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幼い勇者との食事会

随時修正します  ご了承を

 長い廊下を女中に連れられて。

 屋敷の食堂へと通された。

 豪華絢爛な室内には、これまた綺麗な細長い長方形の円卓――ダイニングテーブルがあり、海藻サラダや芳ばしい香り漂うクリームスープ、まだ湯気が残る肉料理や様々な野菜。さらには色んな種類のジュースまで用意されていた。

 そうそうたる面々を囲う形で、既に王と王妃、姫君にアムが座っている。

 俺は促されるまま、アムの隣、王と王妃の向かいへ腰を下ろした。

 が、既に体はカチコチだ。

 こういった上流階級のパーティといったものには参加したことがないので、一層緊張してしまう……。背後には侍従だか給仕人がいるのだ。ここで緊張せずに、どこで緊張すればいいのだろうか。


「お口に合えばいいんですが」

「いえ、そんな」


 微笑む王妃の言葉に、慌てて首を横に振った。

 これで文句を言えばバチが当たるというものだ。


「服もよく似合っている。サイズもぴったりみたいだ」


 シン王はこちらを見やって微笑んだ。

 ちょっと変わったデザインの服だが、まぁ似合っていると言われて悪い気はしなかった。

 隣にいるアムはつまらなさそうな顔しているが。


「さあ、お腹もすいただろう。うちの料理人の腕は保障するさ。遠慮なく召し上がってくれ」


 食事のマナーとは難しい物で、俺以外の人たちはつつがなくこなしている。王妃は姫君の世話をしながら食事を取っており、また王やアムが食べる姿はまさに洗練されたテーブルマナーと言っていいだろう。

 俺はおそるおそる、王やアムの見よう見まねしながら少しずつ食事を取った。挙動不審な俺はまさに田舎者。マナーを覚えておくべきだったか、と深く反省してしまう。


「ほら、またこぼして。ちゃんと食べなさい」

「イヤ」

「シノ」

「イヤー」


 娘に悪戦苦闘する王妃を横目に、俺は次々と食事を口へ運んでいく。

 つい先ほどの緊張はどこへいったのか。

 いや、これがまたそれらを吹き飛ばしてしまうほど美味いのだ。

 野菜や肉料理のオンパレードに、気付けば積極的に口に放り込み始めていた。料理はどれも美味であるが、特に謎の肉の丸焼きは頬張ればじゅわりととろけてしまい、もう絶品だった。

