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朧月夜の雪花奇譚  作者: 安井優
雪の章
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六、訳ありの集まり

(ゆき)さん、聞いてます?」


「は、はいっ!?」


 名前を呼ばれ、雪はようやく(あかざ)椿(つばき)が仕事の話を終えていたことに気がついた。


 心配そうに雪を覗きこむ椿と目が合い、遅れて、冷たい視線を送っている藜と目が合う。


「顔が青うなってますけど……、大丈夫ですか?」


「あ、だ、大丈夫です。ちょっと考えごとをしていて」


 雪が笑ってごまかすも、椿の顔には心配の色が残ったままだ。


(あやかし)に襲われてから、昨日の今日ですもんね。無理もありません」


 いたわるような声音で言われて、雪は椿を騙していることへの罪悪感にかられる。本当のことを打ち明けてしまいたい気持ちが喉元までせりあがり、必死にそれを飲み込んだ。


「すみません……。それで、ええっと……」


 なんの話をしていたのか問えば、椿は嫌な顔一つせずに答えた。


「今、隊長から、本部の中で雪さんができそうな仕事を教えてやれ、と仰せつかったんです。やけど、無理は禁物ですから。今日はやめときますか?」


「いえ! やれることはなんでもやらせていただきます。藜さんに助けていただいた命ですから」


 嘘は言っていない。雪は昨晩、藜に斬られてもおかしくなかった。それを、藜が長治に免じてか、はたまた別の考えか、雪が妖であることを見逃してここへ連れてきてくれたのだから。その分、働かなければ。雪自身に価値がないと判断されれば、またいつ殺されてしまうかもわからない。


 雪がやらせてほしいと頼みこむと、椿はしばらく心配そうにしていたが、


「やらせろ。ただでさえ人手不足なんだ。タダ飯食らいは必要ない」


 藜の横暴な一言と雪の覚悟を見兼ねてか、渋々納得したようだった。


「ほんなら、雪さん。まずは寮に案内しますから、そこでちょっと休んでからにしましょか。仕事はお昼を食べてからってことで」


「ありがとうございます」


「隊長、それでええですね?」


「任せる。とっとと行け」


 藜は、用が済んだとばかりに雪と椿をしっしと追い払う仕草を見せると、再び机に積まれた書類へ視線を落とした。


 そんな藜の態度に苦笑する椿とともに、雪は隊長室を後にする。


 案内されて向かった寮は、やはり本部同様に漆喰(しっくい)の白壁がしゃれた瀟洒(しょうしゃ)な建物だった。


 本部に併設されており、討伐部隊に所属する隊員たちが住んでいるらしい。


 突然のことにも関わらず、「人手不足で部屋が空いているんです」と、椿は雪にも当然といった風に空き部屋を一つ与えてくれた。


 室内には寝台(ベッド)や机、洋灯(ランプ)に本棚といった基本的な調度品が揃っている。しかも、どれも長屋暮らしの頃よりよいものばかりだ。


 本当にここで暮らすのかと思うと、そわそわしてしまう。


「落ち着きませんか?」


 椿に問われ、雪は包み隠さずうなずいた。


 長屋では薄い布団で過ごしていたし、本棚なんてものはない。そもそも本などほとんどなかった。あるとすれば、長屋で回覧される新聞くらいである。


 なんだかお姫さまにでもなった気分だ。


「すごくいいお部屋なので気おくれすると言いますか」


「そうですか? 城下町なら普通やと思いますが。雪さんはもともとどちらに?」


「わたしは深川の長屋に……」


 言いかけて、雪は、藜が「雪には帰る場所がない」と椿に紹介したことを思いだした。


 口をつぐむも遅く、椿の目に疑惑が浮かぶ。


「深川の長屋? 家があったのですか? もしかして、家族も……」


「あ、い、いえ! そういうわけでは! ただ、居候みたいなもので」


「追い出された、と?」


 問いただされて、雪は言葉に詰まる。


 どうしよう、と視線を泳がせると、椿は静かに雪を見つめた。


「隠しごとはせんほうがええですよ」


 冬の夜のように静謐(せいひつ)な濃紺の瞳が、すべてを見透かすようで雪は思わず身を縮める。


 藜の深紅の瞳もこの世のものとは思えず恐ろしいが、椿も負けず劣らずの独特な雰囲気がある。術師がどんなものかはよく知らないが、少なくとも隊長である藜の補佐も務めていると言っていたし、実力もあるのだろう。


(まずい……)


