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3


 次の日の夜。


 昨日のアレが嘘で夢だったかのように、代わり映えのしない退屈な日曜日を、


「なんて、忘れられるわけがないか……」


 迎えられるはずもなかった。

 少しも消えてはくれなかった。


 脳裏に焼き付いた、涙と泥と血で濡らして嘆く少女の姿。


 鮮明に思い出せるその記憶の周りに纏わり付く、ぐるぐると渦巻く感情。


 彼女、どうなったのだろうか。


 もし自殺したならニュースにでもなっているはずだけど、そんな話は耳にしていない。いや、あんな森の中だ。人の出入りも少ないだろうし、まだ見つかっていないだという可能性もある。


 もしそうなら、まだあの場所にいるかもしれない。


「なに考えてんだ。さっさと忘れろよ、僕」


 どうでもいい。僕と彼女の関係はあれっきりで、もう関係ないことだ。


 忘れよう。何を考えたって無駄なだけだ。


 彼女が今頃どうなっていようが、僕の知ったことではない。


「お先に失礼します」


 バイト先を出たのは、シフトより少し遅めの二十二時半。


 シフトギリギリに大勢の客が来るのは予想外だったが、今日は日曜日だ。ファミレスでのバイトを二年間ほど続けてきた経験上、何も珍しいことではない。


 そんなことより、早く帰らないと。


 ここから家までは、普通に歩いても三〇分ほどかかる。そもそも二十二時を超えて働いている時点でアウトだが、補導されるのはそれ以上に面倒だ。


 そう思って帰路に着こうとした矢先、思考に反して、歩調が上がらない。


 足取りも重く、気が沈みがちにあるのは気のせいではなかった。


 そのどれもが多分、昨日のことが原因なのだろう。忘れられるはずがない。


 おかげで今日一日バイトに集中できず、仕事が遅いと怒られてしまった。


 大通りをとぼとぼと歩き続けた挙句、幾度と車に追い越されるのを見送り、コンビニの前に着いた頃には既に二十三時を過ぎていた。


 この時間ともなれば車も人の数も疎らにしか見かけない。昼間とは打って変わっての静まりようだが、コンビニの近くだけはあの時と変わらず騒がしかった。


 それも店頭ではない。暗い裏路地の方から。


 二十歳前後の男の声が二つと、女子の声が一つ。


 裏道の横を過ぎる間際、鮮明になってきた声に横目を向ける。


「こんな時間にどうしたの? お出掛け? 夜遊び? あ、もしかして家出とか? 分かるわその気持ち。親とかマジうざくてさ、だから俺らもこうして遊びに行くのよ」


「よかったら一緒に遊ばない? もちろん金は俺らが持つからさ。君かわいいし、というかぶっちゃけ俺の好みだわ」


 案の定、見えたのはナンパの類のそれ。


 コンビニの壁に背を付ける少女を、男の二人が囲むようにして声を掛けている。


 目にして多少の哀れみのようなものを覚えはしたものの、夜に出歩いている少女も大概だろう。


 あいにく僕は事なかれ主義だ。触らぬ神に祟りなしともいう。


 正義感とか、善意とか、サラサラ心にない僕は、関わる気ももちろんない。


 そう思って、無意識に速くなった歩調で、


「その人も嫌がってるみたいだし、それ以上はやめたほうがいいんじゃないですか」


 気付けば僕は、男たちの側に足を踏み出していた。


 面倒ごとに自ら関わる気などなかった。


 もしその少女が、彼女でなかったなら。


 一瞬しか見えてなくても、見間違えるはずがなかった。


 ほんの少ししか声が聞こえなくても、聞き間違えるはずがなかった。


 今もなお嫌なくらい鮮明に、覚えてしまっているのだから。


 そして僕は、まんまとそれにつられてしまった。


 正義なんてものじゃない。憐れみと、醜い我欲に。


 僕は三人に向けてカメラのフラッシュを一つ焚いた。


 なんだなんだと威圧的に吠えてくる二人に隙を与えることはしない。


 努めて平静を装いつつ、おもむろに、淡々とスマホへと指を走らせる。


