第二話 暗躍
宛がわれた客室は、調度品が美しく、見事なしつらえのベッドが二つ並んでいる。
双子の兄妹とはいえ、男女だ。
これだけの大きさのある城ならば、別々の客室を用意しても良さそうなものなのに、と梟は思ったがランフォードの忠告を思い出す。
つまり、それだけ危険な状態なのか。部屋を分けることを避けたいほどに。
「ふてくされてるなあ」
「うるさい」
ベッドに突っ伏している猫衣を見下ろして、梟が軽口を叩くとすぐ文句が返ってきた。
「喜べよ。お前の好きな異世界転生。じゃなかった異世界転移でイケメンと結婚だ。
お前そういうラノベ好きだろ?」
「本気で言ってる?」
ベッドに突っ伏したまま視線だけを向けてきた猫衣だが、すごく胡乱な目だ。
「いや、話半分」
「だろうね!
私と生まれた時からずっと一緒の梟なら、私が本気でこの状況を歓迎しないのわかってるはずだもん」
「まあね。さっきのは冗談」
そう淡々と言って、猫衣のベッドに腰掛ける。
「でも、猫衣はこういうの好きじゃん」
「物語ならね。ラノベとかゲームなら大歓迎」
「ああいうイケメンも?」
「ラノベとかゲームなら大歓迎。
で・も!」
スタッカートをつけて叫ぶと、猫衣はがばっと起き上がった。
「私は! 三次元のイケメンは受け付けない!」
渾身の叫びだった。
「そもそも私は乙女ゲームにしろ夢小説にしろ親目線で楽しむ派!
自己投影派じゃないの!
自分がヒロインになったってちっとも面白くない!」
「うん、まあそうだろうとは思ってた」
妹の返答は予想通りだ。梟はベッドの縁に腰掛けたまま、足を組む。
「いいなー、梟は脇役で」
「おまけで召還されてもね。まあお前一人失踪されるよりマシだけど。
でもさ、現状を打破出来ない以上はある程度順応するしかないんじゃない?」
「…あの皇帝と結婚しろって?」
「そこまでは言ってないけどさ」
そういう意味じゃない。自分だって、可愛い妹を出会ったばかりの男にほいほいくれてやる気はない。
だが、と梟は視線を窓に向ける。窓から見えるのは澄み切った青空ばかりだ。
「なんか逼迫した事情がありそうだし、ね」
城の中ではわからない。この国の、事情。
翌日の朝食は一依に呼ばれ、食事の席に案内される。
そこは皇居の最上階の一室で、ランフォードが自由にしていいと言っていた空間の一つだった。
「おはよう」
テーブルの奥の席に座っていたゼロに、猫衣は反応に困った顔で覇気なく、
「…おはよう、ございます」
と挨拶した。
「昨日の威勢がないな」
「あの威勢が欲しいんですか?」
「面白かったからな」
「…はあ」
本心だとわかる声と表情で笑うゼロに、猫衣は一依に案内されるままゼロのそばの席に腰を下ろし、げんなりと呟く。
「おもしれー女、は乙女ゲームだけにして欲しい」
「うん?」
「気にしないで。こっちの話」
猫衣はそう返して、目の前に並んだ食事を見て息を呑んだ。
とても美味しそうな料理だ。肉料理に野菜のソテーにスープにパン。グラスに入っているのはぶどうのジュースだろうか。
そういえば昨日はろくに食事も取らずに寝てしまったからおなかが空いている。
「でも、皇帝陛下が庶民と一緒に食事なんかしていいの?」
「ただの庶民じゃない。
異世界から来た、アンテノーラ様の生まれ変わりだ。
その時点で別格だよ」
迷いなく答えたゼロに、猫衣は「あ、そうか」と思った。
そうだった。自分はゼロたちにとって、ただの異世界人ではないのだ。
「その、アンテノーラ様、って」
「ああ」
「どんな凄い人だったの」
知りたい、と思った。前世、なんて実感がないけれど。
自分の前世と言われる人が、どんな人だったのか。
「文字通り偉人だ。オードクロス帝国を語る上で外せない存在。
天上の女神だ」
「アルハルヴァ皇帝も?」
「そうだな。彼なくして今の帝国はない」
