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果たして遊園地とは、こんな挑戦的な場所だっただろうか。
否、遊園地とは読んで字の如く、遊ぶ園の地なのだ。遊ぶ場所なのだ。
そして遊びとは、楽しさあってこそのもの。楽しくなければそれは遊びではない。
だからここは、遊園地ではない。
「いっ……!」
「きゃー! あははははっ!」
全身に吹き付ける風は、涼しいとか強いとかいう度合いではなく、とにかく痛い。
急降下と急上昇を不規則に繰り返す中、掛かる重力の負担は容赦なく内臓まで。
身体の浮遊感は異様さと不快さを全身の齎らし、時折顔に叩きつけられる隣に座った彼女の髪がこれまた鬱陶しい。
状況把握など以ての外、絶叫する暇もないほど恐怖に苛まれ、気付いたら終わっていた。
「はー、楽しかった。空いてたらもう一回乗りたいんだけどいい?」
余裕をかまし、あまつさえこの恐怖を楽しく感じている様子の彼女。
対して、未だ浮遊感と地上に降り立ってからの足腰の不自由さに、僕は手摺りなしでは動けそうになかった。一個目の乗り物でグロッキーになるとは情けない。
「次何行こっか?」
「ちょっと、僕は一回パス。次無理に乗ったら今日一日動けなくなりそう」
「ありゃりゃ、もう酔っちゃったの? 苦手なら言ってくれればよかったのに」
「君が言わせてくれなかったんだけどね」
それ抜きでも、まさかここまで耐性がないとは思ってなかった。
記憶に乏しいが、最後に遊園地を訪れたのは小学生の時だったか。当時は身長制限があったため、絶叫系に乗るのは実質今日が初めてだった。
「一旦休憩。ここで待ってるから、一個好きなの乗ってきていいよ」
ベンチに辿り着き、じゃあと遠慮がちに離れていった彼女は、けれど数秒もしないうちに視界内で足を止めた。
何事かと思い、おもむろに彼女が見上げた先を追ってみる。
絶句した。
高さは一〇〇メートル超の円柱状のアトラクション。
最高時速は一二五キロに達すると謳っている、この遊園地の代名詞、フリーフォール。
見ているだけで寿命が縮まりそうなそれに、彼女は臆することなく入っていった。
彼女の心臓はどんな作りをしているのか。
ガタガタと機械音を響かせながら高度を上げていく彼女を横目に見ていると、僕に向けて手を振ってくる。
そして頂上まで達した時点で思わず、あ……と、声が漏れた。
多分、こうして下から見ていなければ、自分では気付かなかっただろう。
臨海部に位置するこの遊園地には、立地特有の海風が吹く。時にそれはそよ風で、時には暴風並みの風を吹き荒らすこともある。
今も尚変わらず吹いているそれは、彼女の服の先をパタパタと揺らしていた。
落下を始めたフリーフォールから聞こえる絶叫を遠く耳に、搭乗者に吹き付ける、海風など比にならないほどの下から押し上げてくる風は、彼女にもまた襲いかかる。
そして、ぶわりとワンピースの裾を容赦なく捲りあげた。
□□□
店を出ると、嫌な熱気が全身を覆ってくる。
少し早めの昼食を遊園地内のフードコートで取った後、乗れていないアトラクションを重点的に乗ることになった。
彼女曰く、どうせなら全部制覇したいとのこと。
太陽はほぼ真上にいるおかげで日陰がほとんど見当たらない。
長く涼しい場所にいたせいか、冷房が切実に恋しい。
アトラクションのあるエリアに戻るべく僅かに残った建物の陰を歩いていると、後ろから声が掛かる。
「今更っちゃ今更だけど、私と出掛けること、家族にはなんて言ってきたの?」
「普通に、友達と旅行行ってくるって」
「それだけでよく許し貰えたね」
それには同意する。
許しは貰えるとも、他に聞かれると思って言い訳はいくつか用意してきた。しかしまさかの二つ返事で承諾されたのだから、あの時はこっちが驚いてしまった。
「良くも悪くも、うちの親は放任主義なんだよ、共働きだからかもしれないけど、おかげで好き勝手な生活ができて楽だけどね」
「へー……ん? その友達はどうしたの? 流石に名前くらいは聞かれたでしょ?」
友達いないのに友達とか言って大丈夫なの? みたいなニュアンスに聞こえたのは僕の勘違いだと信じたい。
「中学の友達の名前出したら、すんなりオーケーされた」
「ほうほう。その友達さんの方からはなんか聞かれた?」
「いや……伝えてない」
「……ふぇ?」
デジャヴだった。なんかもう、この後何言われるか予想できる。
