15
ログハウス調のカフェの中。
昼下がりの今は客の出入りが少なく、雰囲気も相まって空気の流れが緩やかに感じる。
テーブルの上にはコーヒーとアイスココア。それと僕が頼んだサンドウィッチと、
「本当に一人で食べちゃっていいの?」
「お構いなく。何回も食べたことあるから」
この店の名物である分厚いデニッシュ生地の上にアイスクリームが乗せられた、なんとも甘そうなやつ。甘そうな、ではなく実際甘い。
女子は甘いものが好きだとよく言われている。けどそのおおよその場合、それは女子らしいからとか、可愛く見えるからとか、そんな類の好意を寄せている異性へのアピールなのではないかと思う。
つまるところ、女性らしくあることを周囲から承認されたいがための策略なのだ。
女性というものは大変だなと、内心で無関心に思いつつ、甘そうなやつを頬張っている彼女を見やる。
先日の抹茶アイスに然りパフェに然り。他にも、遊園地でのクレープに然り。
旅行中の買い食いや、ホテルの食事でも時折そのような面を見せてきた彼女だけど。
「君の場合、そんな風に疑う余地もないよね」
「?」
頬杖を突きながらフッと虚無感漂わせる笑みを浮かべる僕に、リスのように頬を膨らませた彼女は首を傾げた。
曖昧な表情で流して、コーヒーを啜る。
「それで、さっきのことなんだけど」
警察が彼女を探していて、断定ではなくとも、犯人の候補として挙げられていること。
あのとき警察に濁された言葉は、憶測でしか語れない部分でもなお、断定するような意図を含む発言になってしまったのを咄嗟に改めようとしたからだと思う。
逆説的に、それは確信まではいかなくとも、ほぼの確率で彼女を黒だと見ている証拠だ。
それでも僕の憶測の域を出ない話だ。彼女を不安がらせるのは控えたいと思う、優しさなのか臆病さなのか分からない僕の思い故に、後半を伝えるのは憚られた。
「ふーん、そうなんだ。それは大変だねー」
いまいち聞き取りづらい声でそう言って、口に入っていたものを咀嚼する彼女。
食べながら喋るのは行儀が悪いので、僕も彼女が飲み込むのを待つ。
もぐもぐもぐ……ごっくん。
「…………」
「…………」
あーん、もぐもぐ。
「え、それだけ?」
「他に何かあった?」
彼女は何事もなかったかのよう食事に戻る。
「君は危機感とかそういうのはないの?」
まるで緊張感のカケラもない彼女の反応に、思わず呆れ混じりのため息が漏れる。
「今は居場所バレる心配はないんでしょ? だったらそうピリピリする必要もないんじゃないかな。君のその、世界の全員が敵だーみたいな考え方こそ思い込みが激し過ぎるよ。もうちょっと気楽に行こうよ。急いでも時間の流れは変わらないんだから」
一理ある、と不服にも思ってしまった。
いい意味で流される性格をしていれば、生きるのはとても楽なのだろう。対して僕は、いき急いでいる。自動スクロールにも関わらず、画面端に向かって走り続けているようなものだ。そう考えてみると、馬鹿らしく思えさえする。
「でも、君はもう少し生きるのに頑張ったほうがいいよ」
「そう言われてもなぁ、もうすぐ私死ぬんだし」
それを理由にされては、僕は文句を言うに言えなかった。
言葉を返そうとすれば返すことはできた。けどそのどれもが、死を前にした人間にとって意味ある言葉ではなかった。
生きるための言葉は、死ぬ人にとって無用の長物でしかないのだ。
きっと言えば言うだけ、彼女を苦しめてしまう。
だからそれ以上、その話の続きはしなかった。
黙り込んだ僕に彼女が何か聞いてくることもなく、黙々と食事を進める。
彼女はといえばあれだけあったデニッシュを既に平らげてしまったらしく、手持ち無沙汰にメニューを眺めていた。
一つ目のサンドウィッチを平らげ、そのまま二つ目に取り掛かる。
「ゔっ……!」
一口それを含んだ直後。
味覚から来る拒絶反応、もとい催された吐き気に、僕は一気に水を流し込んだ。
どたばたと騒がしい僕を彼女が見てくるが、今はそれどころではない。
なんとか落ち着きを取り戻したところで、元凶であろう手元のそれに目を落とす。
対になるパンの間から姿を覗かせる赤い悪魔に、自然と眉を顰めた。
これを口にするくらいだったらと、世界の終末さえも容認できてしまえるくらいに、それはもう嫌悪感しか抱けない存在。
外殻を厚く異様な触感で覆い、いざ破れば中から手榴弾の如くジェル状のよく分からない何かとヌルヌルとした種が飛散。口内の至る所に貼り付くそれらは、毒のように長い時間苦しみをもたらす。
昔からトマトだけは苦手だった。
フォークでスライスされたトマトを取り除いて皿に移す。特に必要はないけど、一応その皿を遠ざけておいた。