聞けば聞くほど、実感が遠ざかる。だってあまりに、自分とは別物すぎる。
「…私は、そんな立派な存在じゃないわ」
ぽつり、とか細い声が落ちた。
「戦争すら知らない平和な国で生まれた娘よ。
あなたの妃には相応しくない」
「それでも、聖冠が君を選んだ」
「知らないわ」
うつむいて拒絶する猫衣に、ゼロは嘆息を吐き、「ひとまず食事にしよう」と告げた。
猫衣はフォークとナイフを手にして肉を口に運んだが、先ほどはあんなに美味しそうだと思ったのに、あまり味を感じない。
カチャカチャと食器の音がその場に響く。
不意にゼロが顔を上げ、梟の背後に控えた一依に視線を向ける。
「どうした? なにか言いたげな顔だ」
「いいえ。ただ、あまりに愚策が過ぎるかと」
さらりと口にした一依に、梟は少々驚いた。
皇帝に対して、直言が許されている立場にしたってちょっとただの護衛の騎士が気安すぎるだろう。
「女性を口説く文句にあまりに不適切ですよ。皇帝陛下」
「口説いてはいないさ」
そんな梟の思考を余所に二人の会話は続く。
一依のどこか年下の弟を窘めるような言い方に、ゼロは苦笑した。
「そうなのですか?」
「ああ、客人として会話している。
猫衣は、私の妃になることを望んでいないからな」
はっきりと言い切ったゼロに一瞬、猫衣の持つフォークの動きが止まった。
朝食を終えて、最上階のフロアを歩く。
「…よくわかんない人」
猫衣は一人、そう呟いた。
口説いてみたり、口説いてないと言ってみたり。
あの皇帝のことが、ちっともわからない。
不意に響いた花火の音に驚いて、肩が揺れる。
階下から響く音に、猫衣は迷った。
最上階から下には行かないほうがいいと言われていた。だが、花火の音に紛れてアンテノーラの名前が聞こえる。
猫衣のそばには誰もいない。迷って、最上階から下に向かう扉を開けた。
階段を降りて、すぐそばの部屋に飛び込む。バルコニーに出ると、城の周囲に集まった人々の歓声が聞こえた。
「皇帝陛下万歳!」
「アンテノーラ様の生まれ変わりが降臨なされた!」
「な、」
猫衣が息を呑んだ瞬間だ。
ぐい、と肩を抱かれて引きよせられ、呼吸が止まる。
気づくと傍らにゼロの姿があった。
「なんの騒ぎだ!」
ゼロは猫衣を抱いたまま、そう叫ぶ。
「おい、誰が国民に公表した!
まだ民には言うなと箝口令を敷いたはずだ!」
「なにを仰います。皇帝陛下」
ゼロの非難に、室内に足を踏み入れた初老の男がにやにやと笑ってゼロと、その腕の中にいる猫衣を見た。
値踏みするような視線に背筋がぞわりと粟立つ。
すぐきつく肩を抱かれ、ゼロの自分を抱く腕が自分を庇うためなのだと気づいた。
「この喜ばしい奇跡を、民に知らせぬとは酷なことを」
おそらく重臣なのだろう男はなにかを企んだような顔で言う。
「大丈夫です。アンテノーラ様。
民たちが皆、あなたを歓迎しております。
きっと、良き皇妃となられましょう」
殊更優しい猫撫で声で言われても鳥肌しか立たない。
「黙れ」
ゼロの低い声が重臣を黙らせる。それほどの圧を感じさせる響きだった。
「それ以上、彼女に汚れた言葉を聞かせるな」
行くぞ。猫衣。と腕を引かれ、そのまま部屋を出ると階段を上って最上階のフロアで足を止める。
「すまなかった」
不意にゼロが、後悔のにじんだ声で謝罪する。
「当分伏せておくつもりだったんだ。
民たちには、まだ言うつもりはなかった」
「どう、して」
擦れた声が口を吐く。だって、妻にすると言ったのはこの人なのに。
疑問を零した猫衣を見て、ゼロは困ったように笑った。
「だって、お前は帰りたいのだろう?」
そう、当たり前のことを言うように。
「私は無理にお前や梟をこの世界に留める気はない。
お前が嫌だと言うなら、…諦める」
「国の、危機、なんじゃないの?
