第2話
器を傾ける手が顔を隠して止まる。
ひょじょうを想像するだけで冷や汗が一筋流れた。
よく見れば、シュウの手には筋が浮いている。
一応、自分の内に感情を押し殺してくれているのだろう。
「店に入ったら、シュウは男客を相手にすることになるだろう。女は存在しないものと思え。むしろ相手の土俵で上に立って見下してやってもいい。お前は年上受けがいいから、普段通りにしてれば大丈夫……だ」
なるべく神経を逆撫でしないように言葉を選んだ。
女嫌いのシュウにとって、女社会で生活しろというのは命懸けの喧嘩を売られたも同然だろう。
仲良くしろと言ったらそれこそ瞬殺されてたかもしれない。
だが、それは必須事項じゃない。
ただ入り込めさえすればいいんだ。
それこそ他の女より上に立てるのはシュウにとっては悪い話ではないはず。
仕事相手もほぼ男。
特に嫌いな若い女は従業員側にしかいないだろう。
いまだに器で顔が隠れている。
けれど影になっている喉がゆっくりと動いた。
ごくり、と音を立てて、恐らくは餡を飲み干したのだろう。
口周りに餡を付けたシュウは、瞼を閉じていた。
その顔に怒りの色はなく、ただ冷静に噛みしめているよう。
「僕の仕事ってどんなことするの?」
「基本的には酒の相手。その後まぁ……なんか色々あるんだが、そこは俺がなんとかするよ」
「キョウカも女装するの?」
「いや、俺はしない。シュウの教育係として雇ってもらえないか聞いてみる。それができなくても、酒の場以外はシュウと客の二人だけの空間になるから、割り込んでも何とかなる」
「ふーん」
細く瞼が開かれる。
瞳はどこかを見ていて、俺とは目が合わない。
器をくるくると回し、頭も回しているのだろう。
はぁ、と吐いた息は、何周目かした器に吸い込まれた。
「わかった。わかったよ」
「……、ありがとう、シュウ」
「嫌すぎるけど、キョウカは僕のために頑張ってくれてるもん。僕もちょっとだけ頑張る」
「ありがとな。早く終わらせて、次の国へ行こう」
「うん。おかわり」
「はいはい」
―― ♦
数日後。
目当ての店、『伯楽楼』の一部屋に通された。
シュウはフードを被り、角は包帯で隠している。
白い髪は染めて黒に、紫の目は色付き眼鏡で一見わからないようにした。
店によっては強みとして売り込まれると思っていたが、伯楽楼では『希少価値の高い娘』としてちょっと特別待遇をするそうだ。
見習い期間、兼、客への宣伝、かつ話題性を狙うという。
そしてその間の世話役も任せてもらえた。
俺への報酬は見習い期間終了後にまとめて、というのも向こうにとっては利点だったろう。
これで第一段階はクリアした。
「くさぁい……」
鼻のいいシュウにとって、香やおしろい、花などの匂いの混じっていることの方が深刻かもしれない。
座布団の上に正座し、背中を丸めている。
下ろされたフードのおかげで光に照らされた比較的白い肌が、今は青みも帯びている。
シュウの鼻の良さは体質由来だろう。
取り込んだ聖女には関係がないとしたら……効くかはわからないが、慣れた匂いの方が安心するかも……?
「シュウ」
「んんー?」
「今からお前に魔法をかける。ちょっと体が楽になる様に」
「おねがぁい……」
正面に座り、額に指の腹を押し付ける。
「風属性」
薄く、シュウに風を纏わせた。
完全ではないものの、匂いの類ならば多少は緩和されるだろう。
シュウの強みである匂いへの反応も弱まってしまうが、今回ばかりは致し方ない。
さらに荷物の中から小瓶を取り出した。
「これ、首にかけてろ」
「なにこれ?」
「知ってる匂いがした方が安心するだろうと思って」
ガラス製の小瓶の中には黄色い小石が入っている。
コルクで蓋をされ、それは取り外し可能。
外してシュウに向けてみると、遠いとわからず、鼻に寄せてから目を見開いた。
「これ……!」
「好きだろ? この匂い」
「うん!」
「これ嗅いで、なるべく心を落ち着けて頑張ろうな」
「わかった!」
決して良いものではないそれを、お守り代わりとして持っててもらう。
前回の国の装飾屋でなんとなく買ったものだが、買っておいてよかった。
―― 一息ついたところで、襖の奥の廊下から足音がする。
「待たせたね」
この楼の遣り手の婆だ。
煙管を片手にずかずかと入ってきて、正面に座った。
横並びの俺とシュウは背筋を伸ばす。
「この度はお話をお受けいただき、誠に感謝申し上げます」
「遊女は間に合ってんだがね、別嬪でその子に光るものがあるならケチ臭いことは言わないよ。それで? 確認だが兄さんも働きたいって?」
「はい。この娘の見習い期間だけでもと思いまして。まだ怪我が治り切っていないため包帯は外せないところ、伯楽楼さんに気に入っていただき、恥ずかしながら先走ってしまいました。これ以上の失礼がないよう、全力で務めさせていただきたく」
「殊勝な心掛けだね。気に入った。お客様への挨拶については任せたよ。だが、ここでの生活や接客についてはウチのもんにやらせるから、そこからは口出し無用だよ」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げる。
願ったり叶ったりの状況だ。
幸先が良すぎて怖いくらい。
身動き一つしないシュウに反し、遣り手の婆は煙管を一吸いする。
天に向かって細く吹き出した。
「楼のルールは聞いたね? ウチは珍しい三階建ての建物だが、三階は決まったヤツしか入っちゃならない。見つけたらその場で折檻行きだよ。それと、その子の見た目については紹介したときの反応で考えることにするよ。明日また来な。今日は忙しいんだ」
障子と窓を開け、枠に肘をかける。
夕日が婆を照らす。
俺たちの方を見て、煙管で窓の外を刺した。
二人とも窓に酔って外を見ると、通りの両脇には人だかりができている。
道の中央、そして夕日を背景に、行列が少しずつ移動してくる。
「ウチの頭、魅狐花魁だよ」