 おそらく牢獄でろくに食事を取らなかったせいもあるだろう。

 空腹も少し落ち着いてきた頃。

 俺の様子を眺めて、王妃は口元を緩めた。


「若者はやっぱり元気が一番ですね」

「あ、いえ、……あまりにも美味しいもので、つい」


 王妃とのやりとりに思わず口ごもってしまう。

 苦笑して言葉を継いだのは、シン王だった。、


「さて」王がカチャリとフォークとナイフを置いて、こちらを見やる「少し真面目な話をしよう」


 雰囲気ががらりと変わる。すっと表情が消えるような、そんな感じだ。

 現実を突きつけられてしまうような、非常に嫌な予感がした。

 王は白い布で口を拭いた後、こちらに質問を投げかけてきた。


「君はこの国、この世界についてどれくらい知っている?」

「……特には。ああ、パンフレットがあれば何かと助かりますが」


 そう伝えると、気まずい空気が食堂に流れ込んでくる。

 ふむ、と王は間を持たせるように言葉を継いだ。

 そのまま俺や王以外の食事のスピードも失速していく。姫君――シノは別だが。


「眠り子様、救世の乙女、または勇者という単語に聞き覚えは?」


 次々とよくわからない単語が飛んでくるが、俺は全てに首を横に振る。

 いくらかの質問に答えた後、シン王はため息を吐きつつ口を開いた。


「ダイゴ、君は私たちとは別の世界より来た者だ。この世界にニホンという場所はないし、君が通っていた学校もない」

「いや、そんな」

「嘘だと思うか?」


 彼の目は、悲しげに俺を見やっている。

 視界が初めてぐらりと揺らいだ。

 相次ぐにわかには信じられない言葉のせいか、足元が瓦解していく感覚に囚われる。

 脈絡なく信じるわけにはいかん……というには、様々な出来事を見過ぎていた。

 空へ落ちる自分。

 見たこともない廊下。

 多種多様な髪色した人々。

 さらには城にも似た建設物。

 空間に出現する幼児。――そして大爆発。 


「原因の一旦は、間違いなく私たちの世界の事情だ。君を巻き込んでしまい、本当に申し訳ない」


 シン王だけではなく、その妻であるドロシー王妃までも深々と頭を下げた。


「そんな、謝らなくても……」


 言葉尻はもごもごと消失していく。

 謝らなくても、状況が変わらない。

 そんな言葉をぶつけても、それこそ意味がない。

 かといって彼らの謝罪を受けて反射的に言葉を吐き出してしまったが「別世界でもかまわんよガハハ」とは受け止めることは難しかった。

 俺は表情に出にくいタイプだから勘違いされやすいのだが、これでも十分に混乱しているし、動悸は医師に大病を告げられたように早鐘じみた速度で鳴り出している。

 どうやって自宅に帰ればいいんだ?

 家にいる母は?

 進路希望の紙はどうすれば?

 様々な言葉が脳内を駆け巡る。

 保育士の夢を諦めるかどうかも、問題ない平和な日常があってこそだ。決断から逃げ出したい気持ちはあったものの、こういう状況を望んだ覚えはない。

 ショック、動揺、孤独感が隙間風のように心中へ冷たく吹き込んでいた。


「本当にすまないな」


 俺の心情を察してだろう。王は改めて謝罪してくれた。

 少しの間の後、どこから話したものか、と王は前置きして静かに語り出した。


「先々代の王、私の祖父より勇者を探すというお役目が受け継がれて、もう五十年近くなるか。父から救世主、勇者の話を聞いたのもちょうど我が妻のドロシーと出会った頃でもあったな。あの時は私も遊び呆けていたものだが、妻を目の前にするとなかなか口を聞くことが出来なくてね。何せ、妻はこの国のベストドレッサーに選ばれて数多の男たちに求婚されていたのだ。なんで話せなかったかって、勤勉な妻に対して、私は国一番のうつけ者と有名だったんだよ。だから妻のおめがねに叶うように必死に学問に取り組ん――」

「ちょ、ちょっと待ってくれ」


 脱線気味な言葉を慌てて止めて、軌道修正する。


「俺が救世主だか、勇者とか、そういう話なのですか?」

「違う違う」


 王は隣にいる姫君、シノの頭を撫でた。

 優しく幼子の頭を撫でる彼の顔が、徐々に曇っていく。


「救世の乙女――勇者はこの子、シノなんだ」


 少々驚いたが、俺は眉をひそめて首を傾げる。


「勘違いとかは」

「それはない」


 アムが強く冷静な口調で言葉を挟んだ。


「紋章魔術を学んでいないのに大規模な魔術を完璧に制御し扱うというのは、いくら天才でも不可能。さらに空間に働きかけて距離をゼロにする空間干渉などという馬鹿げた話を行う二歳児なんて前代未聞だ。才能という言葉だけで片付けていいものじゃないぞ」


 勇者がいるとなると、俺が呼び出されたのは理由とは……。

 魔族、という単語が脳裏に表示される。

 嫌な悪寒が喉に引っかかり、それを飲み下す為にワイングラスに入った水を手に取った。水を少し飲んでみたものの、全然異物感は取れやしない。

 言葉を繋げたのは王妃だった。


「この世界には、世界が沈み始めた時に勇者と魔族が現れるという言い伝えがあります」

「まさかうちの子が、という奴だね。先々代から探していた勇者が子孫とは誰も思うまい。そしてありきたりな話だが、勇者が魔族を倒すというのが伝承の内容ではあるんだ」


 口に含んだ水を吹き出しかけて、大きく咽てしまう。

 それって魔族呼ばわりされている俺が抹殺されるということではないか。

 この世界の法律や人権がどう定義されているか知らんが、どう理屈をこねられても間違いなく喜ばしい結果にはならないだろう。

 帰れなくなっているうえに暴力沙汰なんて理不尽にも程がある。

 俺は自分の髪を掴んで、強く否定した。


「いやいやいや、さっきから魔族とは言いますが、これは日本、ひいてはアジア人、黒人の方なら誰もが持つ色で、別に俺は特別な力なんて、あ、それに俺は人類を滅ぼすとかそういった類の危険思想は――」

