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第五話 降臨

 悲鳴と耳をつんざくような破壊音が聞こえた。

「…なに?」

 自室のある階のフロアに佇んでいた猫衣は、その音に足を止めて眉をひそめる。

 すぐに階下に続く扉が開いて、ランフォードが飛び込んできた。

 その手には剣が握られていて、剣は血に濡れている。

「猫衣殿、避難を!」

「ランフォードさん!?」

 驚きに声を上げた猫衣の腕を掴んで、引っ張るとランフォードは皇帝の私室へと向かう。

「一体なにが」

「いいから、陛下と共に奥に!」

 尋ねようとしたが、ランフォードは構っていない。

 そのまま皇帝の私室に押し込まれる。

「陛下、ヴィクティムが来ました!」

「なにがあった!」

「わかりません。ただ城を一直線に目指していたと目撃したものが」

 私室から廊下に一歩足を踏み出したゼロが目の前のランフォードを見上げる。

 鬼気迫る表情だ。

「そうか。お前は逃げろ」

「なりません。私は城内の者を避難させて参ります」

 ゼロの命令にもランフォードは退かない様子だ。

「…城下街の民を避難させろと命じてもか」

「生憎と、私も大概人でなしでして」

 人の良い笑顔で、ランフォードははっきりと言い切る。

「愛しい我が子さえ無事なら、ほかは良い男なのですよ」

 非情な言葉を言い切ったランフォードをゼロは睨むが、ややあってため息を漏らした。

「お前も、私も大概馬鹿だ」

 そう零し、ランフォードの肩を掴む。

「…生き残れよ」

「はい、陛下も」

 時間にして数秒。見つめ合った二人はすぐに視線を離し、ランフォードは階下に、ゼロは私室の扉を閉め、鍵を掛ける。

 瞬間、扉の前に光る紋様が浮かんで消えた。

「ゼロ、一体なにが、ヴィクティムって」

「この国の危機だ」

 今のは結界だ、とゼロは端的に説明する。

「お前、真っ白い森を見たか?」

「え、ええ。バルコニーから」

「あれは」

 ゼロがなにか言いかけた矢先、轟音が窓のほうから響いた。

 飛翔する悪魔のような形態の魔物が、その爪で窓を引き裂いて襲いかかる。

「あれがヴィクティム…!?」

「くっ、黒い角持ちか…!