 ぎゅっと握りしめた拳からじわりと汗が浮かぶような心地がする。


 脈動がどんどんと加速するのを感じながら、雪が必死に言い訳を考えていると、椿のほうが先に切りだした。


「なんて。話したくないことの一つや二つ、誰にでもありますやろうし」


 妙に説得力のある言葉とともに、椿がふっと寂しそうに笑う。


「いつか、話したくなったら言うてください。この仕事は、お互いに命を預けることもあるんで信頼関係が大事なんです。雪さんは今日からこの部隊の隊員ですから」


 家族みたいなもんです、と付け加える椿の言葉に、じんと胸が熱くなる。


「ありがとう、ございます」


 礼を述べれば、椿は軽く頭を振って、「それに」と続けた。


「隊長が連れてきたっちゅうことは、なんや訳ありなんでしょうし」


 訳あり。意味がわからず雪が首を傾げると、椿はサラリと述べた。


「ここはそういうもんの集まりでもあるんです」


「そう、なんですか?」


「まあ、妖から国を守る討伐部隊なんて言うと、英雄みたいでかっこええですけど。実際のところは化けもんと戦って命を落とす仕事ですからね。体のええお払い箱、人身御供(ひとみごくう)ってやつですわ」


 椿の笑みが一瞬陰るのと、雪の心がツキリと痛んだのは同じタイミングだった。


 雪が顔しかめると、椿の笑みはもとの柔和なものに戻る。


「っと、これは皮肉ですね。忘れてください」


 それがただの皮肉ではないことくらい、雪にだってわかる。だが、それを言うのははばかられ、雪は静かにうなずいた。


 ここは、雪が思っている以上に複雑な場所なのかもしれない。


 そして、その隊長という座についている藜は、雪が想像していたよりももっと深いものを背負っているのかもしれない。


 ――妖と人が交わることはない。


 藜の言葉が脳裏によみがえり、雪はその意味を噛みしめる。


 妖は人を(ほふ)り、人は妖を滅する。互いに交わることはなく、いがみあうだけ。


 ならば、なぜ、藜は雪を助けてくれたのだろう。


 雪は妖でありながら、人に育てられた。自らを人だと思って生きてきた。


 そのことが、何かの役に立てるのだろうか。


 妖でも、人でもない、雪の力が。雪自身の価値がそこにあるというのだろうか。


「……わたしも、少しでもお役に立てるように頑張ります」


 雪が誓うように椿をまっすぐに見つめると、椿がポカンと口を開けた。が、すぐに破顔する。しかも、何がおもしろかったのか、クスクスと肩を揺らしながら「は、はは、ふふふ」と笑声まで漏らして。


「え、えっと……変なことを言ってしまいましたか?」


 慌てふためく雪に、椿は「いいえ」と否定しながらもまだ笑っていた。


「えらい酷い話を聞いたあとやっちゅうのに、随分とまっすぐに素晴らしいことをおっしゃるお嬢さんやなあ、と思いまして」


「そう、でしょうか?」


 雪としては、考え抜いた結果、自分が今絞り出せる最善の言葉を選んだつもりだったのだが。少なくとも、これまで長治や長屋の人たちにはそう接してきたし、それがあたりまえだった。これがまっすぐだというのなら、椿の育ってきた環境を疑わなければならなくなる。


 椿は目に涙まで浮かべていた。それを美しい所作で拭ったかと思うと、


「実は、隊長をそそのかして、本部に入りこんだ妖やったらどうしようかと疑ってたんですけどねえ」


 と冗談のように軽口をたたいた。


 雪はヒュッと息を飲む。幸い、涙を拭っていた椿はそれに気づかず、


「今のを聞いて、なんか安心しましたわ。いろいろ失礼なことを言うてしまって、ほんまにすいませんでした」


 と雪に手を差し伸べる。


「これからよろしくお願いします、雪さん」


 同僚としての握手を求める椿に、雪はなんとか笑みを作った。


 藜をそそのかしてなどない。本部に来てしまったが、妖として人を滅ぼしたいとも思っていない。だから、これは嘘ではないのだ。


 雪は必死に自分にそう言い聞かせ、痛む良心から目をそむける。


 役に立ちたいという思いは本当だし、自分の価値は自分で見つけろと藜にも言われた。自分が何者であろうと、雪はそれをまっとうするだけだ。


 ここで、働くんだ。まずは自らのために。いずれは、この人たちのためになればいい。そうすれば、いつか、長治に会って直接礼を言えるかもしれないのだから。


 本心を厚く言い訳で塗り重ねて、雪は椿の手をそっと握った。

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― 新着の感想 ―
 和風ファンタジー大好きなのでわくわくです。  最初の舞台も雪と火の対の情景できれいだなあと思いました。  長治さん、もともと奥さんを妖によってなくしているのに妖の力を使った雪に一瞬は驚いたものの斬ら…
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