「わかっていますよ」


 王妃が優しく微笑んで、首を横に振った。


「心配しなくてもダイゴ様は魔族とわかります。その黒髪と黒目が何よりの証拠。この世界に、そのように見事な黒に染まった人はいません」

「……」


 言葉が通じているのに通じていなくて頭が痛いという感覚は初めてだった。

 こほん、と王が合間を置くように軽く咳をする。


「何より、君は眠り子様の部屋へ一直線に走っていったじゃあないか」


 シノを抱えて廊下を走る場面を想起させる。

 その気はなかったのだが、だから兵士たちはあれほどまでに必死だったのか。


「いや、それは不可抗力で――」


 黒髪黒目は日本に大勢いることを力説した。

 俺は特別な存在ではなく、その他大勢のひとりだということ。

 魔族は他にいて、何らかの手違いで俺が来たのではないかということ。

 何より眠り子様というものも知らない。

 王と王妃は似たような表情で小首を傾げて、互いの目を合わせる。

 そしてシン王は肉料理をひとつ口にして、難しい顔で深々と考え込んだ後、晴れやかな顔で請け合った。


「やはりみんなが黒髪というのは、魔界だから仕方ないんではなかろうか?」

「仕方なくないと思うんですが、それは」

「まぁまぁ、君が魔族であってもこちらに害がないことはわかっている。もしも何かあれば、シノが現れた瞬間に何かしているだろうからな。魔族であろうがちっとも気にしないぞ。私は敵意がない者に対しては差別しない主義なんだ」

「あの……だから……」


 反論する気力が吸い取られていくように萎えていってしまう。


「腹が空いていてはろくな考えが浮かばないからな。特に私がドロシーを祭りに連れ出す為に脱走したときは――」


 シン夫妻は、話の軌道をねじ曲げると思い出話に花を咲かせ始めた。

 仲が良すぎる王と王妃が統べる国。まぁ悪い場所ではないだろうが。

 俺は椅子に深く背もたれて、大きく嘆息した。

 アムは我関せずといった顔で食事を続けているし、シノに至ってはテーブルをごちゃごちゃにしている始末。この国の人々は大変おおらかで、細かい事柄に気を配らないタイプなのではなかろうか。

 王や王妃としては、魔族が害がないとわかって大変安心しているせいもあるのだろう。

 しかし、俺は安心してなどいなかった。

 むしろ不安と不穏しかない。

 アトラクション説は……もう不採用だろう。

 彼らの目は嘘を吐いているソレではない。

 前向きに考えるとして、俺は帰る方法を見出さなくてはいけないのだが。

 様々な情報が提供されたけれども、結果として俺が自宅に帰路する手段は出てきていなかった。

 さらに魔族なんてレッテル貼られているという事態。


「……どうするか」


 顔をしかめて、思わず言葉を漏らしてしまう。

 食事を再開していた王は、一旦手を止めて俺に目を向けてきた。

 それでは眠り子様についてのお伽噺をしよう、と話題を変えるように王は言った。


「眠り子様は、この大地が生まれてから共に在るものでね。昔はその方々を精霊と呼んだ。そしてある日、世界を荒らし始める魔族が出現してね、精霊たちはこの大地を守る為に結晶化して、眠りについたと云われている。それが、眠り子様の始まりなんだ。その眠り子様が不安定になり再び魔族が出現し始めた時、その者は現れるだろうというのが伝承なんだ。それが魔族を倒す勇者の話に繋がる」


 俺が聞きたい話とはズレている。

 その不満は悟られず、王は長々と呑気に語りを続けた。


「眠り子様に異常が出たのは先々代が統治していた頃だった。ちらほらと世界中に魔族目撃情報が多発したんだよ。それに国も大きな曇り空に年中覆われてしまった。私の祖父を含めた民は希望を待ったのだが、しかし一向に勇者は現れず、私の父も、また私も事態がこれ以上広がらないように祈るばかりだった。君も見ただろう? 庭の木が枯れている様を。それが眠り子様が不安定になった影響だよ」

