果報は牢で待て
底冷えする薄暗闇の空間。
石と鉄格子、そして申し訳程度に灯された篝火で構成された空間――牢獄である。
そこで俺は、暇なので日課の腕立て伏せを行っていた。既に目標の千は到達している。数えるのも面倒になってきた頃、嘆息まじりに息を吐いて、地面に腰を下ろした。
汗ばんだ衣服にぱたぱたと風を送り込んで、小さく呟く。
「どうしたもんか」
この部屋周辺は贅沢にも各部屋にひとりずつ配置されているようで、それぞれ目が虚ろな者や沈んだ空気をまとった者たちが沈黙を保っている。元気に体を動かす俺とは対照的だ。ちゃんと三食付いているので食事には困らないが、少々雰囲気が悪すぎる。
それに既に投獄されて一日近く――時計はないので、おそらくだが――過ぎているだろう。
予想外に時間が経ち過ぎている。いくらアトラクションでもあんまりではないだろうか。
と、こつこつ、と足音が静かに迫ってくる。
若い男――これまた和服甲冑が俺が居る牢獄の前で立ち止まって、まじまじとこちらの顔を見やった。彼はこの牢獄の主、看守である。
「お? もう運動は終わったのか?」
やたら陽気な彼の声に「ああ」と頷く。
「日課の腕立てもスクワットも終わった」
何もすることがないのだ。時間が余り過ぎるのも困ったもんである。
いつもならもう少し時間がかかるのだが、こうもあっさりと終わってしまってはこちらとしてもやりがいという物がない。
そう伝えると、彼はニッと歯を見せた。
「いやぁ、お前みたいな健康的な魔族もいるんだなぁ」
「少しでもサボるとスッキリしないもんで」
そう答えると、彼は面白そうに笑った。
看守は話好きなのだろう。当初はこちらを警戒していたのだが、
「ここは危ない連中ばかりいたからなぁ。お前みたいなのがいるとこっちも胃が痛まなくて済むよ」
と、今ではそんな風に言葉を交わすまでの仲になっている。
丸一日も演技するなんて大変だろうに、アトラクションの従業員も意外と重労働なものだ。
「いつもご苦労様です」
「ええっ、同僚にもそんな言われたことないって。参っちまうなぁ。お前、本当に魔族か?」
「いや、俺は――」
あまり魔族魔族と言われるのが嫌だったのかもしれない。
俺は自分の住んでいた街を語った。
そしてこれまでの経緯も。
「へえ……ニホンの街ねぇ。魔界っつーのも、土地名があるんだなぁ」
看守は感心したように何度も頷いている。
日本という舞台も別世界という設定なようだ。まるで本当に知らないかのように振る舞うのだから、アトラクション従業員の演技力も馬鹿に出来ない。
彼は腕組みをしながら、物思いに耽るように顔をあげた。
「にしても、目玉が来てねぇ。お前も苦労しているのかぁ」
少しの間の後、
「俺はいつ帰れるんだ?」
その問いに彼は目を丸くして、あー、と頭を掻いた。
「いつだろうなぁ。少し時間かかると思うが、俺も下っ端なもんでよくわからないんだ。すまん」
「いや、こっちも変な質問して申し訳ない」
素直に謝罪する。
彼は調子が狂ったかのように首を傾げて、仕方なさそうにはにかんだ。
「魔族の癖に変な奴。お前と話すと興味が尽きなくて困るよ。まぁ、お前の話は全部嘘かもしれんけど、時間もあるしこれからもたっぷりと話聞かせてくれよ」
「うむ」
俺は快く承諾する。
楽しみだ、と看守は笑って、
「お前の話をうちの子供に聴かせたら、絶対に楽しんじゃうだろうな」
「子供がいるのか」
「おう、まだ六歳なんだがな、これがもうワンパク盛りで困っちまうよ」というのに彼は嬉しそうだ。……だったのだが、すぐに表情は暗くなってしまう「もう少し世の中が平和になってくれれば、俺も安心して子育て出来るんだけど、難しいもんだな」
彼は大きく肩をすくめて嘆息した。
「平和?」
彼は顔を俯かせて、口端を曲げる。
