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鏡の中のドングリ

作者: 春 祖余儀

鏡の前の私、呆然自失。

たまに笑って。ため息。

よく知らない人間に体、特に頭部を触られるというのがあまり好きではないし、親しくない奴に「最近どうなの?」「学校は順調?」「休日はなにしてるの?」などと聞かれるのもイマイチ好きくない。それに対して私が「ぼちぼちですね」「順調ですよ。」「最近はエビチリに凝ってまして。休日はエビを剥いたり、チリに絡めたりしてますよ。うまいんです。好きなんです。」と、キチンと詳細まで添えて返答したにも関わらず「アァーソウデスカア。」と、はなっから興味・関心が無かったようなトーンの流し言葉で処理されるのも釈然としない。




つまりなにが伝えたいかと言うと、私、美容院・床屋・ヘッドスパ・ヘアーサロンの類が総じて苦手なのである。不思議な事に寡黙な美容師というのはめったにおらず、奴らは、皆、よく喋るのである。そして私に極めて親密的質問を投げ掛けておいて、返答したが最後「アァーソウデスカア」を無機質、冷淡にぶちかましてくる。魂がくなくな。それがとにかく苦手。可能な限り、生涯で床屋、美容院へ行く回数は最小限に留めておきたいのである。




しかし、だからと云って放っておけば髪の毛は一瞬の隙も無くズイズイ伸び続けていくわけだし、伸び回した髪野郎は色々とデメリット・障害を発生させる。例えば飯を食う時。伸びて垂れ下がった前髪は大変な邪魔物となってしまい、口の辺りをぶらぶら前後左右に遊徊、箸で口に食物を運ぶ度、飯と共に口内へ侵入。瞬く間に前髪は飯と唾液だらけ。さらに、それらでべたべたになった髪を洗い去るには相応のシャンプー液が必要になる。普段の洗髪時の数倍はシャンプーをプッシュする事になり、必然的にシャンプー液は凄まじい早さで消費され、枯渇。最終的には私の経済に直撃してしまうわけである。





また、髪型と云うものは他人から見てその人間の性質・社会的立場をある程度見定めるポイントでもある。美容師の技によって綺麗に切り揃えられた長髪、俗に言うロン毛と呼ばれるカテゴリーに属する長髪ならばまだしも、長期間ほったらかし、まるで手入れのされていない粗末な庭に生え乱れる雑草・ペンペン草のごとき髪型、ルンペンヘアー、ルン毛に属してしまった場合、少なくとも友人は減るし、下手をすれば社会的信用も失いかねない。職にありつけない可能性すらある。仮にありつけていても、企業はみすぼらしいルン毛の人間など雇用を打ち切ろうとするに違いない。職が無ければ金が手に入らなくなり、シャンプーを購入する事もできなくなり髪の毛はいつも飯や唾液でべたべた。悪循環・負の連鎖・ネガティブスパイラル・ルン毛の法則。



私もみすみす恐るべきルン毛の法則にハマるほどあほではないのである程度髪が伸びてくると、社会的信用保守心がアァーソウデスカア嫌さと魂の中で激突、当然社会的信用保守側が圧勝。覚悟を決めて自ら美容院へ出向き、美容師のアァーソウデスカアさんを喰らい、嫌な気持ちになりながらもルンペン手前まで行った髪をアァーソウデスカアさんに賃金を支払い、断裁。社会的な姿形を今日まで維持してきたのである。





しかし今回、まるで体調を崩した女のオリモノのごとく、定期的にきていた魂の葛藤・ルンペン回避反応がこの身に全く起きず「まだええかな、まだええかな」と、夏休みの宿題を溜めまくるガキのような先送り精神が発生。さらに長く伸びた自らの頭髪にある種のエネルギーというか、生物的感動・愛着、果てにはプライドのようなものまでが芽生えてしまい、アァーソウデスカア嫌さが拍車をかけまくり、もはや切りたくないの一心にこの身を預けてしまっていたのである。ルン毛の法則、すぐそこまで。




