大吾、風呂で考える
「……あぁー」
招かれた場所は大理石で構成された大浴場。
ちょっとした武道館程度の広さを持つ風呂場だ。
しかもそれを貸切というのだから驚きである。
三日間風呂と離れた生活をしていたからか、ザバッと湯を頭から被れば指先から足先まで、じんわりと痺れていく。プールじみた湯船に足を伸ばして肩まで浸ってしまえば、今までの疲労や臭いもどこへやらだ。
思っていたより疲労が蓄積されていたのだな、と実感した。
「最高だ」
反響する言葉は壁へと染みていく。
人心地ついたところで、ようやく俺は、自分が抱えている問題と向き合わなければいけないと考え始めていた。
それはとてつもなく大きな問題だ。
ここは、どこだろう。
リスタート。初めに戻る。
そんな言葉が脳裏に浮かんでは消えていく。
なんとなくアトラクションだろうと考え付いていたのだが、王や王妃の困惑ぶりを見るとそれにも疑問が湧いてきてしまったのだ。
自分はどうも、かなり深刻な問題に直面しているらしい。
しかし、どう解決したもんか。
しみじみと、頭に濡れたタオルを乗せながら胸中で愚痴る。
ここは異世界か?
なんて口にしてみたが、言葉が風呂場に反響するばかりで返事はない。
それにいくら記憶を辿ってみても、現実世界から異世界への経緯が思い出せなければ対処のしようがないではないか。
入道雲を引き裂いた巨大な目。
伸びてくる触手。
空へ落ちていく自分。
気付けば、見知らぬ廊下。
その時だった。
腹の底に冷たい水が注ぎこまれたかのような、妙な悪寒を覚えてしまう。
温かいコーヒーに冷たいミルクが混じっていくような……。
「……なんだ……!?」
視線を下げた俺は驚愕した。
自分の腹部においていた右手が、妙な輝きを放っているではないか。もちろん、俺にそんな能力など断じてない。
悲鳴をあげようとしたが、どくん、と胸が強く打たれた。
同時に、強烈な眩暈を覚えてしまう。
胸から何かがせり上がって、右手の人差し指に集中していく。
咄嗟に体を折って、右手を強く湯に叩きつけてしまう。
熱い。
「ダイゴ様」
風呂場の衝立の向こう、女性の声が聞こえた瞬間だった。
輝きはより強さを増して、太陽の如き眩さを放ち、そして収束していく。
「どうかしましたか? なんだか大きな音がしたものですから」
「……いや」
この声は王妃が倒れた際に背を擦っていた女中だろう。
なんでもない、とは言えなかった。
今、ここで嘘を吐いても仕方ないだろう。
俺の右手小指に、赤い指輪が嵌められていたのだから。
「大丈夫ですか? 何か不都合でもございましたでしょうか? 今、開け――」
「大丈夫。大丈夫ですから、開けなくてもよろしいです」
「……そうですか」
何故だか寂しそうな声が返ってくる。
「それでは、食事の用意も出来ていますのでお早めによろしくお願いします。それから、お着替えも準備しておきましたので」
「ありがとうございます」
女中の気配が去っていく。
その音を聞きながら小さく安堵して、俺は自分の右手へ視線を戻した。
自分の指に嵌められた小さな指輪。外そうとしても強固に張り付いたようで、一向に外すことは出来ない。石鹸を泡立てても見たが無駄だった。
なんだ……この指輪……?
……。
ここで考えても仕方ないだろう。
一抹どころか大きな不安が、より一層胸中で渦巻いているものの、俺は風呂をあがることにした。
夕飯も用意されていると言ってくれたのだ。
食事の際は王と王妃も同席するらしいので、その時に訊ねてみるのも良いだろう。
女中の言った通り、きらびやかな脱衣所には服と靴が用意されてあった。
服、というよりはローブに近い黒と紺が入り混じった和服だ。
こんなものを着てもいいのか、と疑問に思ったが、服はこれ以外に用意されていなかった。
俺の汚れた衣服はどこにいったのだろう。おそらくは女中が片付けて洗濯しにいったと考えるが正しいのだろうが。
「すいません」
「はい?」
脱衣所の外から、女中が返事をする。
「これは、どう着ればよろしいのでしょうか」
俺は生まれてからこれまで、和服なんて着たことがないと説明する。
困惑した返事はすぐに届いた。
「あらら、手伝いましょうか?」
「え?」
「それでは失礼しますね」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
「え?」
「ひとりで着れる。外から説明してくれるだけで構わんから」
「そんな……魔族の裸に興味があるわけでは、決して。翼とか悪魔の尻尾とかあったりしないかな、なんて全然考えていませんよ。はい」
危うい返事に断固拒否した。
その後、扉越しではあるが、女中に和服の着方を指導された。服を着るということも出来ない俺に驚いていたようだが、まぁそこは目をつむって欲しいものだ。
袖を通してみれば、意外や意外。わりと通気性もあって着心地も悪くない。
脱衣所に設置された大きな鏡を見やり、全身をぐるりと確かめた。
身長が大きな俺にもぴったりと合うような服をすぐに用意できるなんて、さすが金持ちだ。
――指輪。
黒い和服に、右手の小指に嵌められた指輪が一層際立つ。
……まぁ、後で訊ねるといいか。
俺は最後にわしわしとタオルで髪を拭いて、脱衣所を後にした。




