和製の鬼は次代の魔王となる。②
「勇者様っ!!?」
再度、緊張感に包まれる。
誰よりも早くヘレナが駆け寄ると、眼を閉じた勇者の周囲は血が溜まっていた。
ボロボロの鎧ごと抱きかかえると、ぐちゃと水音が混ざる。
勇者の全身は血で汚れていた。
どれほどの、いつからの出血か。
戦いがどのくらいの時間を要したか、定かではない。
けれど大怪我を負っていたのはわかっていた。だからわかる。
――勇者は、危険な状況だと。
「ヘレナ! 治癒魔法を!」
「はい!」
「ボルドとテナは応援を呼んでこい! 儂は周囲の安全を確認する!」
「わかった!」
「待ってろよ、あんちゃん!」
老いた魔法使いが早急に対処をし、各自が散る。
ヘレナのなけなしの魔力で行われる治癒魔法は弱弱しい光を放つ。
照らされる、勇者の顔と傷。
ヘレナの心は痛み、顔が歪む。
「勇者様……っ」
心音がヘレナの耳を支配する。
戦っている時よりも苦しい表情で、両手を掲げ続ける。
消えそうなほどの魔法は、まるで二人の命のようだった。
固く目を閉じる。願わずにはいられなかった。
なぜなら、勇者は――
「ヘレナ、大丈夫だ」
「っ」
鼓動によって犯されていたヘレナに、一滴の音が落ちた。
「ゆうしゃ、さまっ」
「少し、疲れただけだ。大丈夫」
「よかった……よかったです……」
勇者の手は、優しくヘレナの頬に触れる。
寄り添うように顔を傾ける。
頬を伝って涙が流れ、そして勇者へ降り注ぐ。
「ヘレナ」
「はい」
「名前を呼んで」
「……アルスさま」
「うん」
「アルスさま」
「うん」
「アルス、さま」
「うん」
「……がんばりましたね」
「約束のためだからね」
「っ」
「覚えてるよね?」
「……はい」
「結婚、してくれるよね?」
「……はい」
「よかった。頑張った甲斐があった」
「もう……」
「大好きな世界を守れてよかった。大好きだよ、ヘレナ」
「……私も、大好きです、アルス様」
頬に添えられた手に手を重ね、見つめ合う二人は平和を噛みしめる。
他者の邪魔を許さぬ空気の、少し外。
血走る目で見つめる、部外者。
「少し休んでください。皆が応援を呼んでくれています」
「ああ、じゃあ、そうさせてもらおうかな」
重ねた手を握り、胸元へ下ろした。
すぐに伏せられた瞼と、規則正しい吐息。
鎧越しの胸が上下に動く。
緊張と焦りから硬かったヘレナの表情はすっかり和らいでいた。
そこに、影が射す。
「――え」
索敵では何もないと言っていた。
では、ヘレナの、眠った勇者の前にいるこの男はなんだ。
額から控えめに主張する角が、人間ではないことを語っている。
「ま、も……」
「ねぇ、なんでいるの?」
「へ」
理解し得ない状況に、へレナは腑抜けた声しか出なかった。
お構いなしに、しゅうは一方的に語り掛ける。
「ねぇ、姉上。貴方は僕が殺したはずだよね」
「あね、うえ? ころ……し」
「僕が食べたはずだよ。だって、ほら、口の周りは貴方の汚い血で未だに汚れてる。臭くて臭くてたまらないよ」
「……な、え?」
「ああ、もしかして、影武者だったのかな? 全く、姉上のやることはえげつないなぁ」
「っ!」
魔力を練った。
けれどもはや使い果たしたカスでしかない魔法は、ヘレナの杖から放たれることはなくその場で塵となった。
ヘレナの顔は絶望に染まる。
守らなければ、と、本能で思った。
覆い被さろうと顔を伏せる。
阻止するつもりはなかったが、しゅうの継ぎ接ぎの皮膚による腕は、ヘレナの愛らしい柔肌の顔を握る。
「ぐむっ」
「今度こそ、ね」
――いただきます。
ヘレナの耳に届いた言葉だった。
頭から食い破り、芳醇なみそと血液が所かまわず下品に零れ落ちる。
それは、勇者がいたとしても、構われない。
「ごちそうさまでした」
ひと一人を食べ、けれどしゅうの腹は次を欲する。
足元に横たわる男が目に入る。
「……ァ」
しゅうの瞳は、黒く濁り、渦を巻き、勇者を捕らえる。
「ゆうしゃさま」
両膝をつき、両手で胸元の手を取る。
口に寄せ、まるで祈る様に構える。
「だいすきです」
ヘレナに触れたその手から、しゅうは牙を立てる。
引きちぎり、噛み砕き、時々空気が漏れだす。
二人を食しても満たされたわけではない。
だが、ぼやけてはっきりしていなかった脳と意識が、どうしてかクリアになっていた。
血まみれのその場に胡坐をかき、乱暴に口元を拭い、遠い景色を見つめる。
「この世界はラングラシア。勇者が魔法使いたちを連れて、魔王を討ちに来た。そして達した。仲間は応援を呼び、そして一人は中間索敵。なぜか僕は認識されていない。そもそ消えなかった僕は、召喚された魔物たちとは異質な存在? ともかく、仲間を食らった僕をそのままにしておくわけはないよね」
手をつきながら、重くも軽くもない体で立ち上がる。
不意に伸びた手は額の角に触れる。
触れれば違和感を感じるものの、別段不都合も、不快さもない。
しゅうは軽く撫でながら、流れで髪を梳く。
周囲を見渡して、一息つく。
「よし、逃げよう」
動きは早かった。
なぜか記憶に残っている、仲間が去って行った方向。
そちらとは逆方向に足を進める。
仲間が戻ってきた時、その場に残していったとは信じられない状況だった。
二人がその場にいないのが救いか、血だまりと細かい肉片があることが絶望か。
そんなこと、しゅうの知るところではない。
遠く離れた地で、しゅうは川遊びに興じながら考えた。
「なぜだろう。僕はこの世界が大好きだ。大好きで大好きで、大切にしたい。大切なものは、僕のものにしたい。僕のものにして、隔離して、大事に大事に愛したい」
ちゃぱちゃぱと足元の水を蹴る。
魚が跳ね、それさえも愛おしく感じる。
朗らかな笑顔を浮かべながら、しゅうは両手を広げ、空を抱きしめんとする。
「この世界が欲しい。愛おしいこの世界が。だから僕は、この世界を手に入れることとしよう」
―― 魔王になろう。




