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第一話 出会い


 チャイムが鳴り響く。高校の昼休みに、購買に行こうと教室を出た。

 廊下を歩きながら何気なく周囲の声を拾っていると、自分の名を呼ぶ声に気づいた。

南彼方(なかなた)先輩だ」

「話しかけてみようよ。

 一人みたいだし」

 きゃあきゃあ、とはしゃぐ女子たちの黄色い声が向けられる先が自分であると知っている。

 自分でも自覚はある。切りそろえられた漆黒の髪、黒曜石のような瞳、人形のように整った顔立ち、運動部の学生に比べれば身長や体格は小柄だが、そのスポーツ特待生にすら負けない身体能力に全国トップクラスの頭脳。

 これで注目するなというほうが無理だ。

 南彼方(ふくろう)という名を持つ青年は、自身が優れている自覚があった。

 そして、その妹も。

「あ、南彼方生徒会長」

 不意に今度、声を上げたのは男子生徒だった。

 廊下の向こうから、こちらに歩いてくる美しい少女を見て。

「やっぱり美人だよなあ。生徒会長」

「でもちょっと冷たそうだよな。こう、いかにも賢そうな顔がさ」

「そこがいいんじゃん」

 男子生徒たちが期待をにじませた声で話す。それに梟は足を止めた。

 そう、今廊下の向こうから歩いてきた梟の双子の妹、南彼方猫衣(ねこい)

 肩までの長さの梟と同じ色の髪に瞳、精巧に整えられた目鼻立ちに芸能人顔負けのルックス。まさに立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。

 そんな見目麗しく梟によく似た顔立ちの妹は、不意にこちらを見て口元を綻ばせる。

「梟」

「ああ、猫衣」

「放課後は用事ある?」

「特にないよ。久しぶりに一緒に帰ろうか」

「ええ」

 そんな約束を交わす麗しい双子を周囲の男女たちが頬を染めて見つめている。

 それももう慣れたものだ。

 梟も猫衣も、優れている者という自覚があり、そしてその自覚をさらけ出さない程度には聡明だった。

 外では。




「で、なんの話がしたいの?」

 放課後、駅までの道を歩いて、信号の前で足を止める。

 隣で立ち止まった妹は、涼しい顔だ。

「なんの話もなにも、ただ一緒に帰りたかっただけよ。

 こんな誰が聞いているかわからない道ばたで趣味の話なんか出来るものですか」

「それもそうだ」

 よそ行きの「聡明な生徒会長」の顔を崩さない妹に、梟は軽く笑いを零す。

「でも、お前に関する噂を今日も聞いたよ。

 麗しの生徒会長様。好きな相手はいるのかなってさ」

「それを言うなら梟もでしょ。

 梟に橋渡しして欲しいって相談、私たくさん受けるんだけど」

「お互い様だな」

「お互い様ね」

 そんな話をしながら信号が変わるのを待つ。

 だが不意に猫衣が瞳を眇めた。

「ん…」

「どうした?」

「なんか、今向こうでなにか光らなかった?」

 眉を寄せて、猫衣はまだ明るい空を睨むように見つめる。

「向こう?」

「空の向こう」

「そんなもの、なにも…いや」

 なにもない、と言いかけて、梟も気づく。

 真っ白い閃光が、こちらに迫ってくる。そう思った時には全身がその光に包まれていた。

「猫衣!」

 思わず咄嗟に伸ばした手で妹を探す。その瞬間、世界が一回転したような錯覚を感じた。




「召喚に成功したぞ!」

 喜色と興奮に満ちた声に一瞬途切れていた意識が戻る。

 梟は赤い絨毯の上に倒れていた。身を起こし、周囲を見て息を呑んだ。

 真白く美しい壁面と柱、豪奢なシャンデリア、磨き上げられた荘厳な広間に大勢の上等な衣装を纏った男たちが集まっている。

 その中央──玉座の前に佇むのは世にも美しい男だ。

 その男が差し出した腕の上に浮かんだ猫衣の身体が、ふっと浮力を失って男の腕の中に落ちる。

「星の聖冠が輝いている! 間違いない!

 アンテノーラ様の生まれ変わりだ!

 皇帝陛下万歳!」

 年配の貴族のような衣装の男が叫ぶ。玉座の前には、鏡のように磨き上げられた台座。

 その上に金色に輝く冠が置かれている。その冠がまばゆく光っていた。

「え、な、なに」

 玉座の前に佇む男の腕の中で、やっと我に返ったように猫衣が戸惑いの声を上げている。

「これで結論は出た」

 男は猫衣の肩を抱き、朗々とした声で告げる。

「私はこの娘を妻に迎える。異論のある者はよもやいまいな?」

 そう、絶世の美貌を持つ青年は誰にも聞こえる声で宣言したのだ。




「どういうことですか!」

 連れて来られた豪奢な部屋はこの国の皇帝の私室だという。

 つまり、目の前のソファに腰掛けている二十歳ほどの男性の、だ。

(これはまた、驚きだな)

