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―反撃 ハンゲキ―

暴力的な描写があるので苦手な方はお気をつけください。

冷たい何かが額に触れて、おぼろは目を覚ました。

暗い、洞窟のような場所。湿った空気が肌に纏わりついて気持ちが悪い。

「気がついたみたいだな」

聞き慣れない男の声。額に触れていた冷たい何かが離れ、痛む身体を無理矢理に起こそうとする朧を押さえつける。

「その怪我で起き上がるのは無理だっての。あんたもあれだろ、妖に村襲われて生き残った奴」

俺もそうなんだけどさ、何かよくわかんねぇけど王様に刃向かったとかで罪人にされちまったんだよな。へらりと笑い、男は頭を掻いた。

罪人と同じ場所に捕えられているということは、朧自身も罪人であるということなのだろう。あれからどれだけの時間が経ったのだろうか。たつは、どうしているのだろうか。

朦朧もうろうとした意識の中で聞き取った龍の叫び。大切な人を守る為に朧を刺した。あれは優しいから、きっとそのことに対して深い罪悪感を感じているはずだ。大切なものを守る為には何かを犠牲にしなくてはならない。朧の中ではそれが当然のことであっても――龍の中でそれはきっと、理解し難いものなのだろうから。

「ま、罪人同士仲良くしようぜ。俺は水華すいか。あんたは?」

妙に明るい――否、明るいわけではない。ただ、諦めて自暴自棄になっている男の声が牢に響く。

暗い所為せいではっきりとは見えないが、水華と名乗った男の目はこの世の全ての絶望を知ったかのように冷め切った色をしていた。まるで、龍と初めて出逢ったときのようだと思う。妖に殺されかけているにも関わらず、声一つ上げなかったときのあの表情。あの冷え切った目。呆れを通り越して笑えてしまうほどにかたくなだった、あの頃。

「朧だ。手当てをしてくれて有難う。やることがないのなら、ここから出るのを手伝ってくれ」

死んだ魚のような目が驚きに大きく見開かれたのを感じ、朧は満足げに笑みを浮かべた。

こういう目をしている奴ほど、本気になったときは想像を絶するような力を発揮するのだ。



********



狂っている。

狂っている。

国王もまわりの人間も皆、狂っている。

村が燃え灰になる様を、人々があやかしに喰い散らかされる様を、何故笑って見ていられるのか。

狂っている。

狂っている。

血の赤で汚れた手。その手には真っ赤に染まったつるぎ。貫いたのは、守ると誓った、大切な。

声にならない悲痛な叫び。涙は出ない。出るはずもない。自らの手で、殺したのだ。

ああ、自分は。

狂って、いる。



********



満身創痍で牢から出た二人を待ち構えていたのは、全ての原因であるこの国の王だった。

まるでこうして二人が牢から出てくることが最初からわかっていたかのように、愉快げに口元に笑みを浮かべ立っていた。

「まだ生きていたとは、驚いたな。――妖葬師ようそうし、朧。どうだ、自分の従者に裏切られた気分は?」

あざけるような口調で王は言う。

どこか不気味さをも感じさせるその姿に水華は思わず自らの手のひらを握り締めた。

「従者ではない。龍は私の友人だ」

敵意を隠そうともせず朧は即答する。月色の瞳が目の前の男の一挙一動を見逃すまいと鋭く細められていた。

「その友人にやられた傷は、随分と深そうだがなぁ。―――たかだか一人の女の為に、馬鹿な男だ」

王がそう言った途端、ちりちりと肌が焼けるような怒気が辺りを包んだ。瞳を怒りの色に染め、血の気が失せ真白になるまでに強く握り締められたこぶしを小さく震わせた朧が、恐ろしくわらう。

「私のことならば構わない。――だが、貴様ごときに龍のことを悪く言われるのは、許せない」

可笑しそうに王が笑う。楽しげに、愉しげに、苛立ちを隠そうともせず、笑っている。笑う王の足元から、背後から、影という影から、妖が現れる。操り人形にされてしまった妖がゆらりゆらりと朧と水華の二人を囲む。

ふいに王の笑みが深くなった。その王の背後から今にも崩れてしまいそうに危うい足取りで、一人の男が現れる。全身に無駄なく筋肉がついた体躯。褐色かっしょくの肌に光を反射して輝く銀の髪。

