神様の日記
一ヶ月程前の夏、私はある不思議な男性の事を知った。
これはそんな不思議な男性と平凡な私の、出会いの話――――。
「ぅうう……」
と、私が唸っていると、
「なーにやってんの?」
「ひゃっ!」
額に冷気を感じて、思わず私は飛び跳ねてしまった。
「もう、驚かせないでよ」
「ははは、ごめんっ!」
そう言いながら私の隣の席に座ってきたのは、椎名愛華――大学に入ってから知り合った女の子だ。愛華は所謂、小悪魔系女子ってやつで、いつもオシャレで男女問わず視線を一身に集めている。
隣にいる私は田舎娘丸出しの、化粧もろくに出来ない干物女なので、よけいに周囲の視線が痛い――けど、いいんだ。私はそんな些細な事は気にしないし。それに愛華は友達想いのいい子だから。
「これあげるから、許して」
愛華はウィンクしながら、さっき私の額に当てたジュースを机の上に置いた。
私のお気に入りの炭酸ジュース。さすがに愛華はツボを押さえてくる。
「しょーがない、今回だけね」
「どう、も。それより、さ……なんかあった?」
「えー、なんで?」
「だって水面、最近ボーっとしてるもん」
「あ、やっぱり、わかる?」
「私を誰だと思ってるの?」
小悪魔系リア充女子、でしょ? なんてね。やっぱり愛華はよく周りが見えてるし、それにとても頭がいい。周りの男達はその見てくれしか評価してないんだろうけど。
私は悩みの種を鞄のなかから取り出す。
「これ、なんだよね」
「……髪留め?」
「そう」
「で、それがなんなの? 壊れちゃったとか?」
「ううん、ちゃんと今でも使えるよ。ただ、これ……誰から貰ったのか、忘れちゃったんだよね」
愛華は頷いて、目で話の続きを促してきた。
「部屋の押し入れのなかから出てきたんだけど、私、こんなもの買った記憶ないし……、でも、何か大切なものだった気がするんだよね」
「でも、思い出せないような事なんでしょ? 別にいいか、って思わないの?」
そう、確かにそう思おうともした。だけど……
「思い出さなきゃいけない事のような……気がするんだよね。本当にどうでもいい事なのかもしれないけど」
愛華はピンクのペンを弄りながら暫し考えると、こう言った。
「思い出せるかもしれないよ、それ」
「えっ……?」
「水面、都市伝説って信じる?」
「へっ……?」
週末、なぜか私は愛華に連れられて、私達が通う大学から三駅ほど離れた大きな公園に来ていた。
「ねえ、愛華、ここに来たかっただけじゃ……?」
愛華はショートパンツからすらりと伸びる綺麗な脚を動かしながら、答える。
「違うよー。言ったでしょ? 何かを思い出したいとき、ここにいるある男の人に頼むと、不思議と解決するって」
「はあ、そうだけど」
その脚は私に対する挑発なのか? ふん、私だっていまはズボンで隠してるけど、本当はいい脚してる――じゃなくて、愛華の言っていた事は本当なのだろうか?
愛華が言っていた事を思い出す。
よくこのフリーマーケットに参加している若い男性がいるらしい。なんでもその彼は占い? カウンセリング? よくわからないけど、そういう事もしているらしい。
思い出せない事を、どうしても思いだしたい時、彼に頼るとどうんかなってしまうらしいのだ。
うん、こうして考えてみると胡散臭い話だ。なんでも愛華はある店でたまたま隣席した女の子にその話を聞いたらしいんだけど……それにしても、そんな見ず知らずの他人と仲良くなれるなんて凄い才能だなあ。ただ、それってお酒を飲めるところじゃないよね? と聞くと、愛華は笑って誤魔化した。
まだ十八歳だよ? 私達。
そんな、私の脇道に逸れまくった考えなど知る由もない愛華は私の手を握ってどんどん進んでいく。
周囲の視線が気になる。比較するなよ、男子共。
「あ、もしかして、あの人じゃない?」
愛華が立ち止まって言う。
私は慌てて意識を現実に引き戻し、愛華の視線の先を追った。
「…………」
私は思わず見惚れてしまった。
ブルーシートの上に衣服や雑貨を広げる男性。年は私より少し上くらいだろうか。背は特別高くはなく、やや痩せ型。八の字に伸びる切れ長の目は慈愛に満ちた光を灯していた。なにより、周囲の人と話すその笑顔はとても素敵だった。
「――も、水面ぉ~」
「えっ!? あ、何?」
「なーに見惚れてんの? 確かにイケメンだけど、そういう目的で来たんじゃないんですけど」
「ち、ちち、違うし!」
「動揺してるー」
愛華は悪戯っぽく笑って、私の頭を小突いた。
「まあ、水面のタイプはわかったとして」
「だから――」
「あの人で間違いないと思うよ。若い男の人なんて、他に全然いないし、それに、なんか不思議な感じ……しない?」
私は二、三度頷いた。
「じゃっ、話してみようか?」