 梟は内心そう思う。

 見目の良さなら芸能人相手でも負ける気はなかったが、この男相手では完敗だ。

 それほどの絶世の美貌。いや、傾国の美と言ってもいい。

 プラチナブロンドの切りそろえられた髪に、黄金の瞳は切れ長で思慮深さが窺える。

 まるで神自らが整えたと言わんばかりの完璧な顔立ちにすらりと伸びた手足。

 身長は梟より少し高い、180㎝ほどだろうか。

 まさにお伽噺の中から飛び出して来た王子様、といった風貌だ。

 金の刺繍が施された白を基調とした絹の装束を身につけ、見事な金細工の大振りな剣を傍らに置いている。

「まずは説明を、その前に名乗りが遅れたな。

 私はこのオードクロス帝国の皇帝、ゼロ・アイズ・スノーサハラ。

 そして、この国の建国の王、アルハルヴァ皇帝の生まれ変わりだ」

「それが一体なに」

 向かいのソファに乗せた腰を浮かせかけて食ってかかろうとした妹の肩を制止して、梟は冷静に言う。

「落ち着いて猫衣。ちょっと話をちゃんと聞こう。

 そういえば、さっき召還?された時にも周りの人たちが猫衣を誰かの生まれ変わりって言ったよね?」

「ああ、オードクロス帝国の初代皇妃、アンテノーラ様。

 彼女はその生まれ変わりだ」

 迷いのない口調で明言した皇帝、もといゼロに梟は怪訝な顔になる。

「なんでそれがわかるの?」

「星の聖冠が彼女を選んだからだ」

 猫衣の言葉にも、返ってくるのは迷いない返答だ。

「星の聖冠って、あの輝いていた金色の冠?」

「ああ。あの聖冠はアンテノーラ様が生前愛用されていたもの。

 このオードクロス帝国には言い伝えがある。

『アルハルヴァ皇帝が生まれ変わりし時、その妻アンテノーラ妃も再びこの世界に降臨するだろう。その聖冠がその魂を選び出す』と」

「ふうん…」

 いかにもライトノベルでありそうな異世界ファンタジーだ。

 実際、この部屋のバルコニーから見える世界は日本ではあり得ない風景だった。

 なら、ここは間違いなく異世界なのだ。

「だからなんなんですか」

 不意に立ち上がった猫衣が毅然とした態度で言い放つ。

「生まれ変わりだろうがなんだろうが、私はこの世界の住人じゃありません。

 私と梟を元の世界に帰してください」

「ずいぶん気の強いお嬢さんだな」

 面白そうに笑ったゼロも腰を上げると、真っ直ぐ立って猫衣に手を伸ばした。

 長い腕は剣を持つのに慣れた鍛えられたものだ。

 その指先で猫衣のおとがいを掴み、蠱惑的な声で囁く。

「私が君を妃に望むと言っても?」

 そう、並の女性なら腰砕けになりそうな色香を含んだ声が響いた。

「生まれ変わりだとか関係ない。私は、君を妃に望む。

 猫衣と言ったな。どうか、私の」

 そう囁き、猫衣の手の甲に口づけようとしたゼロだったが、不意にその場に響いたばっちん、という高い音に息を呑む。ついでに、頬に走った衝撃にも。

 猫衣が、ゼロの顔面を叩いたのだ。

「うるさい! 初対面の女子にいきなり触れるな痴漢!

 女性の扱い方も知らないのか!」

 猫衣の叫びはもっともだ。だが、この絶世の美貌を前にしてそれを言う女性はいなかっただろう。

 故に室内に控えていた黒髪の護衛の騎士が思わず「ぶっ」と噴きだした。

 同じく室内にいた壮年の金髪の騎士がわずかに咎めるような視線を向けるが、不意に頬を張られた主君が肩を揺らして笑い出したので戸惑いがちに「陛下…?」と呼ぶ。

「ふっ、…あっはっは!」

 もう堪えきれない、と言った様子でゼロは笑うと、猫衣からぱっと手を離す。

 名の通り毛を逆立てた猫のようになっている猫衣をとても面白いもののように見て。

「参ったな。面白い」

 その声も明らかに本心だ。

「大変愉快そうですね。陛下」

「大変愉快だ」

 黒髪の護衛の騎士の言葉に、ゼロは即答してソファに腰を下ろした。

 それに猫衣が戸惑う。

「あ、頭打った? 私、頬しか打ってないよ?」

「いや、私に口説かれてそういう反応を返す女性があまりに規格外で、すまない」

 猫衣が喋ると笑いが再燃するのか、くつくつと喉を鳴らしながら答えたゼロは姿勢を直すと、真っ直ぐ猫衣を見て真摯に告げた。

「確かに、君の言う通り先ほどの私の行いはマナーがなっていなかった。

 礼を尽くそう」

 言うなりゼロは立ち上がって、頭を深々と猫衣に向かって下げた。

「陛下! いけませんそんな!」

「先に礼を欠いたのはこちらだ。このくらいでちょうど良い」

 壮年の金髪の騎士が慌てて制止しようとするが、ゼロは譲らなかった。

 目を丸くしている猫衣を見下ろし、ゼロは静かに、切実に告げる。

「異世界からの訪問者よ。この国は今逼迫した状況にある。

 どうか、あと少しこの国に留まってはくれないだろうか。

 伏して頼む」

 そう言われて、「いいえ」を返せるほどには冷酷ではないのが妹の長所であり短所だな、と黙り込んでしまった猫衣を見つめて梟は嘆息を吐いた。




 猫衣は「この部屋を自由に使ってくれ」と宛がわれた部屋に案内されるなり、ベッドにダイブして動かなくなってしまった。

 まあ、許容量を超えたんだろうな。仕方ない。

 梟だって、当事者だったら同じようになっていただろうから。

 そう考えて、宛がわれた客室を出て城の回廊を歩く。

 結局自分って、猫衣のとばっちりで一緒に召還されたんだろうか?