「ああ……」


 こちらへ来る最中の景色を思い出す。

 眩しい陽光に、寒々しい風景。夏と冬を混ぜたような、チグハグな世界。

 シン王がドンッとテーブルを叩いた。


「まさか!」

「うわっ」俺は思わず驚いてしまう。

「まさか、天使である我が子が勇者となって生まれるとは……!」

「この子が生まれてすぐ、この土地を覆っていた薄暗い雲が晴れていったんです。本当に久しぶりの太陽と青い空でした」


 王妃は姫君の口元を拭いながら言葉を継いだ。

 王は大きく頷く。


「ああ、最初はもうこれだッときたんだよ。これだッと。勇者が現れたんだ、どこだっ! て探したら、まさか私の娘が玩具を遊ぶように紋章魔術を使っているとは……。そして勇者が現れたのならと、時間をかけて国中を探したんだ。魔族とやらを。こんな幼い子を危険な目に晒す前に」

「……それが俺ですか」

「もちろん、私の娘に害を為す前に始末しようとしたのだが」


 ほかほかに湯気だったじゃがいもの皮を剥きながら、なんとも物騒な話を本人の前で告げる。


「でも、その魔族も悪意はないときたもんだ。聞けば牢屋で筋トレしているといううではないか。これはおかしい、話を聞いてみなければ、なんて思ってね。処刑を促す老人どもを宥めるのには苦労したよ。ほんと、世の中は何があるかわからんもんだ。でも、これで安心できるよ。あとは世界の眠り子様に会えばいいんだが、いかんせん、この子は幼すぎる。もう少し落ち着いて、成長してから回っても文句はないだろう。あまりにも幼い子に世界を回らせるというのも酷な話だ。それに、今はイヤイヤ期だしね」


