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朧月夜の雪花奇譚  作者: 安井優
雪の章
9/43

八、新たな一面

 (あかざ)に連れてこられたのは城下町の中でも特に大きな店だった。


「呉服屋、不知火(しらぬい)?」


 店名を読みあげ、(ゆき)は「あれ?」と首を傾げる。


「なんだ?」


「不知火って、さっきの……」


 稲穂(いなほ)の名字と同じではないか。


 雪が困惑していると、藜は「ああ」と雪の胸中を察したように告げる。


「稲穂は、不知火財閥の子息だ」


 不知火財閥。新聞でしか見ない文字列が頭の中にふわりと浮かびあがった。


「あっ!」


 先ほど挨拶されたときに感じた妙なひっかかりはこれだったのか。


 不知火財閥と言えば、この国でも三つの指に入るほど大きな金貸し屋である。それだけでなく、元手を使って手広く事業を展開しているらしい。特に、ここ十数年は他国との貿易業が好調で、異国からの珍しい品々――例えば、洋装(ドレス)、異国の発明品、雑貨など――を取り扱う店を切り盛りしていると新聞で読んだことがある。


 当時の雪にとっては別世界の話でさほど興味もなかったが、まさか子息と出会うことになろうとは。


 衝撃を言葉にできず店の前で雪が立ちすくんでいると、しびれを切らしたのか、藜が「早く入れ」と無造作に店の戸を開いた。


 扉が開くと、色とりどりの着物や(きら)びやかな洋装が雪の視界を彩る。


「わぁっ……!」


 思わずあふれた感嘆の声を飲み込む間もなく、店員が雪と藜に近づいた。


「ようこそ、南波(みなみ)さま。本日はどのようなご用で?」


 どうやら藜はここの常連らしく、店員は慣れた様子で藜に笑みを向け、次いで雪にも同じ笑みを投げる。


「あ、えと、その」


 雪がどう返すべきか慌てふためく隣で、店員に素早く指示を出したのは藜だ。


「こいつの服を見繕(みつくろ)ってくれ。何着でもいい」


「かしこまりました」


 店員もまた、雪の返答を待たずに店内へ戻っていく。


「わ、わたしは何をすれば?」


「お前はそこで黙って立っていればいい。どうせ、自分では選べないだろう」


 藜はそう言い放ち、店の脇に置かれた寝椅子(ソファ)にどかりと腰をおろした。


 相変わらず横柄な態度だが、言っていることは残念ながら正しい。これほどまでの服を見たこともない雪が、ここから自分の好きなものを選べと言われても無理だ。選ぶだけで日が暮れてしまうだろう。


 結局、雪は反論もできず、言われたとおりに大人しく立っていることにした。


 待つこと数十秒、先ほどの店員がいくつかの着物や洋装を手に戻ってくる。かと思えば、「失礼します」とすごい勢いで雪に服を当てていく。次から次へとあてがわれる服は、そのどれもが上品な意匠と心地のよい手触りで、高級品だとわかる。


 それに気づいた雪の心に一抹の不安がよぎった。


 先ほど、藜はこれを「何着でも」と言わなかっただろうか。脳内でそろばんをはじくも、どうやって支払えばよいのかわからない。討伐部隊の雑用をしている給金で足りるのだろうか。それとも、借金をすることになるのだろうか。