「そ。俺も似たようなもんでな。昔は前線で戦っていたんだけど、同僚を目の前で亡くして怖くなっちまったんだよ。だから外に出られないよーな仕事を希望して職場を回してもらったんだ。すげー顰蹙は買ったけどさ。息子も生まれたばかりだったし、同僚の嫁が泣いているのを見ちまうと、どうもね」
少し会話が噛み合っていないのだが、彼はそう語ってくれた。
設定なのだろうが、彼の顔は歪んでいる。思い出したくないと、今にも泣きだしてしまいそうな顔だった。その顔が生々しくて、俺は目を伏せてしまう。
「……すまない。不躾なことを聞いてしまった」
「いやいや、謝るな。俺が勝手に話したんだし、別にお前がしたって……って、本当に魔族かよ。うちの嫁さんは例え自分が悪くても早々簡単に謝らないぞ。むしろ俺に謝罪要求しちまうんだから」
ははは、と彼は小さく笑う。
「ま、これから仲良くしようや。あ、でも変な気を起こして暴れたりするなよ」
看守はこちらを指さして口酸っぱく注意した後、再び見回りへと戻っていった。
それから俺は看守と何度も言葉を交わした。
日本での風景や日常、そしてお互いの悩み。
子育ての難しさや、普段の趣味など。
これは十分に友人と評してもおかしくない関係だろう。
もちろん、その間にあの幼子や母の心配もしていたのだが、今の俺にはどうすることも出来ない。
今は部活動の合宿にでも来たと考えて、次のアクションを待つしかないだろう。
そして牢獄生活が三日目となった日だ。いつもよりも真剣な表情をした看守が牢屋の前に立っていた。
少しの沈黙の後、彼は何度か躊躇って、こう口にした。
「ダイゴ、すまんがこれを着けてくれないか」
看守が鉄格子越しにジャラリと見せてくれたのは黒光りした手錠だった。使い込んでいるのだろう。節々は錆びているが、頑丈そうだ。警察が使っている物よりも厚く、重いだろう。
「必要なんだろう? なんでそんな顔するんだ」
俺が問うと、彼は少し弱々しい口調で告げる。
「王が、お前に会いたいそうだ」
なるほど、と俺は納得する。
次のアトラクションは王との面会らしい。
しかし、俺が呑気に考えているというのに、彼の表情が俄然暗いままだ。
「俺のせいだ」
彼の表情は益々沈んでいく。
「俺のせい、とは……?」
「他の同僚たちに、お前の話を少し話しちまったんだ。ニホンの話とか、学校生活とか。それが王にも伝わったらしくって」
彼は口を噤んでしまう。
彼の意図をくみ取って、なるだけ言葉を選んだ。
「俺は、その王へ会いに行けばいいんだな?」
はっ、と彼は顔をあげる。
そしてこちらと目を合わせて、すぐに逸らした。
「突然の辞令だったんだ。俺にも、お前が何をされるか伝わっていない。ただ仮にも姫のそばにいたんだ。処罰される可能性もある。俺が話さなければ、せめてもう少し牢屋に入れられたんだ。ああ、くそ。本当に俺のせいだ。気を大きくしてペラペラと喋ったせいで」
「そんな気を落とすな」
まるで言い訳をするように言葉を吐き出す看守に、優しく声をかける。
しかし、その言葉を荒々しい見た目をした連中――彼らもまた和服甲冑だった――に遮られた。まるでゲームセンターやコンビニ前で集まっているような顔をしていた。
「おお、黒髪……マジでいるんだな、魔族っつーの」
「すげぇ。初めて見たぜ」
まるで動物園を珍獣を見るように顔を突き出してくる。
少々気を悪くして眉をひそめていると、そのうちのひとりが看守の肩を掴んだ。
「看守、少し感情移入しすぎだ。問題になるぞ」
看守は悔しそうに歯噛みしていたが、何も言い返す気配はない。
男は彼を促す。
看守は促されるがまま、俺に手錠を着けるよう牢屋内へと手を伸ばしてきた。
俺もまた素直に両手を突き出して、牢屋越しに手錠を着けられる。
手錠はやけに冷えていて、予想よりも少し重たかった。
「さあ出てこい。王の前に出るんだ。下手な粗相しようと考えるなよ」
その言葉と同時に、牢屋の扉は重苦しい音を軋ませて、ゆっくりと開かれていった。
随時加筆修正します 申し訳ありません