「うん。――――えっ!?」
愛華は本当に決断が早い。それに行動的だ。私も少しは見習いたいなあ。
「すいません」
さっきまでとは全然違う、女の子特有のか細い声を出す愛華。
もしかして、愛華のほうこそ彼に特別な意識があるんじゃないだろうか、と私が懐疑的な視線を愛華に向けていると、
「はい、なんでしょうか? ここは女性向けの物はあまり置いていないのですが……」
不思議な青年は少し困ったような顔をした。
その可愛さも高得点だなあ、と邪な気持ちで浮かれている私を差し置いて、愛華は一気に核心へと迫る。
「実は、ある噂を聞いたんです……」
顔を近付けて小声で言う。
見ているこっちのほうがドキドキする。
しかし、不思議な青年はさっき見せた焦りの表情ではなく、とても大人びた――そして、どこか悲しげな顔をした。
「なんの事、でしょうか?」
誤魔化している。鈍感な私にもそれは一目瞭然だった。きっと嘘が下手な人なんだと思う。
それでも愛華は表情を変えずに言った。
「単刀直入に言いますけど、この子の相談に乗って欲しいんです」
不思議な青年は俯いて黙り込んでしまった。
物憂げなその顔は、散る事を知りながら健気に咲く花のように儚げな美しさを持っていた。
ゆっくりと顔を上げた彼は、諦観の混じった声色で、
「……わかりました。ちょっと場所を変えましょう」
そう答えると、隣で露店を出していたオジサンに話しかける。
「田辺さん、ちょっと留守番頼んでもいいですか?」
田辺と呼ばれたオジサンはニヤリと笑った。
「了解。まったくお前さんは――」
「ええ、そうですね」
二人だけに伝わる暗号のような会話を済ませると、彼は私達を先導する形で歩き始めた。
そして、そこから少し離れたベンチに三人腰を下ろす。
そこは、青々とした木々が作る影にすっぽりと収まっていて、爽やかな涼しさと緑の香りが私達を包んだ。
「椎奈愛華です、で、こっちは――」
「望月水面……です。あの、すいません、急に」
私達が急ごしらえの自己紹介をすると、不思議な青年は柔和な笑みを見せた。
「天城啓、です。って、僕の事はご存知なんですかね?」
「いえ、名前までは」
愛華は丁寧に答えた。
それにもまして丁重な口調で、啓さんは答えた。
「そうですか、どこで僕の事を?」
「友人からです」
「なるほど。……その友人の方にはあまり僕の事は言わないようにお願いしてもらってもいいですか?」
「はい、わかりました。でも、私が無理矢理聞いたようなものなので、大丈夫だと思います」
愛華はすらすらと答えた。
でも、偶然会った人から聞いたって言ってたじゃん! ……これが駆け引きってやつなのだろうか。私には難しくて、よくわからないけど。
「御相談と言うのは……?」
啓さん自ら聞いてくれたので、ここぞとばかりに私は話の主導権を愛華から奪い取った。
「これなんですけど――」
鞄のなかから髪留めを取り出し、啓さんに見せる。
「これが、誰のものだったか、思いだしたいんです」
啓さんはそれを見て、手を差し出したので、私はその掌に髪留めを置いた。
そして啓さんは暫く黙ってその髪留めを見た後に、私の顔を覗き込むように見た。
引き込まれてしまいそうな瞳。私は思わず顔を赤らめてしまった。勿論、彼はそんな事意識していないんだろうけど。
「ひとつ、約束してください」
「な、なんでしょうか?」
「今から起こる事、それと、僕の事に関しては口外しないでください」
私はしっかりと彼の目を見て頷いた。
「それと、これっきりにして頂きたいんです。僕に関わるのは」
今度は、少しぎこちなく頷いてしまった。
まだこれから何が起こるのかわからないし、それに本当に解決するのか半信半疑だけど、やっぱり彼はこうして頼られる事を――いや、自分と私達が深く関わる事を拒絶しているような気がする。
こんなに近くにいるのに、まるで彼はどこか遠くから話しているような気がするのだ。
私は、精一杯明るく笑って見せた。
「約束します! 絶対に、誰にも言わないし、これっきりにします」
私に出来る事はこんなものだ。
だけど、それで彼は納得してくれたようで、微笑み返してくれた。
「ありがとうございます。えっと……望月さん、でしたね? とってもいい目をしてますね。真っ直ぐで、純粋な」
「い、いい、いえ、そ、そんな……事は……」
あまりも直球で褒められたので、思いっきり焦ってしまった。顔が熱い……。
しかし、私がもっと舞い上がってしまう出来事は、その直後に起きた。
「失礼します……」
彼はそう言うと、髪留めと一緒に私の手を握った。
「へっ? ああ、あの……」
しかしかれは目を固く閉じてだまったまま、私の手と髪留めを握り続けた。