 何着目かわからぬ着替えをさせられて、雪はついに


「あ、あの……」


 と藜に助けを求める子犬のような目を向けた。


 着せ替え人形と化した雪を寝椅子からぼんやりと眺めていた藜が、視線だけで続きを促す。


「お金はどうすれば……」


 恥ずかしさから小声で雪が尋ねると、藜は顔色一つ変えずに答えた。


「気にするな、稲穂につける」


「え!?」


 いくら稲穂の親族が経営している店とはいえ、そんな横暴がまかりとおるのだろうか。しかも、稲穂本人ならともかく、雪はまったくの赤の他人である。


「そんな! それはダメです! 稲穂さんにご迷惑をおかけするわけにはいきません!」


 雪が慌てて店員があてがおうとした服を必死に押しのけると、藜は白けた目で雪を見る。


「お前の服を買えと僕に言ってきたのは稲穂だ」


「ですが」


 悪いですと言い張る雪に、今度は店員がやわらかな笑みを浮かべる。


「ふふ、謙虚なお嬢さんですね。普通のご令嬢は喜ぶものですが」


「わたしは令嬢じゃありませんから」


「あら、まあ。藜さまのお連れさまですし、こんなに美しくていらっしゃって、どこのご令嬢かと思いましたわ」


「い、いいえ! まさか! 全然!」


「ま、でも。とにかく、坊ちゃまが言い出したとなれば、それは坊ちゃまからの贈りものですから。ぜひ受け取ってくださいまし」


「そんな……」


 散々遠慮しようとする雪に、店員はさらに笑みを深めた。そして、雪の耳元にそっと手を当ててささやく。


「……というのは建前で、本当は南波さまからの贈りものですから、うちのことは気にしないでください」


「へ?」


「南波さまは、いつも必ず部下の分までお支払いになられるんです。お店を利用するのも坊ちゃまの顔を立てるためで、坊ちゃまにつけて帰られたことは一度もありませんよ」


 驚きのあまり雪が目を瞬かせると、店員はシーッと口元に人差し指をあてがった。


「怒られてしまいますから、内緒にしてくださいね」


「は、はい……」


 藜に怒られると言われては、雪も黙るしかない。雪と店員の内緒話を怪訝そうに見つめている藜から目をそらし、雪は大人しく試着の続きに専念することにした。


 稲穂が不知火財閥の子息だったというだけでも衝撃だったはずなのに、藜の不器用な優しさまで知ってしまい、もはや黙る以外できなかった、というのが正しいが。


 こうして、雪は結局店員に勧められた着物を一着だけ選んだ……、のだが、


「南波さま? 青と赤、どちらがよろしいですか?」


 なぜか、洋装も一着持っておいたほうがいいと店員に押しきられ、雪は今、バッスルスタイルと呼ばれる二つの洋装を胸の前に掲げながら、複雑な表情をする藜と対面していた。


「南波さま?」


 店員のにこやかな笑みに、藜は眉間に深くしわを寄せる。なぜか雪が、そんな藜の姿を見ていられずうつむくと、


「……青が、いいんじゃないか」


 蚊の鳴くような声が聞こえた。


「あら、それはお似合い、という意味でしょうか」


「……ああ」


「ああ、ではわかりませんね」


「~~っ、似合っている!」


 言わされているような気がしなくもないが、藜が雪を褒めるなど初めてのことである。


 弾かれたように藜へ視線を戻すと、藜は忌々(いまいま)しげに店員を睨んでいた。だが、髪の隙間から覗く耳元がほんのりと赤らんで見える。


「え?」


 雪の口からは自然と声が漏れた。


 藜はいよいよ目を吊りあげ、「もういいだろ」と声を荒げる。


 雪と藜の様子を見比べた店員は、満足そうに微笑むと、雪に青の洋装を差し出した。


「では、あちらに。服を包んでいる間、せっかくですから、お嬢さんは試着室で着替えてきてくださいまし」


 そう言うと、店員は藜とともに店の奥へと歩いていく。


 こうなると雪は言われたとおりにするしかない。試着室に入って、藜が渋々ながらも似合うと言ってくれた青の洋装に着替える。


 全身鏡で洋装に包まれた自身の姿を見て、雪は息を飲んだ。


「素敵……」


 着物とは違い、洋装にはたっぷりの布が使われていて、雪の華奢な体を女性らしく見せてくれる。繊細な刺繍(ししゅう)が施されており、光にあたるとそれらはキラキラと輝いた。首元まである襟も、きっちりと(ボタン)で閉じられている袖口もあたたかく、これを藜が贈ってくれたのだと考えると、どうしてか胸がいっぱいになる。


 久しぶりの外出に、久しぶりの新しい服。そして、藜の思わぬ優しさに、涙があふれそうになって、雪は必死にそれを拭った。


 鏡で目が赤くなっていないことを確認し、試着室から顔を出す。ちょうど包みを持った店員と藜が戻ってくるのが見え、雪は洋装の裾を引きずってしまわないように気をつけながら試着室を出た。


「藜さん」


 声をかければ、店員から包みを受け取った藜が雪のほうへ振り返る。


 藜は宝玉のような赤い瞳に雪を映すと、数瞬、呆気にとられたように動きを止めた。


 雪の見たことのない表情だ。どこかあどけない、年相応の。


「どうかしましたか?」


 雪の問いかけで我に返ったのか、雪から目をそらした藜はフンと鼻を鳴らす。


「……馬子にも衣裳だな」


 皮肉のようなそれは、けれど、なぜか雪には心からの褒め言葉に聞こえた。自然と頬がゆるみ、緊張がほどけていく。


 雪は素直に藜の皮肉を受け取って、できるかぎり深く、丁寧に頭をさげた。


「素敵なお洋服を、ありがとうございます」


「礼は稲穂に言え」


「もちろん、稲穂さんにもお伝えします。でも、ここまで連れてきてくださったのも、この服を選んでくださったのも、藜さんですから」


 自分で支払ったくせに、とは口が裂けても言えない。代わりに、ありったけの感謝を伝える。


「本当に、ありがとうございます。このご恩は必ず、働いてお返しいたします」


 何年かかるのかわからないが、少なくとも討伐部隊で働く理由がもう一つ増えたことはたしかだ。


 雪が討伐部隊で生き抜く決意をさらに固めると、藜は奥歯にものが挟まったようにもごもごと口を動かし……、けれど、言葉が出てこなかったのか、


「もういい。帰るぞ」


 と足早に歩き出した。


 店員の「またお待ちしております」という挨拶を背に、藜は雪を置いて店を出ていく。


 慌ててその背を追えば、藜の髪の隙間からやはり赤く染まった耳が見えた。


(もしかして、照れてる?)


 稲穂の顔を立てるために店を利用し、部下のために支払いを済ませる。


 不器用な藜の優しさを思い出し、雪の胸がほわりとあたたかくなった。


 その熱が、藜を怖いと思っていた気持ちを薄め、藜に対する緊張をさらにやわらげる。


 もっとこの人を知りたい。気づけば、そんな思いが雪の心に芽生えていた。

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