「これでよし」
「よし、じゃないでしょ」
残った敵勢力を無力化。安全を確保し、二口目にかかろうとした時。
メニュー表から目だけを出して僕にジト目を向けてくる彼女は一言。
次いで、ずいっと彼女の手によって前線を押し戻してきた敵兵たちに声を詰まらせる。
「それだけは無理。食べたら死ぬ」
「トマト程度じゃ人は死ねないから安心しなよ。もしかして、好き嫌いするから君は背が小さいままなんじゃないの?」
「それ言わないでって言ったよね?」
「言われたくなかったら、トマト食べればいいんじゃない?」
卑怯な。
「それに、好き嫌いは直してかなきゃダメだよ。もしトマトしかなくて食べなきゃ生きていけなくなったらどうするの?」
「君は僕の母親か何かなの? 食べなきゃいけない状況なんてその時にならなきゃ分かるわけないでしょ。そもそも、好き嫌いするなってこと自体が理想論なんだよ。世間だって平等を訴えてるけど、表面上だけで一度もできた試しはないし。というか差別があるからこそ競争性が生まれて社会が衰退することなく成り立ってるんだよ」
それは食事にも言えることで、食べ物に好みがあるからこそ、好き嫌いが分かれているからこそ食べることで欲求が満たされるというものだ。
「すごく正しいこと言ってるみたいだけど、全部トマト食べたくない言い訳だよね?」
再度向けられたジト目から、サッと視線を逸らす。
「とにかく、トマトだけは絶対に無理。君がなんと言おうと食べないから」
無理なものは無理だと頑なに拒否する僕に、彼女はあからさまなため息をついた。
「勿体ないから私がもらってあげるよ」
微笑んで、手のひら返しにそう言っては、渡してと手を差し出してきた。
「つくづく君は嫌な性格をしてる。最初からそうしてくれればよかったのに」
「おっと、そんなこと言うならやっぱやめようかなー」
「すみませんでした。どうぞ召し上がってください」
「そこまで言われちゃ仕方ないなぁ。じゃあはい、あーん」
芝居掛かった言動を取った後、目を閉じ口を開けて近づけてくる彼女に、は、と。
「え? なにそれは?」
「あーんだよ、あーん。仕方ないから、君が食べさせてくれたらもらってあげる」
やっていて恥ずかしくないのかと思ったけど、そんな素振りを見せるどころか、僕の反応を待ち望むかのようにニヤニヤと小悪魔は笑っていた。
ならばここは、僕も腹を決めるべきだろう。
「……はい、これでいい?」
フォークでトマトを刺し、彼女の口元に運ぶ。
彼女は数度目を瞬かせてから、それにぱくついた。
「今日の君はやけに素直だね。弄られてムッとする君面白いのに」
「君に弄られるのはもう慣れたよ。それに僕はちっとも面白くない」
時折姿を現わす小悪魔に、これまで何度嫌な思いをさせられたことか。けど今はそのおかげもあって、ある程度のことであれば平静を装えるようになってきた。
「むー、なら今度はもうちょっと過激なのしてみようかな」
「やめてよ。そういうのは君に似合わない」
「そういうのってどういうの? あ、ちょっと顔赤くなってない?」
「眼科行ったほうがいいよ」
「そんなことありませんよーだ。ちゃんとコンタクトつけてますー」
「視力は別に関係ないと思うけど……いや、もういいよ。君と話してるとバカになりそう」
「私バカじゃないもん。そういう君こそどうなの? 学校ちゃんと行ってないから友達できないし、運動しないから背も伸びないんじゃないの? もしかして不登校?」
「失敬な、これでも一応休まず行ってるよ。あと、さらっと傷口えぐるようなこと言わないでくれる?」
「あのー」
そこに割り込んできた声に、ぴたりと僕らは声と動きを止めて振り向く。
「他のお客様のご迷惑になりますので、お静かにお願いします」
遠慮がちに告げてくる女性店員に、一度彼女と顔を見合わせた。
「すみません。気をつけます」
「ごめんなさい」
僕と彼女が口々にそう返すと、店員はレジ奥に戻って行った。
「まったく、これだから子供は」
「君がそれを言う?」
ぼそりとそれぞれ呟いた言葉は、たしかに僕か彼女かが言った言葉だけど、どっちがどの言葉を言ったのかなんて、関係なかった。
もしかしなくても、二人とも子供だから。
下らない言い争いをして、少しでも不満を感じれば言い返して。中身のない会話でぎゃんぎゃんと騒ぎ立てては怒られて、しゅんと身体を丸めている姿なんてまさに子供らしい。
突っかかってきた彼女と、それに乗ってしまった自分に呆れ混じりのため息を一つ。
さっき吐いたため息とは少し違って、どこか暖かさが混じっていた。