 エヴァーグレイス。殺すなよ!」

『あいよ!』

 ゼロはエヴァーグレイスを手に構えると、一閃する。

 宝剣の切っ先から放たれた閃光が、ヴィクティムと呼ばれた魔物に迫った。

 そのまま衝撃が走る。振動が室内の調度品や机の上にあったカップを揺らした。

「やったか」

『ゼロ!』

 かすかにゼロが息を吐いた矢先に、エヴァーグレイスが切羽詰まった声で叫ぶ。

 閃光を裂いた爪が伸びてきて、ゼロの肩を貫いた。

 鮮血がその場に散る。

 だがゼロは膝を突くことなく、もう一度宝剣を構えた。

「許せよ」

 短く謝ると、エヴァーグレイスを振るって肩を貫いていた爪を斬り裂く。

「もう一撃だ」

 一閃した宝剣の先から、レーザーのような砲撃が放たれる。

 その直撃を受けたヴィクティムは部屋から吹っ飛ばされ、地上へと落下して行った。

 ゼロは傷ついた肩を手で押さえ、そのままずるずると壁伝いに床に座り込む。

「はあ」

「ゼロ! 大丈夫!?」

「大丈夫だ。大したことはない」

「大したことはって、こんな出血が」

 猫衣は顔を真っ青にして言う。ゼロが手で押さえる傷口からはどくどくと真っ赤な血があふれ、白い着衣を汚していくのだ。

 だが慣れているように、ゼロは笑って隣にしゃがみ込んだ猫衣を見た。

「平気だ。この程度。それより、お前に怪我がなくてよかった」

「よかった、って」

「私もまだまだ未熟だな。傷を負わず、追い払えないとは」

 少し青い顔色で自嘲したゼロを放っておけず、猫衣は自身が身に纏っている制服のスカーフをほどいて、ゼロの傷口に巻き付けた。そのままきつく縛る。

「ねえ、あれは魔物…?」

「あれは、ヴィクティムと言う」

「魔物じゃないの?」

「広義的に言えば魔物かもしれないが、ただの魔物ではない。

 裁きの森の大樹が産んだものだ」

 裁きの森。先ほどゼロが言っていた名前だ。

「裁きの森の大樹…」

「あの真っ白い森だ。あの森は裁きの森と呼ばれる。

 裁きの森には人は入れない。人が入れば、たちまち魔物と化す。

 不可侵の森。人も獣も住めぬ場所だ」

 病的なほどに真っ白なあの森の光景を思い出す。

 確かに森から突き出すようにして生えた、巨大な大樹があった。

 あれが、魔物を産んだ…?