 イヤイヤ期。

 俗に言う魔の二歳児。

 二歳から三歳の頃に多いといわれている第一次反抗期。子供の自我が芽生え、心身の成長を実感できる時期だ。そして、父母の精神が急速にすり減らされる時期でもある。

 靴下穿いてと懇願すればイヤと拒否して、なら靴下穿かなくていいから出かけようと言えばイヤと拒否する。

 分厚いコンクリートじみた鉄壁の拒絶に途方に暮れる母親も多いだろう。

 どうもシノは、そういう時期に突入しているようだ。

 子供が苦手な俺には恐ろしい話である。


「ああ、あと勇者が魔族を倒すという言葉は安心してほしい。倒すというのは隠語みたいなものでね。切った張ったではなくて、眠り子の調律をするのが勇者の役目なんだ」

「調律?」

「そう、不安定になった眠り子様を調律する。つまり古ぼけた時計を時計屋が直すといったようなもんだよ。調律すれば、魔族も自然といなくなるようだ」

「ああ。じゃあ他の世界は未だに大変なんですね」


 そう訊ねると、王は軽く肩をすくめた。


「それはさっぱりぽんだ」

「さっぱ……」

「どうも他国には恥部を晒したくないようでね。こちらも似たようなもんだが、そういった情報はあまり伝わっていない。ま、おそらくどこも似た状況だろう」


 あんまりな言いように絶句するも、王はどうという風でもなく言葉を続けた。

 色々な意味を込めた嘆息を吐き出して、俺は王を見やる。

 俺にとって、重要な言葉だ。


「それで、俺は、どうしたらいいんですか?」


 魔族と言うからには、何かしないと帰れないのだろう。

 どんなRPGや漫画、本でも異世界に放り込まれた人間はそういった任務を課せられるのだ。

 それをクリアすれば俺は帰れるのかもしれない。

 死ねば助かるのに、という展開は勘弁願いたいが。

 が、王は目を丸くながらキッシュに手を伸ばす。

 まるで予想外の質問がきたと言う風に。


「え? さあ?」

「さあ? さあ?! さあと言った!?」


 予想斜め上の回答に、思わず言葉をおうむ返ししてしまった。

 王は唸りながら、


「こちらとしては、まぁ魔族が悪意のない人物とわかっただけでも良しという感じでなぁ」


 言葉を濁そうとする姿勢に腹が立ってしまい、王が手に取ろうとしたテリーヌを先に左手でひったくる。


「あっ、私のチキンのテリーヌが」

「フォローしてもらわんと困るぞ。アフターケアを! 俺は好きでここにいるんじゃないんだ!」


 母も進路希望の紙も気懸りなのである。

 もしかしたら捜索願を出されているのかもしれないのだ。

 もし俺が例え魔族だとしても、何も用はないんだから帰してくれても構わんだろう。

 テリーヌを奪還するべく王が幾度となく手を伸ばすが、それを何度も避けてやった。


「そう言われて伝承が残っているだけで、まさかなぁ、勇者について詳しい話はあるが、魔族が何も考えていないとは思わないもんで。どうやってこちらに来たのか私たちもわからないんだ。紋章魔術にも異世界に飛ぶ技術なんてないんだよ。なぁ?」


 王の問いに、ステーキを頬張りながらアムは頷く。

 そして、少々沈黙を保っていた王妃が口を開いた。


「それなら、この子と旅してみてはいかがでしょうか?」


 給仕係に布巾をひとつ頼みながら、朗らかにドロシーは言う。

 もちろん、こちらからテリーヌを奪い返しながら驚愕するのはシン王である。


「ドロシー!?」

「王妃、何を言っているのかわかっているのか?」

 

 驚いているのはアムも同じようであった。

 が、王妃はあっさりと頷く。


「ええ、もちろんわかっています」


 寂しそうな目でシノを見やり、


「この子はいずれ、王家の指輪を持つ者を見定めて旅立たなければいけません。しかし私も体が弱く、あなたも公務で国を離れることは出来ない。それなら、こうして知り合ったダイゴ様にお願いして、共に眠り子様の調律を任せてみるのもよろしいのでは? 魔族からこの地を守る為に沈んだ精霊たちなのですから、魔族に関して何かしら知っていてもおかしくないでしょう。それに何か危険があっても、剣の一族であるアムも同行するなら問題はないはず」

「ドロシー……」

「あら、私はアムに全幅の信頼を置いてますよ。彼女は大変子供好きですからね」


 隣にいる自信過剰気味な女性。子供好きとは思えないが。

 と、王妃は視線に気づいて顔を向ける。

 彼女は俺を見やっていた。

 慈しむような、母親の瞳で。


「それに、きっとダイゴ様の母上も心配しているはずですよ。ここで帰ろうとしないで、いつ帰るんですか」


 アムは厳しい顔して唸る。

 俺も同様の表情をして、考え込んでいた。

 眠り子様というのがどういう者なのかは知らない。精霊というのも眉唾に感じてしまう。

 ……しかし、それらを管理している者がいるのだとしたら、魔族について知っている人物もいるのではないだろうか。

 だったら、少なくともこの場で食事して過ごすよりか、早く帰る手立てを得ることが出来るはずである。

 もしも噂の精霊が本当ならば、さっさと帰れるに違いない。

 だが、シノはどうなる?

 これは一時的にも両親と離れて世界中を回らなくてはいけないという話だ。

 二歳という幼児が親から離れるなんて、あってはならないことだろう。

 ……ゆっくりと時間をかけて考えてみるが、何も思いつかない。

 俺は改めて、水を思いきり飲み干した。


「その眠り子様というのは、どこに?」

「この国の眠り子様は安定してしまって、もう会うことは出来ません。近くの――と言ってもそれなりに遠いですが――スイ国に訪れてみてはいかがでしょう」

「スイ国……。どう行けばいいんだ?」

「一本道だ。整備された道もあるから迷うことはないだろう」


 食事を終えたのだろう。

 優雅にワインを口に含んで、アムが言う。

 シン王はふん、と鼻を鳴らしていた。


「あの国は流行を追おうとし過ぎて緑が少なすぎる。シノを連れていったら情操教育に悪いんじゃないか?」

「そういうわけにもいかないでしょう。他国は困っているんですから」

「お前、自分の娘が心配だと飛び出したくせに」

「心配は心配ですよ。本当は行かせたくありません。行くなら私もついていきたいくらいです。でも王族が先陣を切らなければ民に示しがつきませんし、何より調律が行われなければ世界は結局――」


