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最終定理の始まり

掲載日:2026/04/29

 トゥールーズの薄曇りの午後、フェルマーは書斎の窓辺で静かに葡萄酒を傾けていた。 机の上には、例の『算術』の写本が開かれている。

 余白には、あの有名な一文が記されていた。

「私はこの命題の驚くべき証明を見つけたが、余白が狭すぎて書けない。」

 その余白を眺めながら、フェルマーは笑みを浮かべた。

(これくらいのユーモアは認めてくれても良いだろう)

 その時、執事がフェルマーの最も優秀な弟子エティエンヌが訪ねて来た事をフェルマーに知らせた。

 エティエンヌはフェルマーの前に通されると緊張した面持ちで深く頭を下げる。

「先生……どうしてもお伺いしたいことがあるのです。」

 フェルマーは目を細め、続きを促した。

「あの“定理”の証明です。 先生は本当に、あの余白に書けないほどの証明を見つけておられたのですか?」

 かつてフェルマーは弟子達とのお茶会の席で何気なくある定理、後にフェルマーの最終定理と呼ばれる定理の事を口にした事があった。他の弟子はすぐ忘れてしまったが、エティエンヌは師の言葉を一言一句まで覚えていた。

 エティエンヌの声は震えていた。

 彼は何年もこの問題に取り組み、無限降下法も、整数論のあらゆる手法も試した。それどころか取り組む過程で新しい理論をいくつも発見した。しかし、世の人々の言葉は

「さすがはフェルマーの第一弟子」

さすがはエティエンヌとは言ってくれなかったのである。 エティエンヌにとってこの定理の証明を師に尋ねる事は、自分は決して師を超えられないと認める事であった。 それでも定理の証明を知りたいと言う数学者の気持が、エティエンヌの足をここまで運ばせたのである。

 フェルマーはエティエンヌの一言で、弟子が何を言いたいか分かった。 フェルマーはしばらく沈黙した。 その沈黙は、弟子の胸に重くのしかかった。

 やがて、フェルマーは穏やかに微笑んだ。

「エティエンヌ。あれはね……宿題だよ。」

「宿題……ですか?」

「うむ。私にはとても解けそうにないので、宿題として残しておいた。」

 エティエンヌは意味がわからず、眉を寄せた。

 フェルマーは、窓の外に目を向けながら、実際は遥か未来に心を馳せていた。

(数と形の間にまだ知られていない道があるはずだ。そこを通れば証明出来るかも知れない。だが、その道を切り開くには余りにも道具が少ない。恐らく、今の数学界で最高水準の人間が束になってかかったところで、証明は不可能だろう。)

 フェルマーは小さくつぶやいた。

「大分私は頑張ってきたが……そろそろお習い箱になる頃だな。」

「先生?」

 エティエンヌにはフェルマーの言葉がよく聞こえなかった。

外では、曇り空にもかかわらずクリスマスを控えた大勢の人々が行き交っていた。 クリスマスが過ぎれば、また新しい年がやってくる。

(来年のクリスマスの祝辞は考える必要は無いだろう)

 フェルマーは長い間闘い抜いたものが持つ疲れを感じた。

 一方、エティエンヌの心の中では師の言葉に対するとまどいと、何としても答えを知りたいという思いが渦巻いていた。 しかし師の持つワイングラスが震えているのを見た時、エティエンヌは悟った。ここまで疲れ切った師にこれ以上聞いてはならない事を。

 エティエンヌは、深く礼をして部屋を出た。そして、扉を閉めた後で、片膝を折ると、帽子を片手に持って胸の前に当て、頭を下げた。答えは得られなかった。だがこれからの数学界は自分達が背負わなければならないという答えを師から頂いたのだ。

 エティエンヌがフェルマー邸の廊下を歩いている時、飾られた鏡の中に移る自分の姿を見て疑問を浮かんだ。

(なぜ今まで自分の姿がここまで立派な事に気が付かなかったのだろう)

 玄関でエティエンヌは執事から預けておいた傘を受け取った。傘の柄のひんやりとした冷たさが手に心地よい。そしてエティエンヌは柄を力強く握りしめた。扉越しに街頭の賑やかな声が聞こえてくる。エティエンヌは建物の外に出た時思わず身を震わせた。それは寒さのせいだけではなかった。


 フェルマーは再び余白を見つめ、静かに杯を傾けた。誰が解くにしてもこの余白は小さ過ぎるであろうなと思いながら。


 これから2年後ヨハン・ベルヌーイが生まれる。彼によってフェルマーの最終定理を解くのに不可欠な複素数の本格研究が始まったのである。ベルヌーイが複素数について初めて触れたのは「1712年のライプニッツとの書簡」であったが、もちろんその内容は到底『算術』の余白に書ける分量ではなかった。


終り


※この物語は史実をベースとしたフィクションです。

※物語の作成に際してはマイクロソフト社の生成系AI Copilotを使用しています。

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