 その光景を想像し、ぞわりと背筋が粟立つ。

「普通の状態ならば、裁きの森は魔物を産んだりはしない。

 人でも踏み入らぬ限りは。

 だが今は違う。あの大樹が生えている。

 裁きの森の大樹は千年に一度生える森の瘴気を全て集めた存在。

 絶え間なく魔物を産み、支配する悪魔。

 あの大樹がある限り、いつヴィクティムが街を襲うかわからない。

 結界を森に張っても、一時しのぎでしかないんだ」

「それが、この国の危機だった…」

 やっと思い知る。

 ゼロたちが語ろうとしなかったこの国の危機。

 それが、あの森の正体。

 際限なく魔物を産む森が王都にあっては、誰もが不安と恐怖に襲われる。

 だからこそ、民は猫衣を歓迎したのだ。

「そうだ。そして、黒い角持ちのヴィクティムは元人間の証。

 殺すわけにはいかない。

 それを利用し、民を裁きの森に放り込んだ者がいるようだ」

「…まさか、あなたを邪魔に思う…」

 ゼロの言葉に息を呑む。だがゼロは自嘲したから、それが正しいのだろう。

「そうだろうな。私を殺したい者、私を邪魔に思う者、それが裁きの森の大樹を利用し、ヴィクティムを生み出し城を襲わせた。

 ヴィクティムになっても、わずかに人としての思考は残る。

 城を襲う動機がある者ならば、可能だろう」

「でもどうやって」

 そこまで口にして気づく。

 猫衣の存在を周知させた大臣。あの大臣が裏で糸を引いているならば。

「私が、狙いね…?」

 掠れた声が口を吐く。

「アンテノーラ様の生まれ変わりの私を邪魔に思う人間を、利用したのね?」

 茫然とした猫衣に、ゼロは悔しげに端正な顔を歪める。

「すまない」

 そして謝るのだ。ゼロの傷口を止血するため押さえている猫衣の手に手を重ねて。

「もっと早くに、お前と梟を元の世界に帰すべきだった。

 引き留めるべきではなかった。

 本当は、国のためなんてどうでもよかったのかもしれない」

 そう、後悔と寂しさをない交ぜにした表情で、彼は優しく笑むのだ。

「私は、お前ともっと話がしたかった」

 その、本心としか思えない吐露に心臓ごと掴まれた気がした。

「ゼロ」

「お前と過ごす時間が例えようもなく楽しくて、嬉しくて、くすぐったくて。

 あと一日、あと一日と望んだ、私の罪だ」

 そう告白し、ゼロはそっと猫衣を見つめる。

 その金の瞳が、優しく慈しむように揺れている。

「猫衣。お前に、触れてもいいだろうか」

 それに堪らなくなって、苦しくなって、気づいたら頷いていた。

 瞬間腕が伸びてきて、きつくかき抱かれる。

「不思議なほどにお前に心惹かれていたよ。

 やっと答えがわかったんだ」

 猫衣の身体を抱きしめたまま、耳元で満ち足りたようにゼロが囁く。

「お前が、真っ直ぐに私を見つめたからだ。

 お前だけが、真っ直ぐに私を見つめた」

 ああ、どうして気づかなかったのだろう。

 自分も同じだった。

 いつも媚びや欲や期待、打算のにじんだ瞳で見つめられて。本当の自分を見てくれる人なんて家族しかいなくて。

 だから、びっくりしたの。

 結婚すると言いながら、あなたの私を見る瞳はいつだって綺麗で真っ直ぐだったから。

 あなただけが、私を真っ直ぐに見つめたの。

 その、美しい瞳で。

 気づいたら衝動のままにゼロの胸ぐらを掴んでいた。

「弱音なんか吐かないでよ!」

 渾身の力で叫んで、両手でその服を掴んでゼロの身体を揺さぶる。

「私を娶るんでしょ! しっかりしなさい!」

「猫衣…? だが、方法が」

 方法。この状況を打破する方法は、なにか、なにかないのか。

 そういえば、なぜ国民はアンテノーラの生まれ変わりを切望していた?

 まるでアンテノーラの生まれ変わりがいれば事態が解決するかのように。

「…アンテノーラ様の生まれ変わり。

 私にしか、出来ないことがあるのね…?」

 気づいたように呟いた猫衣に、ゼロが息を呑む。

「駄目だ。猫衣」

 そう切羽詰まった声で呼んで、猫衣の腕を掴んで制止する。

「それをしたら、お前は元の世界に帰れなくなる」

「だからあなたを見捨てろって!?

 放っておいたら私も梟も死ぬわよ! それよりマシよ!」

「しかし」

「ああもうああだこうだうるさい!」

 感情のままに叫んで、掴んだままだった胸ぐらを引きよせ、そのままゼロの唇を塞いだ。

 ファーストキス、だ。付き合った人なんていなかった。

 急激に恥ずかしくなって、頬を真っ赤に染め上げながら顔を離す。

「ほら、誓いのキスよ。言っとくけどファーストキスですからね!

 覚悟して話すことね!」

 得意げに、半分自棄になって後ろ髪を手で払いながら笑ったら、目を見開いていたゼロが不意に、力が抜けたように破顔した。

「…はは、参った」

 それは、猫衣が初めて見る、年相応の彼の笑顔で。

 取り繕ったものより遙かに美しく愛らしいその表情に、胸をわし掴まれて呼吸が止まる。

「やっぱり、猫衣は強いな」

 その、自分の魂を芯まで見つめた言葉に、ひどく泣きたくなった。




「梟! こっちへ!」

 その頃、城の中に戻って来た梟と一依は、城中にあふれかえったヴィクティムになかなか最上階までたどり着けずにいた。

 使用人たちの姿はほとんど見当たらない。誰かが逃がしたのだろうか。

「危険です。やはり引き返すべきでは。

 ヴィクティムは城を一直線に目指していましたから、住民に被害は出ませんでしたが」

「あれがこの国の危機か」

「そうです。あれがヴィクティム。

 普通の剣ではまず倒せない、元人間の異形の怪物です。

 だから」

 物陰に隠れながら、回廊を振動を響かせて歩く黒い角の怪物を見上げる。

「剣貸して」

「え」

「いいから」

 強引に一依の腰に差してあった剣を一つ受け取って、梟は構えると不敵に笑った。

「猫衣の危機だってのに、じっとしてる道理はないでしょ」

「梟!」

「それに、気づかれたみたいだよ」

 回廊の途中、足を止めた怪物がこちらを覗いている。

 振るわれた腕を二人は同時に跳んで躱した。

 一依はもう一つ剣を持っているが、ヴィクティムが異形の腕を振り上げて攻撃してきたのをどうにか避けるので精一杯だ。

「くっ」

「一依、伏せて!」

 梟の声が聞こえた。梟はいつの間にか鳥型のヴィクティムの背後に回っていて、背中を蹴って駆け上がる。そのままくるんと剣を回転させた。見た目以上の速度と重量のこもった一撃は怪物の腕を切り落とした。