きょとんとした顔が徐々に嫌そうな顔へと変わっていくので、僕から両手を上げた。
「……分かったよ。後で連絡しとくから」
彼女に先を言わせる前に、自分から観念しておく。が、それでもまだ彼女は動き出そうとはせず、それどころか、どこか縋るような目で僕を見つめていた。
「今伝えとこう。ね?」
「別に、そんな急ぐことでもないでしょ」
「待っててあげるからさ。せっかく遊園地に来たのに、気になって楽しめなかったらどうするのさ?」
僕が言うより早く彼女は日陰の元へ移動し、目で来るよう伝えてくる。
「……ちょっと待ってて」
彼女の隣に寄って携帯で画面を開き、例の友達の番号を入力して、指を止めた。
高校の最初以来、約二年の間一つとして連絡を取っていない相手に、どうやって話出せばいいのだろうか。異様なまでに緊張していて、冷や汗まで出てきた。
これもぼっちの性分なのか、自分は人との関係性に敏感らしい。
なんて冷静に自分分析している場合じゃない。とりあえず、
「えい」
気付くと発信ボタンを僕の指が押していた。というか押させられていた。
彼女の無駄な掛け声と同時に僕の指を上から押し、携帯からはコール音が聞こえてくる。
「ちょっ、おい……!」
文句の一つ二つを言いたいところだったが、その前に通話が繋がってしまった。
『久しぶりにお前からだと思ったら、こんな夜遅くになんだよ……』
「……えーと、もう昼前なんだけど」
『あー……あ? マジか。どおりで暑いわけだわこりゃ。窓閉まってるしエアコン止まってるし」
寝起きよろしく気の抜けた声と、ごそごそと起き上がる音。次いで、伸びでもしたのか声にならない声が聞こえて、さらに間を置いてからようやく反応があった。
『んで、どうしたよ』
「一つ頼みごとお願いしたいんだけど、いい?」
『何だよかしこまっちゃって。いいよ、何?』
『どうも。たしか一人暮らしだったよね?」
『正確には、親戚の叔母さんの経営するアパートで空いてる部屋借りて、そこに住まわせてもらってるって感じだけどな」
「どっちにせよ丁度いいや。夏休み中少し遠出するんだけど、親にはお前と行くって言い訳通しててさ。もしなんかあったら話合わせといてほしい。それだけ」
『え、なに? 親に内緒で旅行すんの?』
「内緒じゃないけど、まあそんなとこ」
『まさかとは思うがお前彼女でもできたんか? それで恥ずかしくて言えないから友達と行くとか嘘ついてるとか? よかったじゃんか! 陰キャだったお前がついに』
「ああもううるさいし違う。とにかく頼んだから。じゃ」
『あ、おい、少しくらいはな——』
ブツッと。鬱陶しかったからつい切ってしまった。
たった数分の電話しただけとは思えないほどに疲れた。少しは変わってると思ってたけど、中学の時と全く変わっていないな、あいつ。いい意味でも悪い意味でも。
「これでいいでしょ。ほら、さっさと……なに?」
気疲れを払拭するべく早く行こうとした僕に、彼女は小さく笑顔を浮かべていた。
今までのとはどこか違う、表面だけではない、羨ましがるようなそれ。
「ううん、その友達さんと仲良いんだなーって」
「まあ、小学校から同じだったし、よく遊んでたけど」
果たして、僕と彼の関係を友達と言うのか。
同じ高校に進んだくせに別れも告げずに転校して。それから二年も会わなかったのだ。
言うなれば、仲の良かった過去があっただけの、腐れ縁。
「それだけじゃないよ。電話してる時の君、嬉しそうだった」
「んなっ……!」
唐突に、まじまじとそんなことを言われて、つい上擦った声が出てしまう。
彼女に初めて見せる僕の狼狽する姿に、けれど彼女は笑いもバカにしてもこなかった。
笑みを崩さずに、僕に背を向けてゆっくりと歩き出す。
それに僕も熱くなった顔を冷ましてから心を落ち着け、早足で後を追う。
「良かったじゃん、いい友達がいて。羨ましいよ」
「二年も話さなかった相手が友達なのか分からないし、そうだとしても一人だけどね」
「二年も話さないであれだけ仲良いんだから、むしろいいことじゃないかな。それに、一人でも十分だよ。少ないだけ、その一人を大切にできるんだからさ」
そう褒めてくれて、羨まれて、それでいてちょっと嫉妬されているようで。
それを嬉しく感じているのに、彼女の微笑みには、つい目を逸らしてしまう。
彼女に怒りを覚えていたことは、すっかり忘れてしまっていた。