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幻想詩篇  作者: 森野
陽光の城
8/10

08

 ゲティパスには、その手招きの意味がまったく理解できなかった。

 鬼の横を歩いていた人間。おそらく時の姫君の従僕なのだろう、とゲティパスは思っていた。

 そんなただの人間が――主人が敗北した今になって――逃走以外のなにをするというのか。

「おいおい従僕。俺は今おまえの主人のおかげでスゲー気分がいいんだ。見逃してやるから嬉ションたらしながら無様に逃げろよ」

「そりゃあ偶然だな。俺も今、スゲー気分が悪いんだ。アホが無様に負けたせいでな」

「わかってねえなあ。テメエみてえなゴミとなんざ戦う気もおきねえんだよ」

「ますます奇遇だな。俺もまったく戦う気なんざおきねえや」

 鬼はその習性ゆえに、弱者を酷く蔑ろに扱う。

 弱者。それはつまり、戦闘民族である彼らを満足させることのできぬ者、彼らの前に立つべき資格を有さない者たちのことであり。……そしてまた、彼ら鬼は、そんな脆弱な存在を顧みることは決してない。

 強さだけが価値の全てであるとする彼らは、その価値の認められぬものは、歯牙にもかけないのだ。

 鬼という存在は決して殺戮者でないし、また一方的な虐殺を愛するわけでもない。

 彼らはただ、闘争を好む種なのである。

 それゆえに、ゲティパスはアウトになんら思うところがなかった。

 こうして、繰り返しあからさまな挑発をされている今でさえ、ゲティパスは何も感じていない。

 そのある種滑稽とも映る情景を、クロシーは死んだような心持ちで見ていた。

 鬼は、逃げろと言っている。逃げてもいいと、言ってくれている。

 それなのになぜ、彼はこうも挑発を繰り返すのか。

 彼女の希望は、とうの昔に、ゲティパスの足元でボロ雑巾よりも酷い状態になっている。

 いくら鬼の生命力があるとはいえ、あれではもう助からないだろう――クロシーは嫌に落ち着いた心境で、そう判断していた。

 だというのに。

 なぜこの男はこうも強気でいられるのか。

「いいからかかって来いよ。それが鬼なんだろ? 魔物」

 あまりに執拗な挑発に、さすがの鬼族も煩わしさを感じたらしい。

 舌打ちして、ゲティパスは棍棒を握りしめた。

 吼える犬を黙らせるには、棍棒(コレ)が一番早い。彼は武骨で長大な棍棒を、ある種の威厳とともに振りかぶった。

「さようなら、だぜ。人間」

「ああ。さようなら、だ」

 アウトは自らの右手を鬼に向けて突き出した。

 ――瞬間、その掌から、膨大な熱量を伴った光の柱が放たれた。

 その熱光波は、ゲティパスの胸を貫き、さらにその背後の城壁を消し飛ばした。

「あぁ……?」

 ゲティパスの脳は、何が起こったのか理解することができなかった。

 古に謳われる戦神の、剛健極まりない肉体を髣髴とさせるような、ゲティパスの見事な胸筋。それが、まったく防御という役割を果たすことなく、消え去っていた。

 ゲティパスの胸板には、アウトの側からであれば、背後の景色まで見渡せるほどの、薄暗い、子供の頭ほどもあるような大穴が出現していた。

「あ……ぐ、あ…………」

 二歩、三歩。

 そして、彼は四歩歩くことができなかった。

 糸の切れた操り人形のごとくに、一切の防御姿勢をとることが叶わず、ゲティスパは倒れ伏す。

 そのときやっと、思い出したかのように、彼の胸の大穴から血があふれ出した。

 ゆっくりと、散歩に出かけるような歩調で、アウトはその死につつある巨体に近づいていく。

「俺の能力の説明、聞きてえだろ?」

 ゲティパスの苦痛に歪む顔を、まるで見たくないとでも言うように、その右足でもって踏みつける。

「が、ぁあ、あ……」

 ゲティパスは思う。なるほど、そんなものは聞きたくない。聞く必要はない。

 もはや自分はここまでなのだから。

「まあそう嫌がらずに聞けよ。こうして能力を過信した鬼をぶち殺す瞬間に、タネを明かすのが最高に気持ちイイんだからよ」

 なるほど、こいつは最低の気分だ。

 鉄の臭いに咽せ、血の塊を吐き出しつつ、ゲティパスはようやくそれを理解した。

「魔法だよ魔法。俺は魔法使いなんだ。信じるか?」

 ゲティパスはもちろん信じない。

 魔法など存在するはずがないからだ。

 そんなものが、もしこの世界に存在したのなら、鬼はこれほど孤独にはならなかっただろう。

 ゲティパスは、アウトの意図を計りかねて顔をしかめる。 

「信じねえだろうな。まあ、そりゃあそうだ」

 頭蓋を圧迫する足、それに徐々に力を込めながら。

「魔法を使う能力。簡単だろ? それが俺の能力だ。体内の血を消費するっていうクソだるい制限はあるがな」

 言って、アウトはゲティパスの頭部を踏み潰した。堅牢な頭蓋も、そのなかの儚げな軟組織も、みな一緒くたに爆ぜて、石畳に凄惨な模様を描いた。

 瞬間、短い悲鳴をあげてクロシーが顔を逸らした。少女には、刺激が強すぎたらしい。

「なんだ全然気持ちよくないな。やっぱ魔物の考えることはわかんねーや」

 そしてアウトはその視線を、ピクリとも動かないシセルへと向ける。

「まったくボロ負けしやがって」

 貧血になっちまうぞ。

 もはや生きているのかすら定かではないシセルを眺めて、アウトはそうひとりごちた。



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