否や、ギッ、とアムはこちらを睨みやる。

 鋭い眼光は「こんな夜更けでも姫を連れ出すか」と理不尽な灯火を焚いていた。

 ……が、俺を相手するよりも王女に目を向けることにしたようだ。彼女は憮然とした心を押し殺して、シノへ頭を垂れた。


「姫、こんな夜に外へ出歩いてはいけないぞ。さぁ、部屋に戻らなくては」


 シノは何も言わず、背を屈めたアムの首に手を伸ばした。

 小さな手が、ぎゅっと彼女の細い首に抱きつく。

 アムの首に顔を埋めた彼女は、そのまま健やかに寝息を立て始めた。その表情は可愛らしく、穏やかだった。

 俺はふっ、と笑う。


「……もしかして、アムに寝かしつけてもらいたくて探していたとか」


 はっ、とアムは顔をあげる。

 少々紅潮していた頬をこちらへ見せて、すぐに明後日の方向へと顔を向けた。

 胸に抱いた二歳児をあやしながら、彼女は相も変わらず武骨な口調に言う。 


「そ、そうか。姫も困ったもんだな」

「二歳なんて、まだ物事の通りがわからん時期だよ。子育てなんてしたことないが、別にそんな気を張らなくてもいいと思うぞ」


 背を向けた彼女の表情は窺い知れない。が、悪いような気はしていないようだ。

 俺が指輪の持ち主に選ばれた理由は何故か知らないが、きっとシノは俺よりもアムやご両親の方が大切だ。それは間違いないだろう。

 異世界に連れてこられた俺の方が間違えているのだ。

 そう、間違えている。

 俺は、彼女と旅することも出来ないし、魔族だか何だかということも理解できない。

 少し息を吐いて、俺は言った。


「……旅の話だが、やはり二歳児に旅させるというのはどうしても出来ない。俺はひとりで行くよ」


 アムは目をすがめた。

 何やら考えを張り巡らせているようだ。剣の一族というものがどういう存在か知らないが――彼女の口が悪いにしても――国の威信をかけた教育係ならば彼女も相当優秀には違いない。

 しかし、俺はどうしても幼児と旅というのは容認しかねるのだ。

 彼女は幼児を抱いた姿勢のまま、険悪な目を向けてきた。


「お前のいる世界では、そういう常識だったかもしれない。……無理やりここに連れて来られてしまったお前には、負担をかけるかもしれないが、この世界にはこの世界の事情がある」

「しかし」

「世話役は元々は私だ。なんで姫がお前に指輪を渡したか知らないが、こちらの存在は気にせず、ただの同行人として見て貰えないか?」


 国際問題にもなるんだ。

 彼女は小さく呟く。 


「お前に迷惑はかけないよ」


 すました笑顔に、妙なあてこすりを感じた。

 彼女の性格はなんとなく掴めている。気高く、傲慢なのだ。何があろうとも自分の貫き通す強さを持っている。それは少し羨ましく思えるが、こちらも負けていられない。

 俺が口をつぐんで相手の出方を待っている――と。

 ごぅうん、と城が揺らいだ。

 轟音。続いて悲鳴。

 祭囃子じみた音が迫り、混濁する言葉たちの中で、ひと際大きな言葉が俺とアムの耳に届いてくる。


「魔族がきたぞ!」


 馴染みのない異様な雰囲気に、俺は慌てて腰をあげた。

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