かといって、やはり職場、勤めているバイト先で私のみすぼらしい廃墟に生い茂る雑草のようなルン毛は経営側・客側共にすこぶる評判が悪く、おまけに第四次産業の代表、飲食店という性格上、頭髪・身嗜みは言うまでも無く絶対条件として、清潔を極めてなくてはならない。温厚で有名はオーナーに呼び出され、妙なプライドの結晶と化していたルン毛を来週までに排除、断髪、爽やかな社会的ヘアースタイルに仕上げてくるよう命じられたのである。仮に職を失えば、既述したルン毛の法則に驚くほど当てはまり、今後垂れ下がってきて前後左右縦横無尽に遊徊するであろう前髪が飯と唾液と、食事の度に口内にて三者いんぐりもんぐり。べたべた。生臭い目前の黒色ペンペン草。社会的信用を失い、汚い髪と心中。ルン毛の法則、完成。




まずい。それだけは回避しなければならない。しかし、一度思い込んだ愛着、愛情、生命力の感動はなかなか捨てきれず、ここまでたくましくすくすくと生え乱れた我が愛しきルン毛をあのアァーソウデスカア野郎に流れ作業のごとく、マシーン方式のハサミ捌き。伐採、破壊、皆殺しにさせてなるものか。などと、我が子を守る母親に匹敵する想。なんとかアァーソウデスカアに遭遇せず、花葬のように神聖かつ丁寧、一粒一粒・飯は命のように一本一本・ルン毛は子息の命の重みとしる、ような、おとむらいはできぬものかと考えた。しかし、飯は飯屋でしか食えぬように髪は髪屋で髪の葬式、つまり床屋の類へ行くしか手だては無いわけで、と、思っていた。悔しい、悔しくてのたうち回る。乱れる髪。散り散り。




ところが、私はある日職場のパック入りドライフルーツをハサミで開封していた際、閃いてしまう。憎きアァーソウデスカアさんに殺されるぐらいならば、自らの手で、ハサミで、引導渡す。



つまり自分で、自らの散髪。巷で云うセルフカットをすれば良いのではないか。万事解決の兆し。私が自分で頭髪をスマアトに切り揃えられれば、今後、一切床屋の類に行かなくて良いわけだし、すれば金銭にわずかながらの余裕が発生。暮らしは潤い、例えば身近なところをいうと、シャンプーの代金ぐらいは少なくとも困る事はないはず。ルン毛は解消、シャンプーは常備可、社会的信用も微動だにせず、アァーソウデスカア君とは永遠に遭遇せず、職も安泰。それどころか「素直に切ってきたね、ウンウン」などと、前以上に信頼されてしまうかもしれない。とどのつまり、全てがうまくいくのである。青天の霹靂。緑色のいなずまに撃たれたような感覚。脱・ルン毛の法則。



私は幸せを手にするべく早速、髪伐にとりかかる。家にあったハサミを手に三面鏡の前へ。我、分身。いざ。

ジョキンジョキン。





しまった、左右のバランスが崩れた。



修正、修正。




ああっ、こっちが。

ヤヤッ、こっちが。


こっちが。こっちが。こっちが。


こっちがこっちがこっちがこっちがこっちがこっちがこっちがこっちがこっちがこっちがこっちがこっちがこっちがこっちがこっちがこっちがこっちがこっちがこっちがこっちがこっちがこっちがこっちがこっちがこっちがこっちがこっちがこっちがこっちがこっちがこっちがこっちがこっちがこっちがこっちがこっちがこっちがこっちがこっちがこっちがこっちがこっちがこっちが…。


リズムにのせて。

こっちがこっちがこっちがこっちがこっちがこっちが…。




あ、それ。こっちがこっちが。






数分後、三面鏡に妙なドングリ頭が現れて、哀れみの表情でこちらを見ている。

私は「なんだお前は。」と話しかけてみた。

するとドングリは情けなく笑い、深いため息をつき、なんと、力無く「アァーソウデスカア。」と呟いたのだった。



三面鏡に無数のドングリ頭、分身。見つめ会う私と全ドングリ。


たまに笑って。ため息。無限ループ。




まったく生け簀かないドングリである。



春祖余儀(はる そよぎ)


1991年生まれ。

兵庫県出身。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 個人的にはとてもすらすらと読めるリズムの良い小気味よい文章で、満足しました(なんか良い点になってないかも)。 [一言] あ、改行くらいはした方が良いように思えます。 格好がつくので。 まあ…
[一言] 髪をきるときの あの雰囲気よくわかります なんだかってかんじもありますね
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