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幻想詩篇  作者: 森野
陽光の城
2/10

02

「止まれ――永遠なる世界(ラストナイト)!」

 その言葉とともに、世界が凍った。

 馬車馬は、躍動する筋肉も生々しく、足を振り上げた姿勢のまま静止し。アウトもまた歪んだ笑みを浮かべたまま、ピクリとも動かない。

 風に舞う砂塵は中空で止まり、馬車を襲おうと飛び出した魔物もまた、牙をむいたままの姿を空中で凍りつかせている。

 世界が、時間が、停止していた――……ただ、一人の例外を除いて。

(意外に数が多いな。秒数、足りるか?)

 魔眼、ラストナイト。

 魔眼と呼ばれるそれは、眼球に存在する鬼族に特有の器官であり、また能力の名でもある。

 発現する能力は個人によってかなりの差異が認められるが、むろん魔眼に共通の特徴もある。

 それは魔眼の発動中、使用者の瞳の部分が赤く発光して見える(正確には、瞳自体が発光しているわけではなく、魔力が魔眼で消費される過程で可視化しているらしい)ということだ。

 彼女の能力は時を一日に一分間だけ、止めるというものだ。

 稼働時間が総合で一分未満の範囲にあるなら、連続発動も可能である。

 アウトの馬車から、魔物に襲われている馬車まで、彼女の足でおよそ12秒の距離。

 シセル・イノ・クーゲルシュライバーは鬼族である。その身体能力は平均的な人族を軽く凌駕する。

 故に、300メートルはあろうかという距離を、ほんの12秒足らずで駆け抜ける。動物はもとより、魔物にすら比肩する瞬発力が、鬼族である彼女には生まれながらにして備わっていた。

 シセルは腰の鞘からナイフを抜き放つと。

 投擲。

 それは静止した時の中で、慣性を失ったかのように空中で止まった。

 今にも馬車に襲い掛かろうかという魔物の横顔、その寸前で。

 次いで、左足のブーツの側面に仕込まれたナイフを二匹目に向かって投げる。

 確認できた魔物の数は8。

 右足、左腿、右腿、それぞれに仕込まれたナイフを踊るように撃つ。

 その動作を終えて15秒。

 彼女は魔物の群れの中心に立っていた。

「そして、時は動き出す」

 今まさに馬車に襲いかからんとしていた魔物は、その瞬間、ナイフの衝撃を横顔に受けた。

 強制的に水平に方向を変えて吹き飛んでいく。

 同時に上がった、獣の断末魔の数は4つ。

 残りは三匹。

「これまでがそうだったように。……ここからも、私だけの時間だ」

 世界の秒針は再び立ちすくみ、彼女の針だけが動き出す。

 シセルの残りの武器は、腰に装備していた二本目のナイフのみ。

 しかし、もはや動くこともかなわないただの的と化した魔物たちには、それで十分であった。

 舞うように、緩やかな動作で、シセルは三匹の首を落としていく。

 静止した世界で振るわれたナイフには、血のりさえ着いてはいなかった。

 全てが終わって。

 シセルは空を見上げ、ゆっくりと息を吐いた。

「おまえたち、もう、死んでいいよ」

 言葉とともに時は動き出し、魔物は次々にその首を失って倒れていった。

 残り時間、30秒。

「おっと、大事な宝箱を忘れてた」

 魔物に襲われていた豪華な馬車は、今、この瞬間も走り続けている。――……そこに存在しているはずの魔物の群れから逃れるために。

 実際のところ、魔物の群れはすでに始末し終えていたわけだが―――シセルは彼らにしてもまた、逃がすわけにはいかないのだった。

 なぜならそれが、主人の命令だからだ。

 そうして世界は三度、停止する。

 自分たちの乗る簡素な馬車とは違う、見るからに造りの美しい馬車。その御者台に、無遠慮に足をかける。

 そこには脂汗を垂らし、恐怖に歪んだ顔で、必死に手綱を握る御者の姿があった。

 その彼を蹴り飛ばして御者台から落とし、代わりに彼女が手綱を握る。

「さようなら、哀れな御者さん」

 時が動き出し、まっさきに聞こえてくるのは御者の悲鳴。

 時が止まっていても、その慣性が消えるわけではない。きっと哀れな御者は、今頃苦行を終えた僧のようにボロボロになっていることだろう。

 シセルは馬車を止めると、御者台から降りた。

 客室部分と御者台は完全に別に作られているので、一度降りなければ客室に入ることができないのだ。

 シセルは客室の手すりに手をかけて、ほんの一瞬思案した。しかし結局のところ、彼女の手には選択肢など存在しなかったようだ。シセルは表情に諦観をにじませつつ、客室の扉をコンコン、と二度ほどノックしてみた。

 すると間髪いれずに、客室の中から押し殺したような悲鳴が上がった。

 それはそうだろう、彼らからすれば、未だにボロオンに襲われている最中なのだから。

 そういった中で馬車が停止するということは、馬がやられたか御者がやられたか、またはそのどちらもか――とにかく彼らにしてみれば、最悪に近い状況であることは疑いようがないだろう。

 その中でのノック。

 彼らにはそれが、死神の手によるものに聞こえたであろうことは想像に難くない。

「なるべくなら傷つけたくないんだ。ここを開けてはくれないかな?」

 とはいえ、彼らの耳に届いたのは、魔物の唸り声ではなかった。

 それは、細い少女の声だった。



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