逼迫した状況にあるって」
帰りたかった。帰りたかったはずなのに、なぜそんなことを聞いてしまったのだろう。
出会ったばかりのこの人に。
「民たちがあんなに喜ぶのは、そういうことなんじゃないの?」
「だが、お前には関係のないことだろう?」
あっさりと告げられて呼吸が止まる。
「この国の事情は、お前には関係のないことだ。
巻き込むべきことではなかったのかもしれない」
そう、ゼロは悔やむように口にする。
「ただ、」
それから一度、迷ったように口にしかけて、自嘲した。
「ただ、私はお前の笑顔が見たいと思った」
「初対面で平手打ちした女の?」
「そうだな。初対面で平手打ちした女の、だ」
なにかが胸を突き動かして、でもその正体がわからなくて、喉に詰まってしまう。
「アルハルヴァ皇帝は、一目でアンテノーラ様に恋をしたという。
だから」
ゼロはそう言いながら、猫衣に手を伸ばした。
白く美しい、けれど鍛えられた、たくましい手のひら。
「いや、これは余分になるな」
諦めるように笑って、ゼロは手を伸ばしかけてやめる。
「すまない。嫌な思いをさせた」
それだけ言って、ゼロは背を向けて自分の私室に向かう。
その場に残された猫衣は、途方に暮れた心地で呟いた。
「…変な人」
その頃、人々で賑わう街中を歩いていたのは最上階から抜け出した梟だ。
「よっと」
梟は地面に落ちていた紙を拾って、広げた。
「ビラだ。
駄目だな。こんなんじゃ証拠にならない。
誰がやったか、わかればよかったんだけど」
つまらなそうに呟いた瞬間、背後から伸びた手が梟の腕を引っ張った。
「梟様!」
必死な顔で自分を見下ろしたのは、一依だ。
梟を探して来たのだろう。
「ああ、一依。探してくれたの?」
「最上階から出てはならないと言われたはずです」
「まあ、そうなんだけど引っかかってさあ」
厳しい口調で言われたが、梟は悪びれないで思案する。
「こんなことして、得するの誰だ?」
手の中のビラを見下ろす。
「猫衣を皇帝に嫁がせたい奴? それとも逆の奴?」
「逆…?」
「その可能性もあるってこと。
まあ、一依に迷惑かけちゃ悪いから戻ろう」
そこで少しだけ申し訳なさそうに言った梟に、一依はわずかに安堵の息を吐く。
「は、…っ」
頷きかけ、なにかに気づいて即座に反応すると引き抜いた剣を振るった。
こつん、と石畳の地面に一依が真っ二つに切ったものが硬質な音を立てて転がる。
「な、」
梟は一依の背後に庇われたが、擦れた声を漏らして地面に落ちたものを見た。
「今の、なに?」
「爆弾、のようです。ただ音と光で相手を昏倒させるだけのもののようですね。
梟様を人質に使うつもりだったか…、あるいは」
剣を手に持ったまま考えた一依の指先を見て、梟は手を伸ばした。
「一依、手」
「は…?」
「手、出して。
指先が少し切れてる」
「ああ、これは大したことありません。飛んできた爆弾に触れた時に」
一依の指先はかすかに赤く火傷している。飛来した爆弾の火が触れたのだろう。
一依が爆発する前に着火した部分と本体を切り離した。そのときについた傷だろう。
「でも、女の子に怪我させて僕に黙ってろって?」
梟は低い声で、少し怒ったように言うと一依の手を強引に取った。
ハンカチを取り出して一依の指先に結びつける。
「一依を怪我させた奴は、絶対仕留めるから」
「え、…は」
一瞬「そんな真似をしなくとも良い」と言おうとした一依は、あることに気づいて息を呑む。
「あの、梟様。俺を、なんだと」
「女の子でしょう。一依は」
はっきり言い切ったら、一依が呼吸を止めた。
一見して男性にしか見えない身長、言葉使い、装束、女性としては低めの声。
仕草も動きも男性のものだ。
「なぜ」
「まあ、僕、人を見る目は確かだからさ」
そう言ってハンカチをきつく結び終わると、手を離した。
「あと梟様はなし。名前で呼んで」
命令、と言うと一依はまだ驚きがさめやらぬまま、迷ったあとに仕方なさそうに、
「…梟」
と渋々呼んだ。頬が少し赤い。
「うん、良し。
じゃあ、戻ろうか」
梟は満足げに笑って、一依の手を引いた。