 軽い足取りで着地した梟に、ヴィクティムは悲鳴を上げてのたうちまわる。

 一依は茫然とその光景を見つめた。

 信じられない。ヴィクティムは普通の剣や銃弾では傷つけられないはずなのに。

「…梟、あなたは戦えたのですか?」

 言いたいことが胸の内を渦巻いた結果、そんなことしか口に出来なかった。

「や、フェンシング習ってたくらい。あとは一依の見よう見まね」

「なら、あなたは天才ですね」

 そうとしか言えない。不思議と、彼と一緒なら負ける気がしないと思えて。

「行こう。僕たちなら負けないよ」

「不思議です」

 強気に微笑んだ小柄な少年は美しく、そして神々しい。

 ゼロに感じるものとはどこか違う、別種の存在感。

「あなたがそう言うと、それが真実のように思える」

 一依はそう零して、差し出された梟の手を取った。




 結界の張られた私室を出て、最上階の広間までやってきたゼロと猫衣は、広間の中央の台座に置かれたあの星の聖冠を前に足を止めた。

「伝承が事実ならば、お前がこの聖冠に触れれば姿を現すはずだ」

 ゼロはそう告げる。台座の上、わずかに発光して浮かんだ金色の聖冠。

「姿を現すって、なにが」

「この国を救う、奇跡だ」

 なにかはわからない。だが猫衣はその言葉を信じた。

 そっと手を伸ばし、聖冠に触れる。

 瞬間、聖冠からまばゆい光が放たれ、視界が閃光に包まれる。

 誰かに呼ばれた気がしてまぶたを開けると、青が見えた。

 視界に広がる果てのない蒼穹。そこに浮かぶ神殿の前に猫衣は立っていた。

 ゼロの姿はない。


『待っていた』


 低く、くぐもった声が聞こえた。人間の声ではあり得ぬ重低音の声。

『待っていた、お前を』

「あなたは」

 神殿が消える。神殿のあった場所に見上げるほどの巨大な竜が座していた。

 黒い表皮。空を覆い尽くすような翼。鈍色に光る瞳が猫衣を射る。

「あなたは………」

『我は、かつてアンテノーラと契約し、世界を救ったもの。

 アルハルヴァの宝剣、エヴァーグレイスと同じ、神と魔のあわいなる者。

 世界を救うため、神と魔が生み出した新たな神──機神(きしん)

「機神…」

 竜の言葉をそのまま反芻する。

 この竜が、オードクロス帝国を救える奇跡。

『アンテノーラの生まれ変わりよ。お前に覚悟はあるか』

 竜は地鳴りを響かせて身を起こすと、巨大な翼を広げて問うた。

『我と契約するならば、お前の敵を全て屠る矛となろう。

 その代わり、お前は二度と元の世界には帰れぬだろう。

 それでも取るか。我が矛を』

 その声に、猫衣の唇に浮かんだのは微笑だった。

 不敵な微笑は、そのまま不遜なほどに口の端をつり上げる。

 手で肩に触れるか触れないかの長さの髪を払って、強気に言い放った。

「撤回してくれる?

 私、誰かさんの生まれ変わりって名前じゃないの」

 臆しも怯えもしない言葉に、竜がかすかに目を瞬く。

 その瞳を真っ直ぐ射貫いて告げた。胸を張る。

「南彼方猫衣。

 あなたの名前も教えてくれる?」

 それはそのまま、契約を了承する言葉だ。

 その覚悟は伝わったのだろう。くぐもった笑い声がかすかに響く。

『良い瞳だ。

 覚悟は伝わった。ならば名乗ろう。

 我が名はレイヴン。

 その名を以て、お前と契約を成す』

 ぼうっと竜──レイヴンの額に複雑な紋様が浮かぶ。

 真紅に発光する紋様は、そのまま猫衣の額にも現れた。


『心せよ。私はお前の光。お前の邪。

 お前の意思一つで、世界を救い、屠る者なり!』


 閃光が視界を覆う。光が去った時、猫衣はまた、あの最上階の広間に佇んでいる。

 傍らのゼロが心配そうにこちらを見つめていた。

 その顔を見て、大丈夫だと言うように微笑む。

 バサリ、と大きな羽音が、広間のすぐ外で響いた。


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