初めはただ、驚いて、恥ずかしくて熱くなった私の体は、ゆっくりと優しい温かさに包まれた。
そして、啓さんは握っていた私の手を離し、ゆっくりと瞼を持ち上げる。
その瞬間。彼の目から、光の粒が、すーっと零れ落ちた。あまりにも美しいそれが涙なのだと気付くのに、数秒かかってしまった。
「皆川沙希ちゃん、という子を思い出してあげてください。望月さんがまだ小さい頃に転校してしまった女の子です」
啓さんはそう言うと、泣き顔を隠すように私達に背を向けた。
「僕に出来る事はこのくらいです。では……」
それだけ言い残して、去ろうとする背中に声をかけようとしたが、言葉が喉の奥に引っかかって出て来なかった。
そして遠ざかっていく彼は、まるで違う世界に帰っていくように雑踏のなかに消えていった。
「これで、よかったの?」
愛華が私に聞く。
でも、答えはもう決まっている。
「……うん」
私は全て思いだしたのだから。
家に帰った私は物置の奥で誇りを被っていたアルバムを引っ張り出す。
数ページ捲ると、そこには私が持つ髪飾りをつけた女の子がいた。
そう、彼女こそが皆川沙希だった。
病気がちで転校の多かった彼女は何処に行っても友達が出来ないと嘆いていた。でも、人見知りなんて全くしない、むしろ図々しいと言われる私は積極的に彼女を遊びに誘った。
体が弱いから、と断られても、彼女の家まで押し掛けて家でできる遊びを一緒にした。
そうして彼女と仲良くなって数カ月後、彼女はまた転校する事になった。今度は海外に行くのだ、と言っていた。
泣き虫の私は酷く泣いた。
そんな私に彼女は髪留めをくれた。彼女がいつもしていたものだ。
「これ、水面ちゃんにあげる! いつも一緒だよ」
「うん、大事にする!」
当時小学校一年生だった私達が交わした最後の言葉。
それから私は成長していくなかで、その事を忘れてしまった。
本当に私は軽率な馬鹿だ。
私はすぐに通っていた小学校に電話し、それからいくつもの連絡先を辿って最終的には彼女の両親に辿り着いた。ついに彼女――皆川沙希ちゃんの現在に辿り着いたのだ。
彼女は――――
もう、この世にはいなかった。
享年十歳。彼女はたった十年でその短い生涯に幕を下ろした。
「ごめん……ごめんね……」
私は涙が枯れるまで泣いた。
結局、次に日は学校を休み、私はすぐに彼女の両親に聞いた、彼女眠るお墓へと向かった。飛行機と電車とバスを乗り継いで辿り着いた彼女が生まれた、彼女の両親が育った場所だと言う地域にあるその墓地は、花々に囲まれたとても美しい場所だった。
私は住職さんに沙希ちゃんのお墓がある場所を訊ねると、説明も途中に走り出した。
彼女のお墓の前につくと、私の頭のなかには彼女の笑顔が、ついさっきの事のように鮮明に蘇った。
手を合わせ、彼女に伝わるように言う。
「ごめんね、沙希ちゃん、私……もう、絶対忘れないから」
その時――――
ありがとう、水面ちゃん。
そう、聞こえた気がした。
でもその声は花の香りがする優しい風に乗って遠くへいってしまった。
帰りの飛行機のなかで、私は愛華から聞いた啓さんの事を思い出した。
――「水面、都市伝説って信じる?」
――「へっ?」
――「いや、偶然会った人から聞いた話なんだけどね、物の記憶を見れる人がいるんだって」
――「どういう事?」
――「さあ、私もよくわからないんだけど、その人曰く、物もちゃんと世界を見ていて、音を聞いていて、それを全部覚えてるんだって。それを見れる人、っていうのがいるみたい」
――「……オカルト?」
――「さあ、占いなのかカウンセリングなのか、私にはわからないけどね」
あの時は半信半疑――いや、殆ど信じずに、どこか面白半分に聞いていたが、こうして実際に助けてもらって、それは真実なのだと思うようになった。
きっとあの天城啓っていう人は、本当に物の記憶が見えるんだ。
だから、あの髪留めが見てきた沙希ちゃんの記憶を見て、涙を流した。
彼はとても優しい人なんだと思う。今回みたいに悲しい記憶を見る事だってあるんだ。自分になんの得もないのに。
だから、彼は出来るだけこの力を使いたくないのに、優しいからこそ、人を想う気持ちがあるからこそ使ってしまう。
だから私も、この事は胸のなかにしまって、ちゃんと鍵をかけておこう。
あの優しい彼と、そんな彼に神様が与えた優しい力――全てを見て、全てを覚えている神様が記した日記を少しだけ読むような彼の力は誰かがこんなふうに自分の為に使っていいものではないんだと思う。
ただ、一方的にお礼を言う事くらい、許されるよね?
「ありがとう……」
私を乗せた飛行機は、沙希ちゃんがいる天国に少しだけ近付くように離陸した。
一気に五作投稿してみました。
どれか一つでも気に入っていただければ幸いです。