 俺は軽い口論を始めるふたりを眺めながら、スイという国に思いを馳せてみた。

 魔族という者を知っているであろう眠り子様。そして、俺を帰してくれる可能性のある存在。


「わかりました。スイ国へ行きましょう」


 その言葉に、王は眉を八の字にしてしまう。


「ええ……それじゃあ私の天使が……」


 とてつもなく不安そうだ。


「もちろん、行くのは俺ひとりです。さすがに幼い子を連れて回るなんて俺には出来ません。調律というのがどれほどの影響力があるかわかりませんが、もう少し姫君が大人になってからでもいいと俺は思うんです」


 子供が苦手というのもあるし、接するのも怖いのだが。

 もしも。そんな言葉がある。

 俺は自分自身が魔族とは到底思えない。

 もしも、その魔族が別にいたとして。

 もしも子供に何かあって、両親が悲しむ目に遭ってしまったら?

 恐ろしくて、とても子供と旅なんて出来やしない。

 顔を輝かせる王とは対照的に、王妃は少し悲しげに顔を伏せていた。


「そうかそうか。私としては、君にこの国にずーっと居て貰っても構わないんだが」

「……そうもいかないですよ。きっとダイゴ様の母君も心配しているんですから。それに、世界中の国の人が困っているんです。私たちの娘が勇者というのなら務めを果たすのが責任というものでは? 国民には勇者がいると知られているのですよ。このまま何もせずに放っておくのも、そろそろ限界ではなくて? 自分の子供を守る為に他者を犠牲にする王についてくる者はいると思いますか?」


 王は言葉を咎められて窮してしまう。


「そ、そもそも王家の指輪があるものでないとだな……」

「あら、それはアムがきっと」

「ニーニ」


 ここで俺を一直線に射るように、シノは小さな人差し指を俺の眉間へ向けてきた。

 周囲の視線が一気にシノへ収束される。


「ニーニ指輪持ってるよ」


 がたっ、とアムが立ち上がった。

 いつの間に手にしたのだろう。甲高い声を低くして、彼女はライターをかちりと開き、こちらへと向ける。


「貴様、どういうことだ……」

「え? いや、俺は知らん。本当に何も」


 と、慌てて手を振ったところ、王が目を見開いてひとりごちる。


「ダイゴ、その指輪は王家の……」

「は? ……あっ」


 俺は自らの右手に指輪があることを思い出した。

 言い訳に聞こえるかもしれないが、指輪のことを話そうとは思っていたのだ。……当初は。タイミングを逃してしまい、あれよあれよと様々な言葉が流れてきて、言い出せなかっただけで……。

 これは風呂場にいた時に突然……、そう言いかけるが、声を荒げたアムに遮られる。彼女はダンッとテーブルを強く叩いた。


「姫! 王家の指輪は代々剣の一族が受け持つはずだ! なんでこんなポッと出の男に指輪を!」

「アム、落ち着きなさい。二歳とはいえ、決定権はシノにあるのですよ」


 王妃に窘められて、アムは口をパクパクと開閉させたが、驚いて目を潤ませるシノに何かを打ち砕かれてしまったのだろう。

 彼女は結局何も言わず、椅子に座り込んで両手で顔を覆ってしまった。

 からん、とその手にあったライターすら地面に落ちてしまう。

 王に至っては姫君であるシノが男である俺に指輪を渡したことに絶望するばかりだ。まだ早い、まだそういうのは早いんだ、とよくわかない言葉を口にしている。


「さ、色々と準備しなくてはいけませんね。娘が旅立つのは不安ですが、剣の一族がいれば大丈夫でしょう。旅立つのはいつにしましょうか」

「……」


 俺が言葉を挟む余地はなく、次々と何かしらが決定されていく。

 準備をしなくちゃと意気込む王妃、項垂れる王、ぶつぶつと小声で言葉を垂れ流すアム。

 姫君である勇者、シノはきょろきょろと三者三様を見やっている。

 俺はよくわからん状況で旅に出なければいけない自分の運の悪さを呪うばかりだった。

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