 まあ猫衣一人行方不明になるよりいいけど、と考えていた矢先、声を掛けられて少し驚く。考え事をしていたせいだ。

「梟殿」

「え、あー、さっきの部屋にいた」

「ランフォードと申します。皇帝陛下の護衛騎士で、側仕えでもあります」

 壮年の金髪の騎士はゼロほどとはいかないが端正な顔立ちで、そこに渋さが合わさってさぞモテそうだな、という風貌をしていた。体格も鍛え上げられたもので、身長も高い。

「先ほどは、陛下が失礼を致しました」

「いや、いいよ。文句は全部猫衣が言ったしやったし」

「はは、実は少し驚きました…。陛下を相手に平手打ちが出来る女性がこの世にいるとは思わなかったので」

「まあ異世界人だけどね」

 真摯に謝罪するランフォードに、梟も苦笑するしかない。

「確かに、驚くくらいの美形だ」

「皇帝陛下は『世界一の美貌』と称されております。

 それもあって、猫衣殿の行動が思いがけず、愉快だったのでしょう」

「あー、なるほど。そんな皇帝の顔面ぶったたく女は普通いないよね」

 歯が浮くような呼称だが、実際事実だろうと思わせるだけの美貌だった。

 だがその美貌を鼻に掛けていない。そんな感じもした。

「あまり女性相手にいい思いをされていらっしゃいませんでしたから、それもあって妹君の行動が想定外だったのだろうと」

 その考えはすぐランフォードの言葉で裏付けられた。

 梟も経験がある。見目が優れているというのは、その分苦労も多い。

 異性からの期待。好意。それが高じてのはた迷惑な嫉妬。諍い。果てはストーカー行為など。

 日本という比較的平和な国の庶民の梟がそうなのだから、異世界の皇帝であの傾国の美ともなれば、降りかかる災難はいかほどか。

 そう考えれば、あの皇帝にとって自身の美貌はむしろ疎ましいものかもしれないな。

「皇帝陛下相手にずいぶん気安いね。昔から知ってる風な口調だし」

「は、恐れ多くも、育ての親のようなものであったかと…。

 先代皇帝陛下は、………あまり陛下に情がありませんでしたので」

「そっか」

 ランフォードが控えめに告げた内容を額面通りに受け取るかは別だ。

 あの皇帝を信用していいのか、まだわからない。

 ただあのとき、猫衣に自身の非礼を詫びた真摯な態度。あれは真実だと思った。

 人を見る目には自信がある。

「それから、猫衣殿にもお伝え願いたいのですが、なるべく城内を出歩かないように」

「なんで」

 不意に潜めた声で言われ、目を瞬く。

「この国が一枚岩ではないからです。

 アンテノーラ様の生まれ変わりを皇妃に据えたいという者もいれば、自分の娘を皇帝に嫁がせたい貴族もいます。

 そういった者にとって、猫衣殿は邪魔な存在ですし、あなたは猫衣殿の弱点となりうる」

「ああ、なるほど」

 言われてみれば確かにそうだ。

 猫衣を妻に、と言うことはあの皇帝には婚約者もいないということになる。

 一国の皇帝が二十歳頃にもなって婚約者すらいない状況というのは、おかしいのではないか。

「テイラー」

 不意にランフォードが自身の背後を振り返って控えていた騎士を呼ぶ。

 あのとき、猫衣の平手打ちに噴きだした黒髪の護衛の騎士だ。

「は」

 漆黒の布地に銀色の刺繍が施された装束を纏った騎士が、梟の前で傅く。

「こちらの者をおそばに。

 こちらは一依(かずい)・ヴィリア・テイラー。

 今よりあなたの護衛騎士となります」

「お初お目にかかります。どうぞなんなりとお申し付けください」

 艶やかな短い黒髪の長身。だが細身の美形だ。瞳は澄みきった真紅。

 身長は先ほど立っていた時に見た限り、ゼロよりも高そうだ。

 自分を見上げる澄んだ瞳を見下ろし、梟はにっと笑う。

(ふうん。面白そうだ)

 猫衣の巻き添えでも、この状況はなかなか愉快である。

「梟様?」

「梟でいいよ。よろしく、一依」

 やや怪訝そうに自分を呼んだ一依に立つよう促すと、手を差し伸べる。

 重ね合わされた手のひらは武器を持つ者らしく硬く、そして細かった。



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