 見せつけた警察の番号を打ち込んだ画面は、あと指一本が触れるだけでいい。


「面倒ごとにはしたくないですよね?」


 お互い様に、と内心で付け加えて。


 喧嘩腰になり掛けていた二人は、それだけですぐに身を引いてくれる。


 舌打ちの一つ二つ。最後にはお決まりのように捨て台詞を吐き捨てて去っていった。


 我ながらよく冷静に動けたものだ。喧嘩の一度さえした覚えのない身、内心ビビりまくってたし、今も指先は震えている。


 スマホを仕舞い、彼女の元へと寄る。


 壁へと背を預け顔を俯かせる彼女の表情は、裏路地の暗さも相まって伺えない。


 少なくとも前のような半狂乱の状態に陥ってはいないのは分かった。


「なんでまた来たの? ほっといてって言ったのに」


「僕だって面倒ごとに関わりたくなんてなかったよ。けど、死ぬはずだった人間がまだ生きてたから驚いちゃってさ」


 吐き捨てるように言うと、彼女はビクリと肩を揺らし、身を強張らせる。


 爪が喰い入るまで掌を握り締め、悔しげに唇を噛んだ。


「そうだよ、怖くて死ねなかったんだよ。生きてちゃいけないのに、まだ無様に生きてるんだよ……笑えばいいじゃん、こんな私」


 けどすぐに力を緩め、諦めたように長くため息を吐き出す。


 自暴自棄。その言葉が今の彼女の様にはぴったりだった。


 自分勝手に言いたいように言って、自分自身の言葉さえ言葉を鼻で笑って。


「さっきだって、なんで助けなんかしたの……こんなに苦しむんだったら、あの人たちについてった方がずっと良かったのに。好きなだけ遊んで、人の道踏み外して、壊れて、壊されて……もうどうにでもなれって……思えた、のに…………」


 その言葉とは裏腹に、寒くもない夏の夜に彼女は震えていた。


 当たり前だ。遊ぶことの意味も、道を踏み外した先も、怖いに決まっている。


「僕が死なせてあげようか?」


 ついて出た僕の声に、思わずといった様子で彼女が顔を見上げてくる。


 喜びでも恐怖でもない、本心からの困惑と驚きを映した瞳で。


 ここで逃げたら、きっと後悔する。


 中途半端に関わりを残して、またモヤモヤと悩み続けるのは。


 彼女の苦しみを少しでも目にしておきながら、知らぬふりで日常に戻るのは。


 そんなの、嫌に決まってる。


「君が望むなら、僕が代わりにナイフを握ってもいい。だから、その時は、」


 言い掛けた続きは、途端に頽れた彼女に止められる。


 ぐい、と服の裾を引かれ、膝を曲げて視線を彼女に合わせる。


「ほんとに……?」


「うん」


「怖く、しない? 痛くしない? もう苦しまなくていい?」


「約束する。怖くしない。痛くしない」


 果たして僕のかけた声は、彼女の恐怖を、苦しみを、和らげられただろうか。


 握る手を更に強く、胸に顔を埋めて涙する彼女に、僕は手を添えるでも、その手を避けるでもなく。どこでもない遠くに目を向けた。


「けど、今のままじゃ僕は君を殺せない」


 今の彼女は苦しんでいる。恐怖を抱えている。


 そんな彼女のまま死なせるのは、約束を破ることと同義だ。


 それを僕は望まない。引け目を感じたまま終わらせるのも、後悔するのも。


 この期に及んで自分のことを考えている自分に嫌気がさす。けど……


「だから少し、僕に付き合ってくれないかな?」


 せめて、彼女が笑って最期を迎えられるように。


 それだけは、本心から願えたことだ。


「付き合うって、何を?」


「一週間でいい。どこか出掛けて、何もない僕の夏休みから退屈を奪ってくれれば」


「……分かった。約束」


 そう言って差し出された小指に、僕も指を絡める。


 こんなちっぽけな契りでも、彼女は嬉しそうに、涙顔で笑った。


 だから、その時は——。


 その続きを、僕は未だに伝えられないまま。


 僕らの一週間が始まった。


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