「た――…つ……?」

驚きに見開かれた朧の瞳が亡霊のような龍の姿を映す。血のこべりついた剥き出しの剣、それを握る血だらけの手のひら。初めて出逢ったとき以上に冷え切り凍り付いてしまった、本来はとても暖かな光を宿す瞳。まるで、龍の姿をした別のもののようだった。それほどに、龍の変貌は凄まじかった。

「あんた……」

水華が、龍を見て苦しそうに顔を歪める。

「殺したのか。その剣で――あんたの一番大切な人を」

否。龍ではなく、龍の持っている剣を見て、顔を歪めたのだ。剣を掴む手のひらを必死にほどこうとする、ごく一部の人間にしか見ることのできない魂だけの姿になって、それでもなお必死に龍を止めようとしている女を。

妖葬師や霊感の強い者だけが見える――龍には見えないその姿で、涙を流しながら必死に龍を止めようとしていた。

「妖も人間も同じ。簡単に操れたよ――貴様を刺したことに酷く動揺して弱っていたこの男はな」

その言葉で朧は気付いてしまった。聡明な少女はその一言で、この王が仕出かしたことの全てに勘付いてしまったのだ。

「人質として捕えた女を操りこの男を殺させるつもりだったが……あの女、彼は絶対に助けに来てくれるなどとほざいて私の言葉に耳を貸そうともしない。だからこの男を操り女を殺させたが――私の判断は正しかったようだな」

満足げに口元を吊り上げ、朧と対峙たいじする龍を一瞥いちべつする。いやらしい笑みだった。

朧の怒りに燃える瞳が刃のように鋭くその男を突き刺す。白くなるほどに固く握られた手のひらに食い込んだ爪が皮膚を破り血が零れる。

悔しかった。

龍が操られていることより、それで大切な人を殺してしまったことより、それを傍観して笑っている男より、そうなる原因をつくってしまった自分自身が、何より憎い。

「――うるさい」

苛立った声。眉間に皺を寄せた王はふいにそう呟いた。

視線の先には龍がいる。正確にいうのならば、龍の腕にしがみついている女が。

どうやら見えているらしかった。昇華されなければならないはずの魂が、見えている。

「そんなにもその男に剣を離して欲しいのならば」

瞳の奥に潜む暗いものを光らせて王は淡々と言う。苛立ちながらも、どこか愉しげに。

「こうしてやる」

にたり、と背筋が寒くなるような笑み。

その笑みが深まった、その瞬間。

赤い紅い、まるでいつか見た夕陽のように真っ赤な視界が広がった。

声も無く、音も無く、龍の剣を持っていた手が。腕が。

紅い飛沫をあげながら肩から離れて、そのまま。

龍の胸へ――――。

「やめ…っ」

朧の悲痛な叫びを遮り。

「ぅ、あ……」

水華の引き攣る呼吸を止め。

「死ね」

嗤う男の言葉に従って。


愛する人の血がこべりついた剣が――。


「龍――――っっっ!!!!!!」

龍を咄嗟とっさかばった女諸共もろとも、貫いた。

一瞬目を見開かせ驚いたような顔をした龍はすぐに、困惑し泣きそうな、それでいて酷く嬉しそうな幸せそうなそんな表情をして地に倒れ――死んだ。命を失う最後の最後。王の操りから解き放たれた龍は、たったひとつのかけがえないものをその腕に抱いて。



********



優しい声。

龍という名をくれたあの人と、愛情を教えてくれた彼女の声。

自らの手で傷つけた、大切な大切な人たち。

憎かった。自分自身が、とてもとても。

だからあの人たちにも憎まれて当然だと、そう思っていた。

――龍

二人の穏やかな声音。

―― 一緒にいこう

手を差し伸べる、愛しい人。

――今まで、ありがとう

名をくれた人の、柔らかな笑み。

俺は、この罪を忘れることはできないだろう。大切な人を殺め、傷つけた。それはきっと、この心に重く沈みよどみ続けるだろう。

そうだとしても、俺は。

幸せでした。とても、とても。


あなたに逢えて、本当に良かった。



********



叩きつけるような衝撃が全身を襲う。

あまりの衝撃に耐え切れず膝をついた水華が目にしたのは、朧の頬を伝い落ちた一粒の涙だった。

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